2022-03-01から1ヶ月間の記事一覧
(四)フランスの続き「フランスでの、筆蹟鑑定のための裁判の最近の例は、十九世紀から今世紀にかけてのドレフュス事件である。『チボー家の人々』を書いたマルタン・デュガールの小説『ジャン・バロワ』の第二部に、史実に沿っての詳しい記述がある。また、…
「(四)フランス……イギリスが大陸から離れた孤島にあり、中世にあっては比較的後進国であったという故もあって、筆蹟鑑定の取り入れかたが遅く、かつ批判的であったのに対し、フランスでは地理的にも文化的にもローマにすぐ隣り合っていただけに、筆蹟鑑定に…
(三)イギリスの続き。「十九世紀になっても知名なコレリァジ判事、パターソン判事は筆蹟鑑定を用いることには全く反対していた。テンマン主任判事、ウィリアムス判事等はごく限られた特定の場合にのみ用いることを主張していた。しかし現実には筆蹟鑑定も、…
「(三)イギリス……イギリスで筆蹟鑑定が裁判に取り上げられたのは十六、七世紀の頃らしい。陪審員制度であるイギリスでは、まだ教育が普及していない当時、字の読めない陪審員に、筆蹟の比較などを提示しても判別する能力がないので、筆蹟鑑定には裁判官が独…
( ローマ時代の続き )「中世(四〜十五世紀)においても文書偽造は横行した。署名・宗教書・私文書・土地財産の権利書といったものが私利私欲の為に数多く偽造された。法律文書・公文書は著名な人々によって偽造され、現在でも真偽の判定の困難なものが多いよ…
「(二)ローマ時代…紀元前一世紀頃のローマは共和制の崩壊が始まり、野心的な武将が陰謀を凝らしていた時代である。シーザー(Caesar)の暗殺されたのは紀元前四十四年であるが、シーザーの腹心であったアントニウス(Antonius)はその遺言状と国庫金を手中に収め…
狭山事件公判調書第二審1072丁、戸谷富之鑑定人提出参考資料四点目「法律時報・昭和四十二年五月号・筆蹟鑑定と裁判3・〈欧米における筆蹟鑑定の歴史的と現状〉戸谷富之」より。「(一)はじめに…二十世紀はドレフュス事件に始まるとも言われている。この事は…
ー 被検文書の比と角 ー 「今までは、照合文書のみを念頭において、その『比(の分布)』、『角(の分布)』を述べた。ところが、被検文書の『比(の分布)』、『角(の分布)』は、そう簡単にはもとまらない(注:1)。被検文書は時には僅か五、六字しかないこともあ…
-戸谷氏の理論-「ところが、このロカールの理論の真意を、第一図以下のように図にして考えられたのが前述したように北大の戸谷富之教授である。氏はロカールによって『比』から『比(の分布)』に移りつつある事、しかも、戸谷氏が平生扱っておられる理論物…
前々回( 182 )に述べた細字表記の「比」と、太字表記の「比」に関し、新たな表記方法を採用する。細字表記「比」はそのままであり、太字表記「比」を「比(の分布)」と表記する。前々回、太字表記なので「比(太)」と表した私の知能は相当低い。そしてキーボー…
-判別因子の選択-「判別因子の選択は、複照合文書の筆者の組みごとに変えなければいけない。では、その選択の方法は如何、というと、今のところ経験に待つか、手当たり次第探す以外に方法は無く、この部分で、あるいは書道家等の『勘』は大いに期待される…
(前回から続く。今回の引用に限り、引用文の一部の表記を変更する。これは、原文では『比』という漢字を通常の字と太字とで区別、表記し説明されているが、私の能力の低さから、キーボードでの、この通常の字と太字の切り替え方法に手こずり、原文通りに打ち…
- ロカール・戸谷の理論 - 「血液型のような、個々の筆蹟に内在する判別因子が発見されていないのであるから、孤立被検文字の鑑定は抛棄しなければならないことは以上に述べた。そこで残る手掛りは必然的に、十分な数の同じ被検文字の集団(集団被検文字、被…
- 筆蹟の判別因子 - 「以上、甲乙両家の子供について述べたと同じことを、甲乙両人の書いた各一連の『天』という字に還元して述べると、今、筆者不明の『天』の一字(これを『天(イ)』とする)があって、別に、(1)甲乙の書いたことの明らかな各一連の『天』と…
- 判別因子の効率 - 「再び血液型の例を借りる。両親から推して、甲家の子供はA型ばかり、乙家の子供はO型ばかりでなければいけないという類いの場合がある。この場合には子供(イ)は、そのどちらかの型でなければならない(前提)ので、帰属は截然として決まる…
- 判別因子(鑑定一般論)- 「さて、甲家の(イ)という子供の相貌が、残る四人の兄弟と著しく異なり、しかも乙家の(ロ)という子供に酷似している場合、甲乙両家に面識のない第三者が、子供(イ)の相貌をあらかじめ示され、次に、(1)、子供(イ)を省いた甲乙両家の…
- 筆蹟 - 「文字は、ある人“甲”が、同じ、例えば『天』という字を繰り返し書いたとしても、その中に一つとして完全に同一の形のものが再生しない。“甲”の書いた例えば五個の『天』という文字は( 以下、五という数を一貫して用いるが、その目的は具体像で考え…
狭山事件公判調書第二審において、戸谷富之鑑定人が法廷に提出した参考資料 1〜4 内の3点目「筆蹟鑑定と裁判 2 佐々木信雄の『筆蹟鑑定の基礎理論』」の引用に入る。「はじめに、現在、我が国の筆蹟鑑定に対して批判が高まりつつある。これは一定の鑑定方法…
4. 太田事件「昭和二十七年一月二十一日、札幌市中央警察署警備課長・白鳥一雄が射殺されて、いわゆる白鳥事件となったことは広く知られている。この射殺された直前の一月初旬、前年末、餅代よこせ闘争を弾圧した白鳥やその夫人、塩谷検事に脅迫のはがきを出…
3. 鹿地亘事件「鹿地亘(瀬口貢)事件は、本質はスパイ罪であるけれども、スパイ罪はないので訴訟上では電波法違反事件としてでている。昭和二十六年十一月二十五日、鹿地が鵠沼で散歩中、キャノン機関に拉致されるまでの間、三橋正雄に指示してソ連との間に電…
2.菅生事件「昭和二十七年六月二日午前零時過ぎ、大分県菅生村の駐在所に爆発物を投げ込んだ、本来の菅生事件は、共産党員の犯罪と見せかけるために警察が仕組んだものであったということになり、昭和三十三年六月九日福岡高裁で、被告人: 後藤秀生、坂本久…
(三)「戦後、筆蹟鑑定で争われた事件をみると、民事事件では尺別炭鉱解雇仮処分事件(労働関係民事裁判例集十四巻六号、労働法律旬報五〇三号別冊)があり、生産阻害文書と言われるものについて、被解雇者と同筆とする高村巌、遠藤恒義、一鷹秀網(注:1)の各鑑…
「対照筆蹟から類似筆蹟を拾い出す現在の筆蹟鑑定の方法は、予断による鑑定を可能ならしめている。これらの明白な誤判事件は、現在の『科学的筆蹟鑑定』といわれるものに頼りすぎた為に起きたものである。中田○○(狭山事件被害者:筆者注)さん殺し事件に際して…
(前回より続く) 「もう一つの例は、戸倉健次にかかる窃盗事件である。法曹新聞五十二号(昭和二十六年十月号)によってみると、昭和二十五年五月十八日、戸倉の家では、米穀通帳と印鑑、現金七百円が盗まれたので警察へ被害届を出した。翌十九日、この米穀通帳…
「刑事裁判と筆跡鑑定」(二) 「筆蹟鑑定が間違っていたかどうか、正確であったかどうかの問題は、別の鑑定人の筆蹟鑑定によって決定的に証明することが出来ないところに、この問題の困難さがある。結局、別の真犯人が出てきて自白し、その真犯人の筆蹟と対照…
( 前回より続く)「しかしわが国では、筆蹟鑑定の進歩を阻む二つの要因があったのではないかと思われる。その一つは、署名を要求せられず印鑑だけが問題とされてきたことである。そのために印影の鑑定は発達しても、署名の鑑定は発達しないという結果が起こる…
「鷺城逸史〈法曹紙屑籠〉では『その筆蹟は鑑定人に全然馴染がないから間違いを生ずることは当然である』といい、筆蹟鑑定人に試験鑑定、すなわち、本来の対照筆蹟の他に、被告人に似ている他の筆蹟も混ぜて鑑定させることにしてはどうかとも言っている。そ…
(前回より続く)「播磨龍城『龍城雑稿』によって、わが国における筆蹟鑑定の歴史を見るに、明治初年の頃は古筆家によって鑑定せられている。古筆家は、関白豊臣秀次時代の古筆了佐を祖とし、古筆手鑑などによって古筆を鑑定する職業である。明治初年、古筆了…
戸谷富之鑑定人による参考資料 : 2 「刑事裁判と筆跡鑑定」(一)「マックス・ヒルシュベルク『誤判』(安西温訳)は『筆蹟比較の鑑定人は、とくに害を招きやすい。いかなる領域においても、筆蹟比較の場合ほど、多くの似非鑑定人が幅を利かせることはない』とい…
戸谷 富之鑑定人による報告、これらを私は公判調書から引用しているわけだが、今回、引用に入る前に、先日気が付いたことがあり、それを記しておきたい。知らぬ者はいない昭和の未解決事件である府中三億円事件。巷では本事件の犯人が警察官の息子、少年Aな…