アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 191

(三)イギリスの続き。「十九世紀になっても知名なコレリァジ判事、パターソン判事は筆蹟鑑定を用いることには全く反対していた。テンマン主任判事、ウィリアムス判事等はごく限られた特定の場合にのみ用いることを主張していた。しかし現実には筆蹟鑑定も、単に似ている所を挙げるだけのような皮相的比較だけでなく、被検文書が照合文書と同一人によって書かれたと結論出来る為に必要な条件は何か、比較の方法はどうあるべきか、個人の筆癖はどういう所に出るか、といったいった鑑定を『科学的』にし、信頼のおけるものにする努力が払われて来たのと、一方では社会が複雑になるにつれて鑑定なしには事件を裁くことが難しくなってきたような事情から、一八五四年から民事事件において筆蹟鑑定が採用されるようになり、さらに一八六五年には刑事事件にも採用されるようになった」   ……(次回、フランスへと引用は続く)                                   

( イイ味が出ている標識。上部にある複数の凹みは、暴力団による射撃訓練ではあるまいかと周辺で空薬莢を探すも、いや待て、リボルバー式けん銃であれば探しても無駄だな、などと一人つぶやき笑っていると遠くから警官が見つめていた。私は素早く現場を立ち去った)