ただ一個とか二個の抜取りに終止しては、全体を推し量れないことは当然であるが (二個共続けて三.五グラムであったというような時、何か重大な意味を持つかの錯覚を起こすが、推計学的には何の意味もない)こういう場合、試みに公式を使うと、求める母集団の分布曲線は、漠と広がった、ほとんど山型と言えない偏平な無限に幅の広い山を形成し、しかもその中心位置の推定誤差は非常に大きな数(中心が分からない)になるのであって、これも常識から当然である。このようにして、被検文書についても例えば『天』が十分沢山ある程( 被検文書はいわば覆面母集団からの抜取り検査資料であるといえる)、各判別因子ごとにその覆面筆者の筆蹟母集団の、これに対応する判別因子の分布曲線に小さい誤差で肉薄出来るのである。一方、照合文書についてもう一度触れると、これも実は筆者が既知とは言え、その筆者の筆蹟母集団自体とは言えない。しかしこの方は抜取り検査に例えると可及的に十分な数の抜取り資料を要求出来るので、これも推計学の公式にのせて、非常に小さい誤差範囲で母集団を推定出来るのである。こうして照合文書、被検文書から推定した母集団同士の、特定の判別因子についての分布曲線の、例えば中央の位置が、ある十分な誤差範囲を予測しても尚且つ重ならなければ『別人』の筆蹟と推定され、反対に一定の誤差範囲で推定すると必ずしも“別人』と言い切れないという答えが、推計学の『その答えの信頼度』という数字と共に導かれるのである。旧筆蹟鑑定家が、例えば僅かに数個の字の類似例をもって『見破った』かのような名人的気分から、犯人は誰々だ、などと言うことは、三本の植物が三本とも標高1.250メートルに生えていた、ということだけで、分布を見ずにその木を『何々』と断定する無意味さと、何ら変わらないのである(筆者は科学評論家)」・・・。*引用した文中の(注:1)「もとまらない」とは?
もとまらない・・・。こういう言葉があるのか、速記者の反訳ミスなのか、今は触れないでおこう。さて、戸谷富之鑑定人が狭山裁判第二審公判廷に参考資料として提出した四点の内、三点目は以上で引用を終える。ここまで来ると、私のような凡人でも筆蹟鑑定の基礎的考え方が分かり始め、新たな観点から狭山事件に取り組む事が出来そうである。