アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

2021-11-01から1ヶ月間の記事一覧

狭山の黒い闇に触れる 71

第二審公判調書577丁。問うのは橋本弁護人。証人氏名:将田政二(埼玉県警察本部捜査一課長)。速記録の日付が昭和四十一年二月二十四日とある。私が生まれるのはその一ヶ月後であり、五十五年後の今、この調書を前に未だ再審の扉が開かれぬ現実に私は途方に暮…

狭山の黒い闇に触れる 70

第十二回公判の最後(571丁)で弁護人が問う。「捜査本部としては、何故少時様と書いたかという石川一雄の供述内容を通常考えられる合理的なものと理解していたのかどうか」証人は「石川一雄の供述はあっても、その部分は最後まで解明できなかったと記憶してお…

狭山の黒い闇に触れる 69

公判調書555丁。昭和三十九年九月十日第一回公判において、決定取調済の特別重要品触には被害者の腕時計と鞄が載っている。この腕時計に関連する事柄をまとめると概ね次の通りである。特別重要品触には被害者の腕時計と同一種類として写真が載っている。それ…

狭山の黒い闇に触れる 68

狭山事件の被害者が五月一日夜に殺されたとすると、脅迫状の文面にある「子供わ一時かんごに車出ぶじにとどける」は嘘となり、被害者の家族に対し娘は生きていると思わせ身代金を要求することになる。元々「少時」なる人物に宛てた手紙であるから、「子供」…

狭山の黒い闇に触れる 67

前回からの続きである。長谷部警視が石川被告の取調べにあたり、要注意人物である清水利一警部をその任から外す。しかしその時点では石川被告は別件、つまり窃盗、恐喝、暴行での逮捕、取り調べの時期でありそれらの取調べにおいて、なぜ清水利一を外すのか…

狭山の黒い闇に触れる 66

石川被告は長谷部警視から「やったと言えば十年で出す」と言われたと主張するが、長谷部警視はそれを否定する。否定する根拠の一つとして次の事柄を述べる463丁「石川が○○ちゃん(被害者名)殺しの容疑で逮捕されたその当時の取調主任官が、石川を取調べており…

狭山の黒い闇に触れる 65

477丁 昭和四十年十二月十四日。東京高等裁判所第四刑事部。橋本弁護人が諏訪部(事件当時、狭山署刑事課長)証人に問う。それは昭和三十八年六月十三日についてだ。弁護人「証人と被告人が一緒に並んで写真をとったことはないか」証人「記憶ありません」弁護…

狭山の黒い闇に触れる 64

狭山事件公判調書第二審463丁後半から464丁にまたがる記述は、ここに記した方が良いと私は判断した。石川被告が長谷部梅吉証人に問う。当初、石川被告は三人犯行説を唱えていた。その日取調べ室には青木、遠藤、長谷部の三人がおり石川被告を調べていた。そ…

狭山の黒い闇に触れる 63

公判調書462丁。石川被告が長谷部証人に問う。内容は、被告が自白する直前、取調べ室での証人による発言についてだ。石川被告「〜証人が、石川君何時まで強情張っているんだ、もう○○ちゃん(被害者名)を殺したことに決まっているんだ、ここらで話したらどうだ…

狭山の黒い闇に触れる 62

事件当時、警視の階級であった長谷部梅吉はことさら奸計が働く男であった。石川被告が頼りにしていた弁護士達への信頼を断ち切る為、その才能を発揮する。しかし、ここでその狡猾な奸計を全て記すことを私は諦めた。なので簡潔に記すが、弁護人達が石川被告…

狭山の黒い闇に触れる 61

昭和四十年十一月十八日、東京高等裁判所にて。事件当時、埼玉県警察本部捜査第一課に勤務、地位は警視であった長谷部梅吉証人に対し石川被告の弁護人が問う。ここでは弁護人が、石川被告が取り調べの際に受けた数々の「脅し・賺し(すかし)」について取り上…

狭山の黒い闇に触れる 60

昭和三十八年六月下旬、青木警察官が石川被告を取調べた際の調書を、昭和四十年十一月、第二審において検察官が取り上げ、証人として出廷した青木警察官に問う。その数々の問いの中から私が気になった箇所を記述しよう。石川被告はすでに六月二十三日、三人…

狭山の黒い闇に触れる 59

前回に続き、検察官が証人:青木一夫警察官に問う。被害者の遺体を芋穴に吊るしたと石川被告は供述しているが、その取り調べを行なった時の状況を取調官本人に問う。やや長くなるが413丁から引用しよう。検察官「死体を芋穴につるしたというときに、縄をどの…

狭山の黒い闇に触れる 58

事件番号:昭和三十九年(う)第八六一号・原本番号:昭和四〇年刑第二六号の五。411丁に目を通していると次の記述があった。検察官が証人、青木警察官に対し問う。検察官「これは、カバンを捨てたという場所の図面ですが、これは、本人が書いたものに間違いあり…

狭山の黒い闇に触れる 57

私は、警察官 関 源三(四九)に対し誤解をしていた。石川被告と少年野球などを通し、良き先輩として接触していたと私は解釈していたが、事件を境に、自身が属する組織に軸足を置き、上司を向きながら被告に接する様が私には垣間見れた。以下に昭和四十年九月…

狭山の黒い闇に触れる 56

狭山事件再審弁護団事務局の方に私のアイデアを話そう。狭山事件を宮崎駿氏にアニメ化してもらうのだ。トトロと狭山事件を関連づけた投稿がSNS上に溢れており、その殆どが若い世代による投稿であることに私は気付いた。つまりトトロという映画がチャンネルと…

狭山の黒い闇に触れる 55

第二審第1分冊、三二一丁。法廷において石川被告の弁護人が証人、関巡査に問う。内容は昭和三十八年六月二十三日午後、川越警察署分室においての取り調べの模様。ここでまず、私自身が混乱せぬよう整理するが、昭和三十八年の事柄を昭和四十年に尋問及び供述…

狭山の黒い闇に触れる 54

《狭山自白・「不自然さ」の解明》(日本評論社)の著者である山下恒男氏は東京教育大学心理学科卒業、その後、茨城大学教育学部勤務。更に後、同学部教授(心理学専攻〈1990年時点〉)。私の最終学歴=岩手県の外れにあった公立高校卒業。度重なる追試に[退学]…

狭山の黒い闇に触れる 53

【推測】これより記す事柄は単なる推測である。狭山事件必携本《狭山自白・「不自然さ」の解明》(山下恒男・日本評論社)、185頁。本書には珍らしく「推測」と、ことわりを入れた一文が載っており、それとは狭山事件において、犯人が脅迫状を被害者宅に届ける…

狭山の黒い闇に触れる 52

私は今、狭山事件公判調書第二審の記録を見ている。なぜ第一審ではなく第二審から読むか。理由は次の通りである。第一審では石川被告があらぬ罪を認め結審した。その背景には警察側から石川被告に対し罪を認めるならば十年で出す(刑務所を)と口約束した事実…

狭山の黒い闇に触れる 51

犯行を否認していた石川被告が一転、殺害を認めるまでの、中でも六月十七日から二十三日は密度が濃い日々である。長谷部、遠藤、斉藤、眼鏡着用の男、計四名の刑事が石川被告に「頼むからやったと言ってくれ」と懇願。石川被告は「君はいつまでも嘘ついてい…

狭山の黒い闇に触れる 50

狭山事件公判調書第二審第1分冊。速記録の日付は昭和四十年七月十三日。中田弁護人は法廷で、石川被告が「三人で殺った」と認めてしまう様子を聞き出す。事件発生から約二ヶ月後の六月二十三日、狭山署から川越に移送され、連日猛烈な取り調べを受けていた石…

狭山の黒い闇に触れる 49

昭和三十八年六月、狭山署において石川被告の地下足袋に関する検証が行われる。留置場の前に土を運び込み被告の兄着用の地下足袋を石川被告に履かせ歩かせた。回数は4回。これは佐野屋付近で起きた身代金取引現場における犯人の足跡との照合に関わる目的と思…

狭山の黒い闇に触れる 48

「あそこ調室に台みたいのがあるんだね、台叩いてね、ものすごいでかい声でね、新聞社の人もまわりにいたから聞こえたと思うんだがね」 肩を突かれ髪の毛を引っ張られ怒鳴られ、それでも石川被告は犯行を認めず耐えた。昭和の頃に多発した冤罪事件によく見ら…

狭山の黒い闇に触れる 47

事件発生後、石川被告には三人の弁護士がついた。中田弁護士、石田弁護士、橋本弁護士である。狭山警察署で連日取り調べを受けていた石川被告のもとへ上記の三名とは違う男が現れた。年齢四十過ぎ、黒い眼鏡をかけた男は弁護士だと名乗り署内で石川被告と面…

狭山の黒い闇に触れる 46

昭和三十八年六月二十日頃、石川被告は犯行自白を余儀なくされる。その過程を見ると長谷部捜査課長、遠藤刑事及び眼鏡をかけた人物により「言えば十年ぐらいで出してやる」との甘言にほだされ、なおかつ被告自身の見聞として、近所の人が車を盗み八年の刑を…

狭山の黒い闇に触れる 45

ある程度親しくなった人に「実は私、狭山事件に興味がありまして」と語った途端、実によそよそしくなり疎遠になる。何か、面倒ごとは御免だといった感じである。まぁ人それぞれ考え方は自由であるし、どうとも思わんが、私の場合「お前、本当にそれでいいの…

狭山の黒い闇に触れる 44

狭山事件公判調書と共に併読している書に次の記述を見つけた。「警察には、石川さんがクロであるという確証などありはしなかった。ただ、何としてもクロにして見せるという確信があったのである」(狭山事件現地からの報告 たいまつ社より )。塗装屋でもある…

狭山の黒い闇に触れる 43

中田弁護人「警察で言ったこと、検事さんに言ったこと、裁判所で言ったことは嘘だったわけですか」・ ・・・・・・・石川被告「そうです、みんな嘘です」 わりと軽く返答している印象を私は受けたが、実はこの軽さが石川被告に備わった性格の一面であること…

狭山の黒い闇に触れる 42

狭山事件が起こる以前、若かった石川被告はケンカのひとつやふたつ、当たり前におこなったであろうが、私が着目するのはその殴った回数を石川被告が法廷で克明に述べる点である。殴った回数を「二発」と述べる彼の記憶力をみるとき、事件直後における不確定…