アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 1001 【番外編 ・2/3】

 

見取図

見取図の赤線部分が今回載せる行動範囲(経路)であり、図面左端から始まる。

見取図「平坦」地点。

見取図「下り勾配」地点。

見取図㉑地点。

同じく見取図㉑地点。

見取図㉒地点付近。

見取図「上がり勾配」付近。

㉒地点から略南方に約百メートル進んだ地点から略南方を撮影(当時)。

この道は予想外に距離があり心が折れかかった。

㉒地点から略南方に約二百メートル進んだ地点から略南南東方を撮影(当時)。

見取図「下り勾配」付近。

㉒地点から略南南東方に約五百メートル進んだ地点から略南南東方を撮影(当時)。

どうも特定できなかったが、この道のどこかが見取図の「自動三輪車に追越されたところ」付近と思われる。

同 約八百メートル進んだ地点から略南南東方を撮影(当時)。

同 約八百五十メートル進んだ地点から略南南東方を撮影(当時)。

同 約千五十メートル進んだ地点から略南南東方を撮影(当時)。

見取図㉓地点。図面によるとこの十字路を左折している。実はここを直進すれば被害者宅へは近道となるのだが・・・。

左折。

左折後、直進する。

見取図㉔地点。

同地点。

同地点。事件当時、付近の狭山市役所堀兼出張所に狭山事件特捜本部が設置されていた。

事件発生後、市内を中心に山狩り捜索が行われたが、この狭山市消防団第四分団も参加している。

見取図㉕地点。服部ガソリンスタンドとの表記付近である。

見取図の示す通り進んで来たが、脅迫状を被害者宅へ届け(自転車も返却)、養豚場からスコップを盗むという目的にしては、この異常な遠回りの理由がわからない。まるで、あらかじめ筋書きが出来ている犯行時間のつじつまを合わせるため当局が練り上げた犯行経路ではないかと、私はつい本質を的確に捉えた見方をしてしまった。

当時の服部ガソリンスタンドを過ぎた辺りから私は緊張感に包まれはじめ、覚悟を決め先へ向かった・・・。

(続く)

 

狭山の黒い闇に触れる 1000 【番外編・1/3】

気がつくと、この拙い備忘録は今回で千回目に入っていた。だからというわけではないが、しかし継続して 来れた節目として、かねてよりその実現の機会を探っていた案件を私は実行に移した。

狭山事件公判調書にはその性質上、検察官と弁護士らによる検証調書等が相当数含まれ、そこには当然、添付された図面、見取図も含まれている。これらを調書内の該当部分と照らし合わせ眺めているだけでは能がない。手元にある図面や見取図に目を注いでいた私は自分の足でそれを確認することにした。

ここに一枚の検証見取図がある。この見取図には石川被告の自白による昭和三十八年五月一日の犯行経路が示されている。経路には要所要所に番号がふられており、この見取図では⑯が検証開始地点となっている。では⑮より前はどうなっているのか。

                                            *

                                 検証期日の続行

    裁判長:前記第八現場からその東方の雑木林の中を抜け、東中学校方面から略南々東方に通ずる道路に達したところで日没になったので訴訟関係人の意見を聞き、続行する旨及び次回検証期日は追って指定する旨を告げた。

昭和四十年二月十八日           東京高等裁判所第四刑事部                                                   裁判所書記官  小笠原 幸義

                                            * 

つまり⑮までの検証は昭和四十年二月十八日頃、日没と共に終了しており、日を改め、今回取り上げる検証へとつながっているのである。したがって⑮で一旦打ち切られた検証と、その続きである⑯との時期的な間隔はそれほど離れてはいないと見てよいだろう。

私はこの検証見取図の犯行経路を実際に辿ってみた。

狭山市中央中学校。見取図のいう「山学校」とはここを指すと思われるが、今ここで、その沿革、変遷、歴史、卒業した有名人などには触れない。

気合いを入れ検証開始地点⑯に立ったつもりだが、私はさっそくやらかしていた。前方十字路を右に行った先が⑯地点である。つまり写真に向かって右から左へ進行するのが正解である(下の図面参照)。

間抜けな私は⑯地点から⑰地点へと向かう道の中央を突破し直進していた。

案の定、道に迷い、不安に満ち、泣きたい気持ちをおさえ、それでもなんとか関口自転車屋があった付近に辿り着く。

⑱地点。

⑲地点。

念のため、見取図にある"沢83号電柱"を捜索するも見つからず・・・。

「沢」交差点。遠い昔、この辺りは沢村と呼ばれ、さらに遡ると澤村という書体で表記されている。

交差点を直進。

三叉路⑳地点。

見取図⑳地点近くに「雷電神社」とある。Y字路を右折後、左手のようだが。

鳥居には「八坂神社」とあり、私が探しているのは雷電神社なのだが・・・。

発見。「雷電神社」は「八坂神社」の境内社となっていた。

見取図の説明通り、上り勾配の道を進む。

今回、私は見取図の経路を自転車を使用し半日ほどで辿っており、これを三分割しこの場へ公表している。本日ここで載せた記録は赤線で示した部分である。

まだまだ先は長いが、ここで一つ確認しておきたい。というのはこの検証見取図(本検証は検事一人、弁護人三人、書記官二人で行なっている)の開始地点⑯以前に、被告はすでに強姦、殺人、さらに被害者の遺体を芋穴に吊るし隠匿するという犯行を終えており、その上でこの見取図に見られる行動を行なったとされているのである。上記の⑯以前の犯行を遂行し終えた時点で、この犯行者は相当なエネルギーを消費していることは明らかであり、本来、これを加味し見取図の犯行経路を辿ることが、本検証の望ましい結論を導き出せたかもしれない。

なお、狭山事件再審弁護団及び支援団体は、その再現実験を通じ、本件にみられる捜査当局側による数々の疑わしい、不自然な点の解明にあたったが、その中から今回の私的検証に関連した部分を引用してみよう。以下四点の写真は"無実の獄25年・狭山事件写真集=部落解放同盟中央本部中央狭山闘争本部・編、解放出版社"より引用。

被害者の遺体を抱き抱え芋穴までのおよそ二百メートルを駆ける実験。抱えているのは被害者と同じ重さである五十四キログラムの人形。遺体の抱え方等、石川被告の「自白」通り再現するも、この抱え方では困難を極め、「自白」通りには運べなかった。

一時的に遺体を隠蔽するため、逆さ吊りの状態にし芋穴に吊るす。吊るすため足首に巻いた紐は近くの木に縛り付けた。

遺体の逆さ吊りという「自白」についての実験では、被害者と同じ重さである五十四キログラムの物体を上げ下げする作業には大変な腕力が必要である上に、遺体の足首には百キロ以上の力が加わりこれはその該当部分には紐による痕跡が残ることを意味するが、実際には被害者の遺体の足首にそれは確認出来なかったという。

かくのごとき想像を絶する体力が求められる犯行をひとまず終え、石川被告の「自白」によれば冒頭の見取図⑯地点へとそれは継続してゆくのである。

                                            

 

 

狭山の黒い闇に触れる 999

【公判調書3132丁〜】

                    「第五十八回公判調書(供述)」

証人=高村 巌(六十一歳・文書鑑定業)

                                            *

橋本弁護人=「その難しいと仰るのは、筆跡の何を識別するのに難しいと言われるんですか」

証人=「特徴を分類するのが難しいんです」

橋本弁護人=「その人固有の筆跡の癖、個性といいますか、それを分類するのが難しいと」

証人=「そうですね、一つの型にはめてしまえばいいんですが、非常に筆跡というのは書く都度変わって表現される、厳密な意味においては先ほど申しました通り、同じように書けないということで、それを一つの型にしてしまえばこれはいろいろ電子計算機でも分類出来ましょうし、非常に便利なんですが、一つの型にすることが出来ないということが経験を必要とするわけです」

橋本弁護人=「あなたの鑑定書の副本をお持ちでしたらご覧下さい、こういう記載があるんですが。この高村巌鑑定書の中の補遺(注:1)というのがありますね、この鑑定書中に」

証人=「はい」

橋本弁護人=「この中の真ん中辺りでしょうか。『しかし各人の筆跡は何れも多年習得の結晶に成るものであって、容易に他人の模倣を許さない筆癖特徴を有し』伝々とありますね。そこに『各人の筆跡は何れも多年習得の結晶に成るものであって、容易に他人の模倣を許さない筆癖特徴を有し、如何に字体を変形記載しても知らざる間に平常習得した潜在的個性が、あるいは全面的にあるいは微細的に表現されるものであるから、これを審査攻究(注:2)すればこれを正確に識別することは不可能ではない』と、ありますね」

証人=「はい」

橋本弁護人=「あなたがこう書かれた時点と現在のあなたの考え方には差異があるわけですね」

証人=「いや、ありません」

橋本弁護人=「この鑑定書を見ますと、ある人の筆癖特徴を正確に識別することは可能であると読み取れますね」

証人=「不可能ではないと、全部不可能だということは言えないと、不可能ではないが、可能だとも言ってませんが、不可能なものもたまにはございます」

橋本弁護人=「そうすると、不可能ではないということは、可能であるということの反語にはなりませんか」

証人=「可能であるということと、不可能ではないということでは大分違います。その反面解釈から言いましても、不可能ではないということと、可能であるということは違うと思いますが」

橋本弁護人=「というと、それはどういうように違うんですか。この文章の真意はどういうことなのですか」

証人=「あるものは可能であって、中には不可能なものもあるということです」

橋本弁護人=「そうすると、一義的には言えないと。固有の筆癖を発見出来る場合もあるし、出来ない場合もあるという意味ですか」

証人=「そういうことですね」

橋本弁護人=「ここであなたが言っておられるのはこういう意味なんでしょう。仮にまあ、やや極端な言い方をすれば、日本人一億人おるとして、一億人の人が文字を書けばみんなそれぞれ違った個性を持った文字を書くと」

証人=「そういうことですね」

橋本弁護人=「その個性というのは筆跡に現われるから、これを調べれば一人一人の筆跡を見つけることが出来ると」

証人=「そういう筈だということですね。人間、顔が違うように文字が違うということは、これはどこの国でも言われておることです。専門家が言っておることなんですね」

橋本弁護人=「そうすると、指紋が全部違うとそれには独特の個性がありますね」

証人=「終生不変万有不動」

橋本弁護人=「それと同様な意味において筆跡にも個性があると考えておられるんですか」

証人=「指紋ほどには明瞭じゃございませんから、それ程はっきり言えるかどうか、ということには疑問がございます」

橋本弁護人=「あなたとしては文字というものは一人一人それぞれの個性があると、これは同一の顔がないと同様に同一の文字というものはないんだという考えを持っておられるんですか」

証人=「そうでございますねぇ。ただ、中に、付け加えますと中に良く似た、他人の空似があるように、中には良く似た字を書く人がございますので、そういう場合には紛らわしいことがあってたまには間違いが起こることもあり得るんじゃないかということも考えられます」

橋本弁護人=「類似の字があるということとは、今の問題とは若干違いますから別論としまして、そうしますと、あなたの言う筆癖といいますか、個性といいますか、そういうものは文字のどこに現われるんですか。平仮名、片仮名、漢字によって違うんでしょうか」

証人=「どこに現われるかということは決まっておりません」

橋本弁護人=「あなたの体験からいうと、どこに現われる場合が多いんですか」

証人=「それはどこに現われるということはちょっと決まっておらないので、ここに現われる、そこに現われるということは言えないと思います。ある字では起筆に現われることもあるし、ある字には終筆に現われることもあるし、文字の一つの形の上に現われることもございます」

橋本弁護人=「そうするといわゆる文字を見ますと、文字の字画構成ということは一つ考えられますね」

証人=「はい」

橋本弁護人=「これは縦棒、横棒の角度、そういうもので、間隔とかそれから」

証人=「はい」

橋本弁護人=「運筆の順序、筆順」

証人=「ございます」

橋本弁護人=「運筆の速度」

証人=「はい」

橋本弁護人=「そういう風に分けますと、あなたの言う筆癖あるいは個性というのはどこに一番よく現われるんですか」

証人=「やはり結構上の、構えの、一つの文字の形の上の問題だと思います」

橋本弁護人=「いわゆる字画ですか」

証人=「ええ。もう一つの、今、仰ったところの運筆速度だとか、筆圧だとかいう問題がございますし、記載順序、これの上に現われることもございますが、筆順の場合には非常に簡単にこれを識別することが出来ますけれども、特に筆順の場合には重なった場合、プラスになった先に書いた字と、後に書いた字とでインクの場合にはインクの散り方が違うんです。もと書いた字の方へ、後で書いた字のインキが散りますから顕微鏡で見ると分かるんです。筆圧ということになると、ペン字の場合にはペンの圧力によって太さが大分違ってきますが、これは筆圧というものは一つの痕跡からは検出しにくいし、どれ位の筆圧がかかったかということは、出来上がってしまった文字からは筆圧が何ポンド加わったかということは検出することは難しいわけです」

橋本弁護人=「そうすると、多少整理すれば、字画構成、縦横の棒の傾斜、間隔に個性が現われることがあると、それから筆順にも現われることがあると」

証人=「これは個性と言えるかどうか分かりませんが、全部総合して一つの個性と見るわけですが」

橋本弁護人=「総合しましてですか、そうすると筆順についてはあまり個性が現われないんですか」

証人=「筆順についてはあんまりその、個性と言えないんじゃないかと思います。それはその筆順で書く人は何人かあるわけですから、百人中に三十人いるとか五十人いるとか、三人しかいないとか、しかしそれは決定的な個性ということにならないんじゃないかと、非常に狭くはなりますが」

橋本弁護人=「筆勢というのがありますね、それは何を指すんですか。先ほどの筆圧とは違うんでしょう」

証人=「筆圧というのは上から加えられる圧力ですが筆勢というのは文字が、運筆の速度だけじゃないんですが、スムーズに円滑に筆を運んだ痕跡なんですね。それは主として主観的な見方になります」

橋本弁護人=「あんまり数量的に表現することが出来ない」

証人=「そうですね」

(続く)

                                            *

(注:1)【補遺=ほい】書き漏らした事柄(=遺)などを、あとから補うこと。その補いの部分。

(注:2)【攻究=こうきゅう】学問・技術などを、修め究めること。

                                            *

「あのオヤジ、狭山事件がどうのこうのと言ってるよ」「いやいや、アブナイ奴だなぁ」・・・。そんな幻聴が聞こえたりする私は、拾ったボロ布を頬かぶりし健全なる埼玉県民を装い、『狭山の黒い闇に触れる 』なる当ブログを発信し本件の実体解明に務めているが、その995で触れた馬は、よく調べてみるとその付近には乗馬場のような施設があり、私が目撃した馬は、どうやらそこの所属ホースであったようだ。晴天の下、自由に草を頬張る彼の姿は、何だか人生の答えを教えてくれているような気がした。

とりあえず君も私も食肉にならず、今のところ幸せであるなぁ。

                                            

 

狭山の黒い闇に触れる 998

【公判調書3131丁〜】

                    「第五十八回公判調書(供述)」

証人=高村 巌(六十一歳・文書鑑定業)

                                            *

橋本弁護人=「昭和三十四年からですか、文書鑑定研究所を創立されたのは」

証人=「三十三年秋でございましたね」

橋本弁護人=「これはあなたが所長で」

証人=「まあ、そういうことになりますね」

橋本弁護人=「会社組織か何かですか」

証人=「いや、ただそういう名称だけで、法的なものは施(ほどこ)してございません」

橋本弁護人=「所員という人はどういう人を採用したんですか。やはり専門家ですか」

証人=「まあ半分専門家ということですが、まあ専門家というほどのものでもございませんね。ただアシスタントとして手伝うくらいなもので、主として私がやっておったんです」

橋本弁護人=「創立してから何か筆跡鑑定について研究をしたことはあるんですか」

証人=「科学的に筆跡鑑定をやるべく、今までは経験の世界でやっておりましたが、科学的にやるべく、出来るだけ科学的にということで研究をいたしましたが、非常にその本当の意味での科学的ということになると、厳密な意味での科学的ということになるとむずかしい問題がたくさんございます。その研究をいたしました」

橋本弁護人=「今、非常にむずかしいと仰いましたね、これはどの点がでございますか」

証人=「これは人間が書く文字というものは印刷の字とは違いまして、書くたびに少しずつ厳密な意味において変化していくわけです。一度書いた文字を二度目に書けるかというと、厳密な意味では角度がいくらか違いますし、また、震えが出て来たり、傾斜が変わったり、いろいろな意味で多少変わって来る、その中から特徴を掴んでいくということで、それを分類して一つの特徴を出すことが、機械的に出していくということが非常にむずかしい。純粋に科学的という以上は、これは真に科学的という以上は専門家を必要としないんです。誰がやってもそのメソードについて方法によってやっていくならば、同じ結論が出なくちゃいけないというのが本当の科学的であって、もっと煎じ詰めれば、いわばボタンを一つ押せば答えが出てくるというところまでいかなければ真の科学的とは言えないと思います。今、科学的、科学的と言われているものの中でも、私から言わせれば科学的でないものがたくさんあります。どんな電子計算機を使おうが推計学を用いようが、最後には人間が判断しなければならないという問題があるわけです。例えばにわとりの雄雌を、卑近(ひきん)な例ですが、ひよこのうちに識別することにしても、科学的にいうならばもっと厳密な科学的識別法があるんでしょうけれども、これはやはり経験によらないと分からない。ひよこの尻をちょっと見て専門家は雄雌を完全に識別しております。ところがその方法を科学的にいろいろ教わっても、その息子がやった鑑定が、親から受け継いで本当の奥の手を聞いておる筈の息子がやってもみんなは当たらず、間違ってしまうということで、やはりこれは非常に経験の世界があると思うんで、またいろいろの分野についてみましても、あるところまでは科学的な機械を使い科学的な方法をやりましても、最後の断を下すのはやはり専門家が必要である、その鑑定を下さなければならない、そこで科学的でないという、多少、主観が入って来るんじゃないかというようなことがあるわけであります」

橋本弁護人=「そうしますと、あなたの仰る意味は少なくとも従来の筆跡鑑定の方法は科学的であったとは思われないと」

証人=「完全科学的じゃないと思います」

橋本弁護人=「やはり経験を積んだ人の体験に基づいての判断」

証人=「経験に基づく判断によって成されて来たと」

橋本弁護人=「あなた自身の鑑定方法はどうなんでしょうか、科学的にするために研究をなさったと言われましたが」

証人=「やっておりますけれども、まだ完全に科学的というところまではいっておりません。これは未科学であって非科学ではありません。この経験によってやっておるというより他に方法がないと思います」

(続く)                                         

                                            *

○昨日の流れから、私は久しぶりに「財田川暗黒裁判・矢野伊吉著」を再読した。読み進めるうちに、今現在、裁判所が狭山事件の再審へ向けた動きを全く見せないという事実、その理由の一つが垣間見えると思える記述を見つけた。一部抜粋する。

『もし、谷口(死刑囚)と出会うことがなければ、私は老判事として円満に退職し、老妻とお茶を呑みながら、裁判官としての人生を懐かしく想い起こしていたことだろう。

                                           略

〜私が知ったことはあまりに重大なことであり、あまりに異常なことだった。これが運命だとしても、それはあまりにも苛酷すぎる。あれほどまでに裁判官の仕事を愛していた私が、警察に、検察庁に、そして裁判所に、さらには法務省にまで、疑惑を持ち、批判するようになってしまったのである。

その頃、私は家に持ち帰った書類を前にして頭を抱えていた。「どうすればいいのか」私はその処理について悩んだ。

しかし、裁判官として採るべき道はすでに決められている。ただ法にしたがうのみなのだ。あることをあると認定する。事実を事実として判定する。それだけのことだ。もし、私がこのことによって、もはや三界に身を置くことができなくなったとしても、それは、まったく無実にして死刑の執行におびえている谷口の運命にくらべたなら、取るに足らぬことだと思えた。

谷口の無罪を証明することは、とりもなおさず、警察官を、検事を、先輩の裁判官の落ち度を摘発し、それを暴いてしまうことになるのだ。私といえども、世の人びと同様、名利を欲し、立身出世を望むことには変りはない。ただ、不正義に気付いてしまったなら、気付いた人間がやはり何かをしなければならないのだと思った』(財田川暗黒裁判より)

                                            *

○ことさら矢野伊吉という堅物裁判官判事ですら、先輩の裁判官らの落ち度を暴くことには気が引ける思いがあったということがうかがえる。いわゆる、忖度であるが、狭山再審に置きかえれば、悪いしきたりには従わない矢野伊吉のような人間が現在の裁判所に不在であることが再審請求を阻む要因となってはいないだろうか。

ここでもう一つ抜粋しておきたい記述がある。矢野伊吉自身が受けた「圧力」についてである。

『谷口の無実を主張する私に対して加えられる圧迫は表現し難いものがある。私は第二審以来、谷口の弁護人として抗告趣意書を提出しただけで、事実、その報酬は誰からも、またどこからも一銭たりとも受けてはいない。それにもかかわらず高松弁護士会は、私に対して懲戒処分に付すなど、その狂乱ぶりはひどい。無実の谷口に死刑の宣告を与えるほどの実力がある背後の或る大きな力に、私はこれまで恐れをなし、じっと我慢をしてきた。しかしこのことは、一度は白日の下にさらされなければならない。自由主義や民主主義、人権の保障、司法権の独立ないし裁判官の地位の保障といっても、理屈と実際では雲泥の差があるのである。私はここに意を決して、本件第一・二審の裁判官をも違法な裁判に追いこんだ或る力の排除を提案する』(財田川暗黒裁判より)

○これはつまりこうだ。田舎の元判事の分際でありながら、最高裁まで行って極刑が確定されたこの事件を誤判であると主張し、そればかりか警察官と検事の犯罪性まで立証するとは何事か、身の程をわきまえろという「或る力」からのシグナルであったと考えられる。

                                            *

昭和50年「財田川暗黒裁判・矢野伊吉=著」発売。

昭和51年   最高裁高松地裁へ差戻し。

昭和56年  高松地裁、再審を開始。

昭和58年  矢野伊吉、死去(享年71)。

昭和59年  被告人=谷口繁義、無罪確定。

平成17年  谷口繁義、死去(享年74)。

獄中の谷口繁義が描いて贈った"聖母マリヤ像"を手にする矢野伊吉弁護士(昭和47年撮影)。

狭山の黒い闇に触れる 997

【公判調書3129丁〜】

        「第五十八回公判調書(供述)」(昭和四十七年二月)

証人=高村 巌(東京都新宿区愛住町・六十一歳・文書鑑定業)

                                            *

橋本弁護人=「あなたの教わった鑑定方法ですね、それに付け加えてあなたが独自に開発した鑑定方法というのがあるんですか」

証人=「という程のものじゃございませんが、便宜上いろいろなことをやっております」

橋本弁護人=「あなたが教わった鑑定方法ですね、大雑把に、どういう風に鑑定なさるのか仰って下さい」

証人=「それは類似点と相違点を出しまして、それによって鑑定していくわけです。ただ簡単に言えばそれだけの話ですね」

橋本弁護人=「被検文書と照合文書の双方の文書の中の同一文字を拾い出して、その文字の双方の類似点相違点を発見していくと」

証人=「そうですね」

橋本弁護人=「そうしますとこの狭山事件の鑑定書で採用されている鑑定方法と根本においては変わらないですね」

証人=「そうでございます」

橋本弁護人=「あなたが裁判所に提出した鑑定書というのは現在までにどれくらいになるんですか」

証人=「そうでございますね、その数は、はっきり掴んでおりませんが、百件以上じゃないかと思いますが」

橋本弁護人=「民事刑事を問わず」

証人=「そうでございますね」

橋本弁護人=「戦争前と後に分けますとどちらが多いでしょうか」

証人=「戦後の方が多いかも知れませんですね。多いと思います」

橋本弁護人=「そのほか警視庁内の仕事の一つとして鑑定をしておることもあるわけですね」

証人=「それは非常に数がたくさんあります」

橋本弁護人=「警視庁の職員、あるいは科学捜査研究所ですか、の所員当時は、これは公務員ですね」

証人=「そうです」

橋本弁護人=「ですから、民間の仕事はなさらないんですね」

証人=「あんまりやりませんが、裁判所からの鑑定命令がございますと、たまにはやったことがございます」

橋本弁護人=「あなたの一番最新の鑑定書はどれでしょうか」

証人=「これは今、問題になっておるところの谷口繁義、四国の死刑囚で強盗殺人をやりまして、これがやったかどうか分かりませんが、被疑者として検挙されまして四国の丸亀支部で判決を受けて控訴をしましたが棄却されまして、また上告しまして、これも駄目になって刑が確定したんですが、それの再審請求をいたしまして、その再審中に警察で書いた手記なるものが本人が書いたのではないんじゃないかという疑いが持たれたのでその鑑定をやってくれと、それについては公務員に鑑定をやらしたのでは具合が悪いから、公務員でない者に鑑定をしてもらいたいということで、私がやったのが新しいものだと思いますが、それ以後にも何かあるか・・・・・・、刑事事件ではそれが大きなものでございますね」

橋本弁護人=「それはいつ頃作成したものですか」

証人=「去年の八月頃作成しました」

橋本弁護人=「それが一番新しいものですか」

証人=「刑事事件ではそうです」

橋本弁護人=「その後民事事件では別のものを」

証人=「そうです。去年の暮あたりにはっきり今、いつ頃ということは覚えておりませんが、秋辺りにやったものがあると思います」

橋本弁護人=「あなたが今まで鑑定をなさった事件の中で記憶なさっているものがありますか」

証人=「記憶しておるのもおらないものもございますが」

橋本弁護人=「いわゆる帝銀事件で鑑定なさってますね」

証人=「やりました」

橋本弁護人=「亀川昭政の窃盗事件の鑑定もございますね」

橋本弁護人=「菅生事件の誣告事件でも鑑定をなさいましたね」

証人=「ございます」

橋本弁護人=「そのほかこういう事件で鑑定をしたという記憶がございますか」

証人=「たくさんやっておりますから、百件くらいやっておりますから。まあ、比較的刑事事件は少ないと思います」

橋本弁護人=「覚えておられる事件はないですか」

証人=「ちょっと今、これというものが出て参りません」

橋本弁護人=「何か鑑定書を、あなたが作ったものを、一覧表みたいなものはないですか」

証人=「一覧表は作ってないんですが、二十五年までのものですと著書の中に重要なものは書いてございます」

橋本弁護人=「それ以降については何か、そういうものはないですか」

証人=「もちろん一覧表を作れば出来ますが、ここには持合わせておりません」

(続く)

                                            *

「あなたの一番新しい鑑定書はどれか」と弁護人に問われ、証人は谷口繁義という人物の再審請求の件を語っている。

谷口繁義と言えば、これは「財田川事件」という件名で広く知れ渡っている冤罪事件のことではないか。

『財田川暗黒裁判   矢野伊吉=著』

昭和二十五年二月、香川県三豊郡財田村で独り暮らしの老人が殺害され、その犯人として谷口繁義(当時十九歳)が逮捕され、裁判により死刑判決が下される。

谷口死刑囚は再審請求の訴えを起こすが、のちに、たまたまこの再審案件を担当した高松地裁丸亀支部支部長判事=矢野伊吉が、再度事件に関する法廷における記録、その他の諸々の記録を精査する中で、自分の眼をも疑うような、さまざまな不審箇所や不合理を発見し、谷口死刑囚の無罪を確信する。

『ついに私は定年まで勤務する希望を捨てた。この事件の再審を開始することだけを決定し、その上で退官することにしたのである。私は谷口を裁くことをやめ、谷口を弁護する側に回ることを決意したのだ。

私はこの事件を処理した後で退官することを言明し、その日取りも発表した。そして事件の審査に専念し、再審開始の決定のための草案を作成していた。退官予定日の半月前、[決定書]をタイプ印刷に回した時、どうしたことか、二人の陪席裁判官はこの決定に異議を唱え、決定は流産してしまったのである。

丸亀支部は、三人の裁判官の合議によって運営される合議支部であるため、私はそれまで充分合議し、決定の草案についても、二人の判事とともによく検討する機会を作り、それまでは合議通り異議なく、円満に成立する筈のものだった。それが突然の異議である。私は彼らの真意を解しかねたが、もはや時間はない。やむなく延期を決定し、私はそのまま予定通り退官する破目に陥ったのである。職を賭したつもりであったのだが、それが何ら実を結ばないうちに、退官せざるを得なくなった無念さは、いまなお心の底でうずいている』(財田川暗黒裁判より)

この財田川事件とは、いわば谷口繁義という無実の人を介した、矢野伊吉弁護士と警察・検察庁・裁判所・法務省との闘いの記録と捉えて間違いないのである。

なお、昭和五十九年高松地裁は谷口繁義に無罪判決を言い渡す。その前年(五十八年)にこの世を去った矢野伊吉の闘いは文字通り命がけとなってしまったのである。

著者の略歴を見ると、裁判所判事から弁護士へ転身していることがわかる。これは谷口繁義死刑囚を救うことのみを目的とした行動である。

著者=矢野伊吉弁護士。

私は本書を中古で購入したわけだが、その見開きには事件に関する新聞記事が貼られていた。これは前所有者の仕業と思われるが当時の新聞記事は貴重な記録であり、これはとても喜ばしい。

                                            *

 今回引用した第五十八回公判調書(供述)は、昭和四十七年二月の記録であるが、ここで、証人=高村 巌は財田川事件に関わる筆跡鑑定を「去年の八月頃作成した」と述べており、これはつまり昭和四十六年の八月頃ということである。

ではこの点を、筆跡鑑定を依頼した矢野伊吉弁護士からの視点で表現すると、次の通りである。

『昭和四十六年二月十七日、高松地裁丸亀支部の吉田裁判官は、東京都新宿区の文書鑑定科学研究所を訪れ、五十五点にものぼる文書を提出して筆跡鑑定を依頼した。ここにおいて初めて、谷口の「手記」と谷口が書いた文書における筆跡が、果たして同一のものであるか否かが、科学的な鑑定に付されることになったのである。

同年七月二十八日、ついにその結果が、百六十頁に及ぶ大冊の「鑑定書」として明らかにされた。そこには、つぎのような結論が示されていた。

【前記鑑定資料(1)ないし(5)の手記と鑑定資料(6)ないし(55)の谷口繁義の筆跡及び署名とは類似しているが、同一人の筆跡と認めるのは困難である。但し鑑定資料(21)(24)(25)(26)の図面の筆跡は同人のものと認める】

「手記」の筆跡と谷口が書いた文書の筆跡とは、同じものではないことがいま明らかになった。しかし、ここの但し書きの、(21)(24)(25)(26)の図面とは何かが問題になる。鑑定資料目録を参照してみると、(21)とは、第五回供述調書、(24)(25)(26)は第七回供述調書の図面に書かれている谷口の筆跡のことである。

図面とは、被害者を殺した現場や、兇器の刺身庖丁、それを隠した場所、捨てた轟橋などを、谷口が図解したもののことである。

つまり、谷口の自供を裏付けるために、犯人が谷口でなければ解らないことを図解したものであるが、もし、谷口の自供が、警察官や検事の強制によって行なわれ、その誘導によって作成されたものなら、谷口は自分で知らない現場の模様を図解したことになる。その「図解の筆跡」 が、谷口の書いたものでないといま証明された「手記の筆跡」と一致するなら、図解とこの手記は谷口以外の同一人物、つまり警察官の誰かが作ったものであることが逆に証明されたことになるのである。そして、それ以外の文書、まさしく谷口が自筆で書いて裁判所に提出した再審願や、趣意書や手紙などが、これらのものとまったく異なる筆跡であったことも証明され、手記と同時に、供述書の図解もまた、谷口以外の何者かが勝手にデッチ上げたものであることが、科学的に暴露されたのである。鑑定書は続けて書いている。

鑑定人は以上の諸点(運筆軌跡は書いた本人の心理状態、時代によって変化するが、筆癖は特徴を有し、その微細な点も審査考究すれば、正確に識別できる)に留意し、検査の結果、資料(1)ないし(5)の手記の筆跡と、鑑定資料(6)ないし(55)の筆跡には、その運筆の軌跡に相似性があるが、運筆書法と文字形状に相違するところが検出されているので、同一人の筆跡と認めるのは困難である。すなわち、「や」字「な」字「お」字「た」字「そ」字「ふ」字「ら」字等の文字形態の相違が挙げられる。これらの相違が筆者の個性的な相違に基づくものであるか否かは明確でないが、このような幾多の相違点が検出されている以上、同一人の筆跡と認めることは困難である。

 それでは、さらに具体的にどう違うのかを見てみる必要があろう。

手記に書かれている「や」字は殆ど第一筆(ABにて示す)は下方から起筆され右上方に運筆し、下方に転換して丸味を帯びた方に長く終筆が左方に向かい、第二筆(C)は短く縦に運筆し、第三画(D)は右下方に向かって僅かに傾斜する縦線にて書かれているが、終筆が左方に向かう傾向が認められる。文字の形状は第一筆の転換部以下(B)が著しく長く「や」状に書かれているのが認められる。(第一図)

これに対し、比較すべき谷口繁義の筆跡中の「や」字は(第二図)、第一筆の転換部以下が比較的小さく(B)、第二筆(C)は比較的長く、第三筆(D)は比較的短く傾斜して書かれ、その運筆形態は手記と著しく相違している。

そして、署名の筆跡もまた同様な手法によって検討されているのであるが、そこでの結論は、手記の署名と他の署名は「類似しているが、異なった運筆形態で書かれている」と断定されている。つまり、署名は大事な所なので、似せて書いたので「類似」はしているものの「運筆形態」が異なっている。つまり別人が書いたものであることが明らかにされたのである』

財田川事件、その筆跡鑑定に関わる部分の概要は以上の如くであるが、谷口繁義を徹底して死刑判決へ追い込んだ警察、検察、裁判所の所業は、これは許されざることであり、矢野伊吉の尽力がなければ、谷口繁義に対して何ら問題なく死刑の執行はなされたであろう。

 

 

 

 

 

 

 

狭山の黒い闇に触れる 996

第五十八回公判調書(手続)の後半に目を通すと、証拠関係目録と記された表には多数の証人(四十二名)の名が載っている。この数の多さは尋常ではなく、果たして証人全員への尋問は可能なのであろうか、まずは公判調書(供述)を見ていこうと思う。

【公判調書3126丁〜】

        「第五十八回公判調書(供述)」(昭和四十七年二月)

証人=高村 巌(六十一歳・文書鑑定業)

                                            *

裁判長=「あなたは前に鑑定を命ぜられる時に簡単な質問を受けてますが、四十一年五月の時ですか」

証人=「はい」

裁判長=「その時は裁判長から『鑑定人の経歴を、概要を述べて下さい』という問いがあって述べておられますが、そこに『私は昭和四年から警視庁鑑識課に勤務し、その後、国警本部科学捜査研究所が出来たのでそちらにかわり、同研究所に新設された文書鑑定課の課長となり、同三十三年三月三日まで勤務して退職しその後、間もなく独立して文書鑑定科学研究所を創立し現在に至っています』 と、これはこの通りですか」

証人=「その通りです」

裁判長=「『警視庁鑑識課に勤務する以前は何をされていたのか』と、『昭和四年以前は大学に行っておりました』、という答えになってますが」

証人=「いいえ違います。何かの間違いじゃないでしょうか」

裁判長=「それでは鑑識課に勤務する前は何をされていましたか」

証人=「体が弱くて中学を中退して独学で勉強しておりまして、大学を出ましたのは昭和十七年でございます」

裁判長=「『大学はいつどこの大学を出られたのか』という問いに対して、『最初、早稲田大学の文学部に入学しましたが中退し、その後、同大学の法学部に入り昭和十七年に卒業しました』となっていますね」

証人=「文学部には入ってません、そういうことは言った覚えありませんが」

裁判長=「そうすると早稲田大学に関係はあったんですね」

証人=「早稲田大学法律専門部を出ております、専門学校です」

裁判長=「法律専門部というのがあるんですか」

証人=「法律科の専門部というのがありました。法科ですね。そこを十七年に出ております」

裁判長=「法科の中の何ですか」

証人=「法律科です」

裁判長=「法律科に終始いた」

証人=「はい」

裁判長=「文学部を中退し、というのはないんですね」

証人=「はい」

裁判長=「『文書鑑定科学研究所を創立してからは主にどういう鑑定をされたか』という問いに対して、『筆跡、印影、文書の年代の識別、墨の炭素の変化していく状態、インクの経過年数等の鑑定をしております』、これはよろしいですね」

証人=「はい」

裁判長=「『文書鑑定科学研究所には他に所員がいるのか』『二名おります』と」

証人=「ただ今は、おりません」

裁判長=「四十一年当時の問いですが、『現在は主としてどの方面の仕事をしているのか』『主として民事事件関係の文書の鑑定をやっております』と、これはのちに変化がありましたか」

証人=「大体、民事事件関係をやっております」

裁判長=「あなたはかつて証人として出てもらいたいがということに対して、非常に病気がちで病体で法廷は長い質問に耐え得ない状態であるから仮に法廷に出ても一度には十五分か二十分くらいしか答えられないという時代がありましたね。現在はどうですか」

証人=「ただ今は非常に三叉神経が悪くて、耳鳴りがしたりしまして、自分でも鑑定を引受けるのに非常に困難をしているような状態で、所員もそれで、今、いなくなりまして、あんまり引受けるということが困難なような状態です」

裁判長=「病名は」

証人=「三叉神経痛です」

裁判長=「今治療を受けておられる」

証人=「ええ、時々」

裁判長=「家で横になって伏せっていなければならないという状態では」

証人=「というほどのことはありませんが、安静にして、変動の激しいことは・・・・・・」

裁判長=「病状は」

証人=「耳鳴りがしたり、頭が非常に痛くなり、目を使い過ぎた関係だと思いますが、特に左の目が、白内障でよくありません」

裁判長=「本件の四十一年八月に出された鑑定これはご記憶ありますでしょう」

証人=「はい、ございます」

裁判長=「これ副本は持参されましたか」

証人=「はい」

                                            *

橋本弁護人=「筆跡鑑定の教育を受けたことはありますか」

証人=「ございます」

橋本弁護人=「いつ頃ですか」

証人=「昭和四年から昭和七年頃にかけて教えを受けました」

橋本弁護人=「どこで」

証人=「警視庁鑑識課で金沢技師から」

橋本弁護人=「警視庁に入るとすぐに鑑識課の筆跡鑑定の勉強をしたと」

証人=「そうです。写真のカメラマンもやりましたが、筆跡鑑定の指導を受けたわけです」

橋本弁護人=「その後ずっと引続きその仕事を続けてきたということでよろしいんですか」

証人=「はい」

橋本弁護人=「あなたの先生である金沢さんという人はどういう経歴の人でしたか」

証人=「やはり、詳しくは存じませんが警視庁に長くおりまして、欧米でやはり筆跡の鑑定関係のことを勉強して参りまして、そして筆跡鑑定の研究をして裁判所関係のを鑑定しておりましたようです」

橋本弁護人=「あなたは、その金沢技師から教わったという教わり方はどういう風にしてですか」

証人=「それは実際に私の知らないところで字をいろいろの人に書かせて、あるいは本人が二通違ったような他人が書いたように書かせたものとか、又は他人がその人の字に似せて書かせたものだとかいうようなものをたくさん持って来まして、そして実地に鑑定をし、そして百通を、相当長期間かかりますけれども、最初は十通くらいですけれども、十通を全部鑑定が正確に出来るように指導を受けまして、そしてお終いにはそれがだんだん量が増えていきまして、百通なら百通のものが全部出来るようになる、そして初めてまあ一本立ちが出来るというようなことでございました」

橋本弁護人=「あなたがいわゆる一本立ちになられたのはいつ頃からですか」

証人=「それは昭和七年か八年頃からですが、裁判所からの鑑定人としてやり出したのは昭和十年からでございます」

橋本弁護人=「あなたが一本立ちになったのは誰が認めたわけですか。あなたの先生である金沢技師が認めたんですか」

証人=「そうですね」

橋本弁護人=「何か正規の資格みたいなものは必要ないんですか」

証人=「それはございません。ただ実際に全部が、百通出したものが百通全部間違いなく鑑定が出来るか出来ないか、私たちのやっているものは理論じゃなくて実際ですから、実際に間違わないで出来るか出来ないかによって決められるわけです」

橋本弁護人=「そうするとあなたは、昭和十年、ないし、八年頃からいわゆる一人前になられて、その後引き続いてこの仕事をなさって来たと伺ってよろしいわけですね」

証人=「はい」

橋本弁護人=「そうしますとあなたが裁判所に鑑定書を出すというような仕事を始めたのは昭和十年頃からすでにあるわけですね」

証人=「あります」

橋本弁護人=「いわゆる第二次大戦前にも裁判所に鑑定書を出しておると」

証人=「終戦前に何通か出しておるわけです。大分数を、私の著書の中に書いてある記録を調べて頂ければ裁判所にも残っておるはずです」

橋本弁護人=「あなたの著書と仰ったのは」

証人=「ここに持っておりますが、『筆跡及び文書鑑定法』というものです」

橋本弁護人=「立花書房発行のものですね」

証人=「はい」

橋本弁護人=「何年ですか」

証人=「昭和二十五年に出しております。その前にも昭和十九年にも出しておりますが」

橋本弁護人=「十九年に一度出して、二十五年に出して、二冊出したということですね」

証人=「そうでございます」

(続く)

                                            *

どうやら高村 巌という人物は、実は法曹界において知らぬ者はいないほどの超大物であることがのちに分かる。

                                            *

本文とは全く関係がないのだが、日頃、老生が危惧していた心配事が一気に消し飛んだ件を一つ。

見かけるたび寝ているこいつとか・・・、

ベストショットを演出してくれたこいつ・・・、

これまた起きている姿を見たことがないコイツ。

先日、このぐうたらな者共に餌を与える御婦人を確認出来た。どうやらこの野良猫たちを専属で見守ってくれているようである。毎日腹を減らし鳴いているのではとの老生の心配は、このフローレンス・ナイチンゲール的婦人により払拭されたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

狭山の黒い闇に触れる 995

【公判調書3109丁〜】

第五十八回公判調書(手続)        昭和四十七年二月十五日

                                           略

福地弁護人=本日の事実取調請求は取りあえずしたものである。というのは本月七日検察官手持ち証拠の開示を受けたのは当弁護人一人であり、その謄写については検察官と交渉中であってまだ謄写ができておらず、その証拠について弁護人間で十分な検討ができていないからである。それで、右証拠の謄写ができそれらを弁護人間で検討した結果によっては本日取調請求したものの一部を撤回し、あるいは更に追加請求することもあり得るわけである。その撤回、追加等については早急に申し出るが、その申し出をするまでは本日取調請求した証拠についての決定は留保されたい。

なお、宮内、上野両鑑定人のいわゆる筆圧痕に関する鑑定については両鑑定人の証人尋問を請求する考えである。その証人尋問は本日指定する公判期日に行なうこととされても差しつかえない。

                                            *

指定告知した次回公判期日

昭和四十七年四月十五日 午前十時

昭和四十七年四月十八日 午前十時

昭和四十七年六月十五日 午前十時

昭和四十七年六月十七日 午前十時

                                            *

昭和四十七年三月六日           東京高等裁判所第四刑事部

                                                         裁判所書記官 飯塚  樹

                                            *

【公判調書3111丁〜】

         「証拠開示についての弁護人及び検事の陳述」

佐々木哲蔵弁護人

  「弁護人は従来検察官に対し検察官手持ちの証拠で法廷に出されていないもの全部を弁護人に開示するよう求めて来たところ、本月七日にその一部を得、弁護団としては被告人の防御のために非常に有利な、また大事なものを発見したと確信しているものである。そこで、本件に関連して検察官が集めた手持ちの証拠全部を弁護人に開示することを改めて検察官に要求する。

    従来検察官からは開示を求める証拠はそれを特定するようにとの要求があり、弁護人としてはできるだけ特定するのが筋道であるが、本月七日でき得る限り特定して一部開示を得たもののほかは、弁護人としては特定の仕様がなく、とりあえずは本件の関係で検察官が収集した証拠書類、証拠物と言うしか特定の仕方がないわけである。

    証拠の開示は訴訟指揮権によって受けることも場合によっては可能であるわけであるが、今弁護人が言うのはそれによってではなく、本件の性質上、また、検察官は公益の代表者であるという立場から、開示をしてほしいと求めているのである。本件は死刑事件であり、当審は最終の事実審であるところ、まだまだ解明を要する点があるように思うので、悔いのない証拠調をしてほしいわけであるが、そのためには検察官も公益の代表者として是非協力していただきたい。

    なお、弁護人としても実体的事実を追究しているのであるが、検察官が被告人にとって不利な証拠と考えているものであっても弁護人から見れば被告人に不利ではないというものもあるかも知れないのであるから、有利、不利にかかわらず全証拠を開示されたい」

松本弁護人

   「刑事裁判は当事者主義をとっているが実体的事実の発見を目的としており、実体的事実を究明する場合には検察官の弁護人に対する関係証拠全部の開示は不可欠であると考える。このことは、犯罪事実が直接証拠によって証明されず、間接証拠、情況証拠によってしか説明されていないという場合には特に言えることである。というのは、直接証拠は代替性のない証拠であるが情況証拠はその適用いかんによっては非常に代替的であるからである。

   本件捜査過程において被告人が犯行と結び付けられたについては、被告人の血液型がB型であること、被告人が手拭、タオル、スコップ等を入手し得る地位にあったことが非常に有力な証拠とされているが、これらは何れも単なる情況であって、被告人を犯行に結び付ける直接証拠は誤った筆跡鑑定以外にはなく、従って直接証拠は全く欠如しているわけである。そして、被告人以外にも被告人と同じような情況にあったと推測し得る人が多数存在していたと言うことができ、従って被告人に関連する情況証拠だけを検討したのでは足りず、犯行に結び付け得るすべての人についての関係証拠全部を検察官が開示することによって、被告人にとって正しい防御ができるものと考える次第である。

   しかしながら、まだ膨大な証拠が開示されていないということが推測され、当弁護人個人が指摘できるものでも次のものがある。

前回の諏訪部証人の証言によれば、スコップ発見現場の北西方約三百メートルの地点付近で地下足袋が発見され、それを押収し、発見現場について実況見分をしたということであるから、その地下足袋及び実況見分調書。死体発見現場東方の林の中に発見された小屋につき捜査員が撮影した写真を見たということであるから、その写真。スコップ発見地点の足跡について実況見分をしたということであるから、その調書。また、同証人はあることを認めなかったが当然あると思われる本件犯行に使用された「寿」の文字のあるビニール風呂敷についての捜査書類。

なお、被害者の時計の保証書、それがなければ紛失した等についての捜査報告書等。品触れの見本に使用した時計についての報告書。死体発掘現場から発見された丸京青果の荷札。被害者の死体の顔面に相当するところにあったビニール片についての捜査関係書類。

被害者中田善枝についての交友関係、特に男友達についての供述調書その他捜査関係書類。同被害者が被害当日学校を出発した点についての捜査関係書類。

中田健治の五月一日の全行動について究明した捜査関係書類。    

被告人の五月一日から五月四日までの、あるいはその前後の行動に関する捜査書類。この点については、被告人は五月二日には川本保男らと映画を見に行っているし、五月四日には水村正一、石川太平と被害者の死体発掘を見に行っているのでこれらの者を含めて捜査した書類があるはずであり、なお、被告人の父母、兄六造、妹美智子らの供述調書等もあると考えられる。

また、石田豚屋関係の人たちにつき血液型、筆跡等を調べたのであればその資料。奥富玄二の遺書の筆跡についての鑑定書。

死体発掘の際の実況見分調書に添付されている写真が少なく、もっとあるはずであるからその写真のネガフィルム及び印画。

死体の鑑定書に添付の写真も少なく、胃の内容物、死斑等も鑑定書の文言でしかわからないが、これらの写真もまだあると思うのでその写真。

以上のもの及びその他全部の検察官手持ちの証拠を開示されたい」

福地弁護人

「当弁護人は本月七日検察官からその手持ち証拠の一部の開示を受けたが、その中には、ポリグラフ関係、被害者の本件当日の足取り関係、スコップについての捜査書類、鞄発見経過についての捜査報告書、五月二日夜の佐野屋付近の張込み関係についての捜査報告書、実況見分調書、被害者の家族の供述調書等があった。これらは検察官手持ちの証拠のごく一部であると思うが、このごく一部のものでも当審で争点となっていることの解明に多くの手掛かりを与えるものであると思われるのである。従って、全証拠が開示されれば本件の真相解明に役立つ証拠も現われるであろうと考えられるので、全証拠を開示するよう要求する」

宮沢弁護人

「当弁護人は、本件の捜査は非常に主観的な捜査に陥っていたのではなかろうかと考えているのであるが、この捜査について特徴的に言えることは捜査に当たった警察官が捜査報告書を丹念に作っていることでありその量は莫大なものであると考えられるのであって、検察官が手持ち証拠を全部開示すればその捜査自体を検討する重要な手掛かりになると思うのである。たとえば、脅迫状に書かれた『少時』についての捜査書類、本件時計の捜索に関する捜査報告書、同時計が被害者のものであったかどうか等についての捜査報告書、手拭いについての捜査書類等もあるはずであり、本件のようにはっきりした証拠がない場合これらのものが事案の解明に役立つと思うので、検察官はすべての手持ち証拠を開示されたい」

山梨検事

「証拠開示は、検察官が立証をする段階で弁護人が反対尋問のために証拠を開示せよというのが普通のケースである。ところが本件では出すべき証拠は一審で全部出しているのであり、こういう段階での証拠開示となると現在その必要性があるかどうか疑問である。しかし、検察官としては、弁護人が具体的必要性を示して一定の証拠の閲覧を求めた場合その閲覧が被告人の防御のため特に重要であり、かつ、これにより罪証隠滅、証人威迫等の弊害を招来するおそれがなく、相当と認められるときは閲覧させることを考えてもいい、という昭和四十四年の最高裁判所判例の趣旨に則って今日まで来たわけである。そして、検察官は本月七日に相当程度の手持ち証拠を弁護人に閲覧させたわけであるが、弁護人がそれに基づいて更に証拠調請求をするということであると証拠開示は何のためにするのかということになってしまうのであり、むしろ、閲覧させたものについては全部弁護人が証拠とすることに同意して証拠調をし、その証拠について弁護人がなお確かめたい点があるという場合には裁判所にそれに関連する証拠調の必要性を判断してもらうこととする、というのであればいいと思う。

弁護人は、証拠開示を受けた結果、被告人の防御に必要なものがあったという風に言うが、どの程度必要であるのか検察官にはわからないし、ただ、手持ち証拠が当然あるはずだから開示せよと言うのでは一概にその要求に応ずるわけにはいかない」

松本弁護人

「弁護人としてはまず検察官手持ちの全証拠を弁護人に開示してもらい、弁護人が必要と考える証拠は弁護人が取調請求するという形にすべきであると考える」

佐々木哲蔵弁護人

「証拠開示については、なお急速に検察官と話合いの場を持って話合いを進展させたい」

山梨検事

「話合いをすることは結構である」

                                                                               以下余白

                                            *

本文とはまったく関係ないが、うちの近所に馬がいたのだ。

一心不乱に草を喰うこの馬は、どうやらこの近くで飼われているようで、放し飼いではなさそうだ。