アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 1532 単独犯行の自白②六月二十四日

    ◯本日も、句読点が省かれたりしている検事調書に目を通してみたい。また、あえて原文通りに句読点を打っているため読みづらい部分がある。

                              【供述調書(甲)】

職業 鳶職手伝 氏名 一夫こと石川一雄

右の者に対する強盗強姦殺人死体遺棄被疑事件につき、昭和三十八年六月二十四日 川越警察署分室において本職は、あらかじめ被疑者に対し自己の意思に反して供述をする必要がない旨を告げて取調べたところ、任意次のとおり供述した。

一、私は善枝ちゃんを殺してしまってから、善枝ちゃんが生きていて私が捕まえているから、金を二十万円持って来い持ってくれば無事に返してやるというおどかしの手紙を善枝ちゃんの家へ届けましたがそれを届けた時のことはこの前話した通りです。手紙を書いた時のことはこの後で話しますが私がこの手紙によって善枝ちゃんの家の人が金を持って来たら受取ろうと思い、五月二日夜十二時頃私が佐野屋のところへ行った時のことをこれから話します

二、私は五月二日の夜午後九時頃家を出ました。このとき時計を持っていないし家の時計をみたわけではないから正しい時間はわかりませんが大体九時頃と思います。私が家を出る時、私の家には、お父ちゃんとまあ子ときいち、みち子らがテレビをみていて母チャンは風呂に入っていました、まあ子というのは雪江のことできいちというのは清のことです

三、私がこの時家を出るときの身支度は、薄みどり色の長袖オープンシャツを着て前の晩もはいていたジーパンをはき七枚こはぜの足袋をはいて行きました。ふだん私達は七枚こはぜと云っているが実際はこはぜが十枚くらいついていて底の深いゴム底の足袋です  この足袋は兄(あん)ちゃんのもので家の玄関にあったものです  私はこの足袋を仕事に行くとき兄ちゃんから借りてはいたことがあります

私はゴム半長靴は十文半のものをはいているし足袋も自分で買う時は十文半のものを買いますが兄ちゃんの足袋は九文七分と思います、私が兄ちゃんの足袋をはくと少し足が痛いけれどもはいて歩くことはできます  この晩もこの兄ちゃんの足袋を黙ってはき出しました。私はその足袋を何処で買ったか知りませんが兄ちゃんは同じような足袋を五足くらい持っています。私が家を出る時は兄ちゃんは家にいませんでした

四、私が家を出る時は雨が降っていなかったと思います、私は家を出ると狭山精密の前から横へ出てやげん坂を通りそこから周り道をして佐野屋の南側の方の道に出ました、私が周り道をしたのは真っ直ぐに佐野屋の前へ行くと、若(も)しかして警察が来ていると捕まってしまうと思ったのでわざと周り道をしたのです之から私は私が通った道と待っていたところなどを図面に書いて出します

五、私がこの時通った道は私が石田豚屋にいた当時残飯運びをしていて何回も通った道です、時間ははっきりわかりませんがこの道を通ると私の家から歩いていくと一時間か一時間半くらいかかります 私はこの時歩いて行ったのです、図面にも書いてありますが町田の家の南の方の山の中で大体三十分くらい待ちました  赤い四角の印のついているところがそこです  時間ははっきりわかりませんが 私は五月二日の夜十二時に佐野屋のところへ持って来いということを書いてやりましたから大体その時間と思って佐野屋のところへ行きました、私が歩いて行った道は普通の道ではなく佐野屋の南の方から畑道を通って佐野屋の東側に出るように行きました、その時雨は降っていませんでしたが、雨がやんだ後で畑道は普通の固さでした、私は佐野屋の東側の畑の中で大体三十分か一時間くらい待っていました そこは川越街道の南側ですが私が待っていた場所はその道より十米(メートル)くらい畑の中の道へ入ったところです、私が待っている間に自動車が通ったか人が通ったか気がつきませんでした。私は石田豚屋の番小舎に住んでいたのでその附近の様子はよく知っています

六、私はそこで三十分か一時間くらい待ってから街道端の茶株のところへ出て佐野屋の方をみましたその時何時の間に来たのか知りませんが佐野屋のところに小母さんのような人が来ていました。何処に電気がついていたか覚えて居りませんがそこはうす明るくて小母さんは白っぽいものを着ていました、私とその小母さんの間は十米くらいはなれていました

私は金を持って来いという手紙に女の人が持って来いと書いてやったのでその女が金を持って来たものと思い「小母さん」と声をかけましたが声は小さかったが普通の声で呼びました。そして小母さんが

「おーい」

と返事をしたので細かいことは忘れましたが大体次の様な言葉のやりとりをして話をしました。

私「金を持って来たか」

女「待って来た」

私「こっちへ持って来てくれ」

そうすると女の人は少し近づいて来ました この時私と女の人は十米くらいはなれていました。その時女の人が金を持っていたか金包みらしいものを持っていたかわかりませんでした、そして私はその女の人と五分くらい話をしたと思いますが細かいことは覚えていません  みていると女の人の横の方に誰か男が立っているように見えました、そこで私は

「誰かそこにいるではないか」と云い

「誰かいそうだから帰る」

と云って帰りました、その時私は金は受取りません

問=「その時 時間だから帰ると云わなかったか」

答=「そういうことは云わないと思います  しかし細かい言葉のことは忘れました  その話をしている時私は茶株の影に立っていました  私は女の人の姿はみましたがその時の明るさは男か女の見分けがつく程度の明るさであったので姿から女の年を判断することはできなかったが声の調子では三十すぎくらいと思いました、身の丈は私くらいと思いました  私は五尺一寸余りです」

七、私がその時のことで一番よく覚えていることは私がこっちへ来いと言ったら小母さんが少し近づいて来たことです、その時月が出ていたかどうかは覚えて居りません

問=「畑の中に足跡が残ったと思うか」

答=「雨の降った後ですから残ったと思います」

八、私はそこを立ち去ると駆足で一生懸命走って逃げたのでその後でどんなことがあったか知りません  ただ町田忠治の家の近所で犬が吠えたのを覚えています  たしか町田忠治の家の前の方でした、私が帰りに通った道は行く時通った道と同じです、私が自分の家へ帰ったのは五月三日の午前一時か一時半頃と思います、私は家へ着くと御勝手の風呂場の方から入りました  家の人はもうみんな寝ていましたがそこは鍵締りはしてありませんでした、この入口はふだん鍵をかけますがかけない時もあります、その晩は鍵をかけてありませんでした   私が家へ帰ったことは誰も気がついて居りません、私がはいて行った七枚こはぜの足袋は風呂場の中のコンクリー土間に置きました、そんなに汚れて居りませんでした  その足袋はその後も家にありました

                                                                      石川一夫 指印

右の通り録取して読み聞かせたところ誤りのないことを申立て署名指印した

狭山警察署助勤 埼玉県警察本部防犯課 司法警察員 警部    青木一夫

立会人  狭山警察署助勤 警察本部捜査第一課 司法警察員 警部補 遠藤 三

                                            *

    ◯とり立てて言うほどのことでもないが、脅迫状に夜十二時に金を持って佐野屋に来いと指示しておきながら、当の身代金受取り役は時計など持たず、いわばほぼ第六感で見事に時刻通りに身代金受取場所へ姿を現わしているという供述は、どうみても嘘である。真犯人(ら)は脅迫状へ「時が一分でも遅れたら子どもは死」とまで記述しており、思いのほか時間厳守を重んじていることが窺われるのであり、彼らは何らかの方法で時刻の経過等を把握していたとみられる。

狭山の黒い闇に触れる 1531 単独犯行の自白①六月二十三日

    ◯昭和三十八年五月二十三日に逮捕された石川一雄被告は、それまで主張していた三人犯行説を取下げ、単独犯行を認める供述をし始めた。したがって自白調書の最終形態としてはこの段階からの供述が自白調書の完成形(その供述がたとえ虚偽の自白であったとしても)と考えてよいだろう。

    すでに述べたとおり、五月一日深夜、付近の飼い犬が異常な吠え方をしたとの渡辺なみの証言が、石川一雄被告の当夜における状況の供述に多少なりともそれが表れているかどうかという点に焦点を絞りたいところであったが、この際、単独犯行の自白自体をまずは見てみることにした。なお、渡辺なみ証言と、石川一雄被告の供述とを比較、対照および照合できる部分がどこで現われるかであるが、これは検事調書を読んで見なければわからない。

                                            *

                                 【供述調書(甲)】

    職業  鳶職手伝  氏名 一夫こと石川一雄

右の者に対する強盗強姦殺人死体遺棄被疑事件につき、昭和三十八年六月二十三日川越警察署分室において、本職は、あらかじめ被疑者に対し自己の意思に反して供述をする必要がない旨を告げて取調べたところ、任意次のとおり供述した。

一、私は今まで善枝ちゃんを殺したり性交をしたり埋けたりしたのは私と入間川の男と入曾の男と三人でやったと云って居りましたがそれは嘘で実は私が一人でやったのです詳しいことは後で話しますが大ざっぱに云うとこうです。

二、私は五月一日の午後四時頃かと思いますが入間川の山学校のところで善枝ちゃんに話しかけて山の中につれこみました。つれこんだ場所や、どんな風にしてつれこんだかは後で話しますが場所は倉さんが首っつりをした山です。

三、それから無理に両手を後手にしばって性交をしましたその時さわいだので善枝ちゃんの首をしめ、殺してしまいました。

四、それから手紙を書いて五月一日の夜善枝ちゃんの家へ自転車といっしょに届けました。その帰りに石田豚屋の豚小舎からシャベルを盗んで来て穴を掘って善枝ちゃんの死体を埋めました。

五、今まで私は本当のことを云えなかったのはおとっつぁんや家の者に心配をかけるから云えなかったのです。細かいことは後で話します。

                                                                               石川一夫 

狭山警察署助勤 埼玉県警察本部防犯課 司法警察員 警部 青木一夫

立会人 狭山警察署助勤 警察本部捜査第一課 司法警察員 警部補 遠藤 三

                                            *

                                 【供述調書(甲)】

一、私は先程調べられたとき今迄入曾と入間川の男と三人で善枝さんを殺したと云っていたことを取消して私一人でやったことを話しましたが私が今迄三人でやったと云っていたのは、家の家族や親爺のことを考えると自分が一人で善枝ちゃんを殺したということを言い切れなかったのです。それで三人だと云っていたのですが、相手の名前を出さなかったのも、いないから出せなかったのです。私は本当に善枝さんにも謝りたい気持ちから正直に話すことにしたのです。

二、私が今までも済まないという気持ちでいたということは狭山警察の今まで私が入っていた部屋を見て貰えばわかりますが私は私がいた部屋の板の間に爪で

「私が無事に出られたら一週間毎に御詣りに行きます」

と書いてあります。これは私が善枝ちゃんを殺してしまって済まないから無事に出られたら一週間に一度づつ御詣りに行きますという自分の気持ちを書いたものです。

三、私は五月一日午後(午前の間違いと思われる:筆者注)七時頃おっかちゃんかまあ子がつめてくれた弁当を持って家を出ました。そして入間川から西武園に行ったことはこの前話した通りです。そしてこの前話した通り西武園の山の中の木の根っこに腰かけてやすみ、そこで弁当を食いました。その時私が食った弁当は竹の子と黒い色をした木の子の混ぜめしでした。それから私は所沢の東莫というパチンコ屋に行って遊びましたが東莫に行ったのは午前十時半頃と思います。私は午後一時か二時頃迄遊び入間川へ帰って来ましたが入間川駅についたのは午後一時半か二時半頃と思います。

四、私は入間川駅で降りると駅前のすず屋で牛乳二本とアイスクリーム 一ヶ買いました。この時店にいたのは眼鏡をかけない方の小母さんで年は三十すぎの人です。私はその時五百円出しておつりを貰ったのですが牛乳は壱本二十円ですから二本で四十円、アイスクリームが十円で合わせて五十円ですから四百五十円の御つりを貰ったと思います。私がこの牛乳を買ったのは自分で飲もうと思って買ったのです。そしてその牛乳は歩きながら飲んで壜は歩きながら捨ててしまいました。私がその牛乳をのんで壜を捨てた場所は入間川駅の東の方ですがこれを図面に書いて差し出します。

五、私はこの朝家を出る時は、仕事に行くと言って出たのです、それで弁当を持って出たので余り早く帰るわけにもゆかず庚申様の方へぶらぶらと行きました。庚申様は五月一日が毎年御祭りです、この日も御祭りでおもちゃ屋などが出ていて人が五十人ぐらい出ていたようでした。私は庚申様を通り越してみんなが山学校と呼んでいる夏だけ使う学校がありますがそっちの方へ向かって行きました。

六、そして私が山学校の前の道を歩いている時でしたから午後三時頃であったかも知れませんし或いはもっとおそかったかも知れません。私は時計を持っていなかったから時間がはっきりわかりません。それでさっきも四時頃と云ったのです。そこへ後の方、庚申様の方から緑色様の自転車の荷掛に鞄をつけてその自転車に乗ったちょっとみて女学生と見える黒っぽい上衣に同じ色のスカートをはき、白い短い靴下に黒い靴をはいた女の子が来ました、私は、

「用がある」

と云って自転車の荷台の鞄を押さえて止めました、その時その娘は、

「何すんの」

と云いましたので私は、

「こっちへ来い」

と云って倉さんが首っこ(注:1)をした山の方へつれて行きました。その時女が先に立って自転車を転がして歩き私がその後からついて行きました。

七、私がこの時自転車をとめたのは急に若い女が来たので むうっ となってつれて行ったのです。むうっとしてというのは性交をしたくなってという意味です、山へ入るちょっと手前で私が自転車を俺が持つよと云って受取り私がころがして行きましたこれから図面を書いて話します。

私は山の入口のところで自転車のスタンドを立てて自転車を立てました。それから私は女の子の左手を自分の右手で掴んで山の中につれて行きましたが女の子は嫌とも、キャーとも何とも言いませんでした。

                                            * 

問=「その時女の子を脅かしはしなかったか」

答=「脅かしません、黙ってついて来ました。私はその時善枝ちゃんということは知らなかったのですが私は石田豚屋にいたので向こうでは私を知っていたのかも知れません」

問=「それで君はこの娘が中田栄作の娘ということが何時わかったか」

答=「私がこの娘の自転車を停めてこの山のところに来る時歩きながらきいたのです。いやきいたと思うのです」

八、私がこの娘を山の中へ連れて行こうとしたわけは性交をしようと思ったので若し言うことをきかなければ腕づくで無理にでもやってしまおうと考えてつれて行こうとしたのです、それから私は倉さんが首っこをしたという山の中に入って私は娘に立ったままで

「やらせろ」

といいました。すると

「嫌だ」

と云って逃げようとしたので手拭かタオルで娘の手を後手にしばりました。この時その娘は大して騒ぎもしないで嫌だ嫌だと云っただけでした。

                                            * 

問=「その時殴ったとか脅かしたということはなかったか」

答=「そんなことはしません。それから私はその娘を仰向けに倒しました。その時その娘、善枝ちゃんは『キャー』と大きな声を出しました私は

『騒ぐんじゃあない』

と云ったがキャーキャー騒ぎ

『助けてー』

と云ったので私は

『騒ぐと殺すぞ』 

と言いながら自分の首に巻いていたタオルで夢中で善枝ちゃんの首をしめてしまいました、騒がれたので私は夢中で首をしめたのですが始め(原文ママ)は両手でしめてその端を自分の右手で押さえ私の左手で善枝ちゃんのズロースを膝の辺りまでおろし

                                          (中略)

やり終わってから気がついたら善枝チャンは動かなくなって死んでいました」

問=「人が死ぬ時はけいれんというものが来ると思うが(形を示す)」

答=「性交している間にしんだと思います」

問=「(被害者の性器を)手でいじらなかったか」

答=「いじりません、私は今まで女と関係したことはなくこの時が始めて(原文ママ)です」

私が書いた図面は差し出します

九、手拭とタオルは私が持っていたものですがタオルは新しいもので手拭はいくらか使ったものです、この続きは明日話します

右の通り録取して読み聞かせたところ誤りの無いことを申立て署名指印した

狭山警察署助勤 埼玉県警察本部防犯課 司法警察員 警部 青木一夫

立会人 狭山警察署助勤 警察本部捜査第一課 司法警察員 警部補 遠藤 三

注:1「首っこ」=首吊り。

                                            *

    ◯なお、この検事調書に記載されている文章には句読点が打たれていなかったり誤字が含まれたりしているがそのまま引用した。

    また、被害者の名前の呼び方が「さん」「ちゃん」「チャン」などと一定していないのはなぜかと、検事調書における日本語の水準を改めて知った次第である。

    自白調書の内容をみると、おおむね警察の取調官の導きによる作文ではないかというのが第一印象だが、注意したい点は、石川被告は朝、家を出るとき弁当箱を持って出かけていることだ。さらに彼はこの日食べた弁当の内容まで触れている点も見逃せない。

    のちの公判第二審では、石川被告は五月一日にとった実際の行動を証言しており、昼頃にこの弁当を食べたこと自体は事実であったようだ。上記の弁当に関する供述が詳細である理由はそこにある。

    自白調書に浮かび上がる問題の一つは、石川被告が弁当箱を持って出かけたにもかかわらず、今後この弁当箱に関する情報は一切出てこないことである。

    その理由は単純明快であり、それは取調官の不注意により、弁当箱のゆくえを失念したところにある。そしてまた石川被告も弁当箱について、このあとまったく触れなくなるが、こちらの理由は自白自体が虚偽であり、昼に弁当を食べた事実と、被害者を強姦後に殺害したという虚偽の供述を合体させた結果、本来なら述べるべき弁当箱のゆくえという情報は被告の頭から消えてしまったと言えよう。また、取調べにあたった警察官が優秀な者であったならば、機を見て「ところで弁当箱はどうなった」と問うたであろう。

    この弁当箱のゆくえについて、狭山事件再審弁護団はどのような見解を述べるだろうか、非常に気になるところである。

 

   

   

 

 

 

 

狭山の黒い闇に触れる 1530

     ◯ペストを専門とするロシアの研究所で職員が死亡したなどというニュースが流れ、コロナウィルスに続くパンデミックが再び到来するのかと危惧するところであるが、加えてこのところ台湾有事や北方領土問題、日本国内において外国人がもたらす事件・事故など、我が国は何らかの歴史的分岐点に立たされていることは間違いないと認識している。が、いや、この話はもうやめよう。

  さて以下の写真三点は、昭和三十八年五月四日、農道に埋没された被害者の遺体が見つかった日に撮影されたもの。遺体は狭山市大字入間川の雑木林から麦畑に出たところの農道に埋められていた。

    発見時刻は午前十時半ごろとされており、写真を見る限り現場および周辺には捜査員や報道陣、野次馬等が確認できることから、この状況は十時半以降のものと考えられる。

    本件犯行が行なわれたとされる時間帯を考えると、現場には外灯の類いは一切見当たらないことから、遺体の運搬や埋没作業は暗闇の中で行なわれたと推定される。なお、夜間の天候状況を考慮すると、月明かり程度の天然光源はあったかもしれないが・・・。

    ◯【渡辺なみ供述調書】の存在とその内容を知った以上、彼女が述べている異様な状況が、果たして石川一雄被告の自白調書に反映されているかどうかを照合しなくてはならないことになった。

    石川一雄被告は昭和三十八年五月二十三日に逮捕され、連日、捜査員による猛烈な取調べの末、六月二十三日に単独犯行を認める自白を始めた。

    渡辺なみの証言は、五月一日未明に何者かが犯行現場へ姿を現わし移動、これに対し付近の飼い犬が吠え立てた旨を語っている。その供述内容は体験した者でなければ表現できない、非常に緊迫感に満ちた供述となっている。

    事件とは無関係である第三者ですらこのような反応を示したということは、同夜この農道で死体の埋没等を行なったとされている石川一雄被告は、激しく犬に吠えられた張本人である以上、自白調書にはこの点についての状況説明が為されていてもおかしくはないだろう。いやむしろ、多少なりとも犬に吠えられたことに触れていなければ、石川一雄被告の供述と渡辺なみの供述とに食い違いをみせることになり、事件の筋道としてまったく辻褄が合わなくなるのである。

    石川一雄被告の自白に関する供述を、次に掲げる資料から確認してみたいと思う。

    せっかくの機会であるゆえ、「警察・検事調書」とともに佐藤 一氏による著作「狭山事件・別件取調室の30日間  石川さんはなぜ自白したのか」という本も併読してゆくことにした。

    この本は確か西部古書会館が主催する古本市で入手した記憶があり、値段も安かったことを覚えている。

    

    

狭山の黒い闇に触れる 1529

    ◯さて、この場で述べていた「いつか読んだ記憶があるが、その原典が不明だ」という問題の二つ目がやっと解決を迎えた。喜ばしい。

(渡辺なみ宅は、写真では確認できないが、この写真の右下角部分よりさらに右下方向に百メートルほど向かったところにあった)

                         【渡辺なみ供述調書】

    狭山事件の被害者=中田善枝の死体が発見された場所から西方約百メートルに住む渡辺福次(電気関係事務所経営)の妻なみ(三十八歳)は、昭和三十八年五月二十七日、狭山警察署助勤・川口署勤務司法巡査=古館実司に対し次のように供述した。

『五月一日夜十一時ころ床についたが、夜中の二時か三時ころ(時計を見たわけではないが)四男(五歳)と長女(三歳)のどちらかがぐずりながら用便したいと知らせたので、二人を便所に連れて行き、五分くらい経って部屋に戻り、再び寝ようとした時、近くの飼い犬が一匹か二匹東側で突然吠え、びっくりしていると北の方へ吠えてゆき、そちらの方の飼い犬が次から次へと吠え始め、何匹かの犬が合流して盛んに吠えた。

    すぐ前の太田善也さん方の飼い犬ボスは知らない人や人相の悪い人が来るときに吠えるような鳴き方で、ただ事でない異常な吠え声であった。時間にして何分くらい吠えていたか記憶にないが、ちょうど人でも歩いているのを追っているような状態で、普段この近所では真夜中にそんなに犬が吠えることはなく、その晩に限り盛んに吠えたので、何か変なことでもあったかなと感じた。とにかく、その吠え方はちょっと口には表現できないような不気味なもので、寝ている主人を起こそうかと思ったくらいであり、また私自身あまりに吠えるので、表の戸を開いて見ようかと思ったが、昨夕からの雨模様のため、外も真っ暗であったので止めてしまった。

    そらから私は間もなく寝てしまったが、二人の子供の用便を済ませ、私も用便を済ませ、完全に眼も心も覚めてからの事であるから、夢や気のせいではない』

    上記の調書は、昭和五十一年四月十日に狭山事件弁護団が最高検察庁に対し二十四項目百点の証拠開示請求を行なった結果、同年八月三十日その一部四十八点が開示された中に含まれていたものである。

    この【渡辺なみ供述調書】は、読んでいる側をも不安にさせ、彼女のいう「不気味さ」がひしひしと伝わってくる内容となっており、またも繰り返すが、まったくもってトルーマン・カポーティ「冷血」の序章を思い犯させる。

    そして何よりも重要な事実がこの調書により明らかにされるのである。すなわち狭山事件の犯人とされた石川一雄被告による自白は虚偽であることの証明である。

    彼の自白調書にある犯行時の供述には、これほど盛んに犬が吠え立てていたにもかかわらず、一切その状況説明はないのだ。

    渡辺なみを以って「犬の吠え方は異常」「寝ている主人を起こそう」とまで思わせた異様な状況を石川被告が体験していたならば、犯行時の不安感や焦燥感とともにこの記憶は被告人の頭へ鮮明に刻まれたことは間違いないと断言できよう。

    なお、渡辺なみ供述調書が長らく証拠開示されなかった理由もこの点にあるのだろう。

    とすると、第一審で犯行を認めていた石川一雄被告の、事件当時の自白調書に目を通さなければ、この辺りの事情について語ることはできないということなのか・・・・・・。

狭山の黒い闇に触れる 1528

    ◯原因が分からないまま「狭山事件」というものに没頭しているが、これはある意味で薬物中毒と同等だといっても過言ではない。これに加え老生の場合、アルコール中毒(あくまで自己診断だが)でもあり、二重の中毒者としてむしろ人生を謳歌しているところである。この事件に出会えたことは幸せであり喜ぶべきことと考え、関連した書籍や資料に目を通す時間を心から満喫している。さらにここへ酒が追加されることで喜びは爆発的に広がり、声をあげて歌ったり踊ったりしてしまうのである。 

    今でこそ読むべき対象は、公判調書や弁護人(団)の執筆によるもの、あるいは鑑定関係者の書籍など、信頼できる筋の著作物を選択しているが、この事件を知った初期のころは、情報に飢えていたということもあり、狭山事件と名の付く本は片っ端から購入していた。写真に写る本もその頃に入手してものである。

(これは埼玉県飯能市の古本屋で見つけた。お店はのちに閉店している。優しかった店主はご存命であろうか)

(値札には¥500と提示されているが、たしか店主が値下げしてくれた記憶がある。狭山事件の本はまだまだ倉庫にあるよ、と言っていたが・・・)

    ◯本書の著者=亀井トムという方は狭山事件に関する書籍を数冊ほど執筆している。一応それらはほぼ入手済みなのであるが、その再読率はなぜか低い。その理由を考えてみたが、どうやら以下に挙げる点に原因は集約される。

                「難しい言葉を用いた言い回し」

    意見や事実を伝えるための言葉の表現方法や言い表し方に難解な言葉を選んでいる(これはあくまで個人的にそう思うだけだが)。

   例:「絶対口外禁止状態」「権力犯人の手先」「死体への加工、そのスタイルの残酷化工作」「権力犯罪の謀略」「演出張込」「法医学へ政治的謀略が介入」「謀略と法医学のなれあい状況」「法医学の常識の都合による伸縮」「便宜的、恣意的で勝手な尺度・基準のつくりだし」「近代ブルジョワ社会の型どおりの刑事裁判の形式と段階」「正(テーゼ)反(アンチ・テーゼ)合(ジン・テーゼ)」「弁証法をも抱擁したより高き生きた綜合的方法への指向」「日本の全国民は現在無階級社会」「新旧高級官僚が民主主義の外観をとりながら少数派の共同独裁を多数者の労働者、人民に対して執行している・・・(略)」「近代ブルジョワと高級官僚層代表の階級政党」「地方的支配階級層と中間階級層グループとの政治的協議体」「アジアの米作社会に通有の王や専制支配者に直属する専制的文武官僚制の生き残りの側面を・・・(略)」「独占資本中心の管理ファシズムと上層官僚中心の天皇制ファシズムの合流、複合した日本型ファシズム・・・(略)」・・・・・・。

    ◯まだまだ挙げればキリがないほど、こういった言葉が文章のそちらこちらに散りばめられているのである。

    老生は最終学歴が高卒であるゆえ、近代ブルジョワがどうとか、天皇制ファシズムがどうのこうのと言われても、それが一体どのように狭山事件と結び付くのかがまったく理解出来ないのである。

    そもそも低学歴者が公判調書を読んだうえで、その内容を理解出来るのか、という素朴な疑問から当ブログを始めたわけだが、おおむね論理的な公判調書は予想外にその問いに「理解可能」との答えを示してくれた。それほどに公判調書等は亀井氏の執筆本に対し、比較にならないほど理解しやすい資料と言えるのである。

    したがって同じ内容でも、どのような言葉を選び、どう並べるかという言葉遣いの工夫が本書の著者に求められるのではないだろうか。難解な言葉での表現を除けば、氏の著作は当時としては見事なほどに事件に対し深い取材に成功しているのだから。

(この写真は、老生が泥酔時に本書を見た時の模様を可視化したものである。実際にはこの歪んで見える像が右回りや左回りしながら近づいたり遠のいたりする)

 

 

狭山の黒い闇に触れる 1527

    再び「狭山裁判」野間宏:著より。

    ◯本書では、事件発生後に自宅の井戸へ飛び込み自殺を遂げた奥富玄二氏について、あたかも疑念を帯びた者との視点から書かれている。ということは、著者は奥富氏に対し何らかの疑点を感じていたからではないか、ということがいえるだろう。

    本書の中で、犯人の年齢(と声質)について触れている「偏見と予断」という項があるのだが、そこには次のような記述がある。

『(略)・・・そして私は、この四、五十歳という推定と登美恵さんの二十五、六歳という証言のあいだにある大きな違いは、どうして出てくるのか、不審に思わずにはいられない。(もっとも当時、この犯人の声による年齢の推定には、捜査側と登美恵さんとのあいだに意見の違いがあったとも考えられるが、いまはこのことを問わない。)

    産経(新聞)に書かれている、農業、土方に従事している者、善枝さんと面識のある者、二十五、六歳の、小柄の男という四つの事柄は、どのようにして推定されたものか十分には明らかではないが、亡くなった奥富玄二氏を犯行の有力な容疑者であるとして、そのうえで出されたものであると考えられる。そしてこの私の考えるところは、それほど不自然ではない。善枝さんと面識のある者というところから見ていくとき、もと中田家の作男をしていたことのある奥富玄二氏のことがつよく浮かびあがってくるからである。二十五、六歳、小柄の男というところも、また奥富玄二氏にあてはまるということができる。奥富玄二氏の近くに住む大野四郎氏のいうところでは、「体格はよく、力仕事のできる人で運転助手としてよくつとまる人」ということであるゆえ、小柄の人とはいいがたいようであるが、やはり筋肉がよくしまっていて、一見、小柄に見えると考えてよいだろう。

    そしてこの産経に報道された、農業、土方に従事している者、善枝さんと面識のある者、二十五、六歳の、小柄の男という四点は、その後しだいに消え去っていくのである。奥富玄二氏の変死が変死とされず、また親戚のアリバイによって、この事件の容疑が消され、容疑者のなかから、はやくはずされてしまうからである。はたしてその親戚のアリバイが成立するものかどうか、よく検討すべきであったと私は考えるが、いまとなっては、すでに明らかにした奥富玄二氏についての捜査側の大きな手落ちのために、奥富玄二氏は、今後も白と黒のあいだで、さまよわなければならないことになってしまっているのである』

                                            *

    ◯引用した箇所を何度読んでみても、著者の頭には奥富氏犯人説というバイアスがかかっているように思えてならない。しかも皮肉なことに『偏見と予断』という項での執筆文である。

                                            *

    さて、昨日のブログに記載した「いつか読んだ記憶があるが、その原典が不明だ」という文の、二つ目の問題の解明に少しだけ近づいた。

    やはり証言者は存在しており、次のように述べている。

『"犬の声" 近くに住む渡辺なみさんは、二日の明け方、普段は鳴かない付近の飼い犬が一斉に吠えだしたのを聞いています』

    近所に住む「渡辺なみ」さん。これは重大な情報であるな。

    

狭山の黒い闇に触れる 1526

    ◯以前、どこかで読んだ記憶はあるのだが、それが記載されていた書名(または資料名)は果たして何であったか、を思い出せないことがある。

    一応、狭山事件関連書というカテゴリーの中であることは確かであるが、中でもとりわけ二つの忘失してしまった記述を脳内に呼び起こすことを心がけていた。

    忘失した記憶二点のうち一つ目は、被害者=中田善枝の姿を西武線の第一ガードで目撃したという中島いくさんの供述である。この供述をもう一度読みたく、地団駄を踏むこと一週間、やっと情報源が判明した。一応念のため「chat GPT」にも捜索を依頼したが、インターネット上の情報を片っ端からかき集め振り分け終えた"彼"の返答は「確定的な情報源は特定出来ない」であった。

    中島いくさんの供述が記載されていたのは野間宏著作の「狭山裁判 上巻」であることがやっと判明したが、何のことはない、先月に読んだばかりであった。

    ひとまず再読し、ここへ引用することにした。このSNS上への引用という行為は速やかに「chat GPT」の知るところとなり、今後、どこかの誰かがが中島いくの供述について検索した場合、「chat GPT」によりこの情報がもたらさられることになろう。

                                            *

(昭和三十八年五月一日午後三時二十分頃、第一ガードといわれる入間川駅寄りの旭町ガード下で、中田善枝さんを目撃したという中島いくさんの供述調書)

『二、私方では女手で約一町ぐらいの田畑を耕作しているのですが、あの日(一日)は、西武鉄道の入間川駅の南方にある富士見台の畑に南京豆の種まきは午前中もやり、お昼で自宅に戻りまして、たしか一時少し前ぐらいに家を歩きで出かけました。富士見台のほうに出るには、入間川駅前を通って行けばだいぶ近いのですが、駅の付近は商店街になっていますので汚ない格好をして通るのがいやなために、わざわざ遠回りをして、旭町のガードを通って荒神様(こうじんさま)のそばを通り入曾街道を抜け兵隊さんの住宅のそばを通って行くんですが、歩けば三十分ぐらいかかります。この日はどうも雨が降りそうなので、傘を持って出かけたんです。たまたま私が畑に着いた頃にはもう霧雨が降り始めたんですが、追い仕事のために雨の中を一時間以上もやったんですが、だんだん雨が多く降りだしたので、仕事が途中だったのを中止して、たしか二時半頃と思いますが、戻ってきたんです』

(中島いくさんは、この日は旭町ガードをくぐって間もなくのところにある荒神様の祭りがあったことに触れ、道端に出ている店々を見て、ふたたび「ガードのほうに向かって、道路の左側を歩いてきたのでした」とつづけている。そして善枝さんを見たときのことを次のように述べている)

『三、するとガードの下には、どこの人かわかりませんが、紺色の新しい学生服を着た、丸顔でふっくりした顔のオカッパ姿の白いソックスをはいた、草色の婦人車で前にビニールのかごのついた自転車を、ハンドルを持って立っている女の子がいたのです。その女の子は、ガードの壁にくっつくような格好で荒神様のほうを向いていましたが、自転車の荷台には色は記憶にありませんが鞄をつけていたようでした。私はその姿を見て長女が六年生ですが、高校にでも行くようになったら、この人のように新しい自転車や学生服を買ってやらなければならないのか、大変だなと思いながら、ジロジロと見ながら通ったものですから、その人は少し顔をそむけましたが、私はその格好からして、雨具も持っていないし、頭にも何ものせていず、服や顔等がたいして濡れてもいないし、自転車で走ってきて雨宿りをしているのなら顔や頭をハンカチか何かでふくのが普通ですが、そんなこともしてなかったところからして、誰か知り合いの人でも待っているのかなというような感じでありました』

(中島いくさんは、この供述をした日の前日に、夜のテレビのニュースで善枝さんの葬式のところが出て、いままでの笑っているときの写真とちがう写真が出たのを見て、「ああ、あのガード下で出会ったのは善枝ちゃんだったと思い出したのでした」といっている。

    ただ中島いくさんが善枝さんに旭町ガード下で会った時刻は、「三時二十分頃ではなかったかと思います」といっていて、その時刻の割り出し方から考えても、この時刻は級友=中根敏子さん、相沢先生の明らかにしている時刻の正確度にくらべて、かなり正確さを欠いているといえるのである。中島いくさんは、「善枝ちゃんはガード下に私が通り過ぎるまで動かずそのまま立っていました」と述べている)

                                            *

    時刻の正確度は別として、この中島いくさんの供述は具体的かつ詳細である。これは例えば、学生服を着用し自転車を持つ中田善枝の姿を自身の娘に重ね合わせたことによる、目や耳などの五感からの感覚の入力、また、やがて娘への学生服や自転車の購入などが予測されることに伴う不安感、またその強い感情や重要性の連動による刺激を受けた結果の強烈な記憶定着に起因するものであろう。

                                            *

    忘失した記憶二点のうち一点目は明らかになり、だいぶ精神状態が安定してきた。残るは一点に絞られるのだが、記憶している限りの内容をいえば次のとおりである。

    被害者=中田善枝が殺害され農道に埋められたとされる深夜頃、この農道付近に住む主婦Aが、寝ていた子供に用足しをせがまれ目を覚ました。すると遺体埋没地点の周辺に点在する家の番犬が吠え出したという。この番犬が吠える声は、あたかも農道を誰かが移動していく様子につられて、他家の番犬も吠え出していったということである。

    この記述を老生は確かに読んでいるのであるが、それをいくら探しても見つからないのだ。そして何故ゆえこの記述のみ記憶しているかといえば、上述した主婦Aの証言は、五月一日深夜、紛れもない犯人が、遺体を埋め終え農道を移動している様をにわかに思い起こさせており、この狭山事件に「恐怖心」という新たな感情を抱かせ、まるでトルーマン・カポーティ:「冷血」の導入部に匹敵する迫力をもたらしているからである。