アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 1495

    相変わらず本日も、弘前大学教授夫人殺人事件の真犯人について触れてみたい。おことわりしておくが、以下の文章は昭和四十六年頃に発売された古い週刊誌記事に基づいている。

                         【真犯人=滝谷福松】④

    いま触れている弘前大学教授夫人殺人事件であるが、参考にしている古い週刊誌が発売された昭和四十六年の時点では、那須隆は再審請求の準備段階であり、滝谷福松は「真犯人は私だ」と名乗り出たという状況となる。つまり、那須は無実を証明できておらず、滝谷も真犯人と認定されていない状態である。この状況下で、学習院大学の香川達夫教授は、以下のように述べている。

(写真は香川達夫教授)

「① 犯人とされてきた那須さんを救う道は、再審しかない。『過ちを改むるに憚(はばか)ることなかれ』として設けられたこの制度も、実際の運用となると、必ずしも簡単にはゆかない。再審を請求できる理由自体に制限があるし、仮にその理由があっても、元々この制度自身が、前に出た有罪判決をひっくり返すための制度であるだけに、その要件はきびしく定められている。

    もっとも、那須さんの場合、滝谷さん自身が真犯人であると名乗り出ているので、再審の理由はあるといえよう。ただ問題は、滝谷さんの言い分だけでは十分でなく、それを具体的に裏付ける証拠が必要である。二十二年前の事件を掘り返して、どこまでもってゆけるか、担当弁護士の苦労が思いやられる。

    加えて再審手続きの場合、まず請求の理由の存立が判断され、理由ありとされて、はじめて内容に入るといった二段構えになっている。そして再審請求の大部分は、前者の段階で、いわゆる門前払いをされているのが通例である。過日亡くなられた、いわゆる昭和の岩窟王が、青天白日の身になるまでには、実に五十年の歳月が流れ去ったことを思えば、再審の壁は厚いと言わざるを得ない。何でもかんでも再審でやられてはかなわない、とする気持ちもわかるが、旧刑事訴訟法時代から変わらない、再審制度そのものの反省が、そろそろやってきたのではなかろうか。

② ともあれ、仮に再審の結果、無罪とされれば、国はその旨を新聞等に公示しなければならない。ただ無罪となり公示されたとしても、那須さんが、長期間刑務所で服役してきたという事実は変わらないし、また変えようもない。こうした、いわれ無い苦痛に対する償いは、目下のところ国を相手取って損害賠償を請求するか、刑事補償を求めるしかない。

    前者であれば、請求額に制限はないが、後者なら一日の単価が六百円以上千三百円までと制限される。現実に身体の拘束を受けた日数に、既述の単価を乗じたものが補償額である。そしてその実情は、最高単価が基準となる例はめったになく、多くは最低単価に若干の金額を上乗せした単価で算定されるのが通例である。

    過去二十二年の長きにわたって、国から、そして世人から、殺人者として扱われ、有形、無形の迫害を受けた那須さんが、今ようやくその泥沼から脱出できようとしているとき、補償額の計算などして非常識なと言われそうだが、私の言いたいのは、金額であるよりも、むしろ受けた苦悩に対する補償が、いかに微々たるものであるかを知ってほしかったからである。

    最初にこの事件を担当した青森地裁弘前支部が、血液の一致だけで、有罪とするわけにもゆかないとして、無罪に踏み切った勇断が、なぜ二審で維持されなかったのか。科学に対する過信が人生を変える事例は、なにもソユーズ11号事件に限らなかったようである。

③ 他方、滝谷さんについては、すでに時効も成立しているので、たとえ本人の言うとおり真犯人であっても、法律上は手のくだしようがない。それなら、逃げ回っていたほうが得といった感じを持たれようが、時の経過を考慮にいれ、その事件に対する社会的影響の微弱化を考えて、時効制度がある以上、それは致し方ないところである。時効期間の経過により、罪を免れた例は滝谷さんだけではない。

    ただ、那須さん自身も語っているように、この事件そのものが、昭和二十四年八月に行なわれている、当時は新旧両刑事訴訟法の切り替え時であった。新しい訴訟法に馴染まない捜査当局が、いわゆる初動捜査の段階でミスを犯したという事実は推測するにかたくない。十分その危険性があり得たとする点では、すでに新聞紙上を賑わした当時の著名事件と共通した点を持っている。

    ただ後者が華やかに取り扱われ、それが原因であるかどうかの詮索は別にして、ともかくも事前に救われたのに対し、そうした機会に恵まれず、服役するほかなかったとするなら、明暗を異にした点については考えさせられる問題もある」

                                            *

    現在は西暦2026年(令和8年)であり、本件が冤罪事件であったことは周知の事実だが、この当時に書かれた記事からは、那須隆、滝谷福松、そして弁護人などの関係者の、今後の行方への期待と不安が感じられ興味深いものがある。情報源としての古い週刊誌は、そういう点で侮れないのである。

    

    

    

狭山の黒い闇に触れる 1494

    さらに引き続き、本日も弘前大学教授夫人殺人事件の真犯人について触れる。おことわりしておくが、以下の文章は昭和四十六年頃に発売された古い週刊誌記事に基づいている。

                            【真犯人=滝谷福松】③

                                凶器について。

    当時の公判廷では、「細い鋭利な刃物による刺し傷」と認定されただけで、凶器自体は未だに発見されていない。この点について真犯人を名乗る滝谷福松は「ヤスリで作った長さ約二十五センチ、幅三センチの手製のナイフで突き刺し、市内の映画館の便所に捨てた」と重大な証言をした。

    弁護団は、古畑鑑定に対抗できる唯一の物証として、凶器発見に全力を注ぐことを決めた。というのも、滝谷がいくら声を大にして「私が真犯人だ」と叫んでも、凶器が発見されない限り、那須隆の冤罪は晴れないのである。

    南出弁護士に連絡する前、滝谷はM(注:1)と一緒に映画館へ証拠品捜しに向かったが、すでにこの映画館は無くなっており、ガソリンスタンドへと変わっていた。

「罪をかぶせて本当に申し訳ない」と、涙ながらに語る滝谷の告白を聞いた南出弁護士は、それでも滝谷が金目当てではないかと、独自の調べを続けた。

「侵入経路、とくに正面の勝手口から入ったくだりなど、真犯人にしか分からない高杉宅の様子を詳しく知っている。それに何度話を聞いても同じことをいう」

注:1「M」=滝谷が宮城刑務所に服役中、同房だった男。このMの父親の知り合いが南出弁護士である。

                                            * 

    ところで、こういった冤罪事件が起きた場合、残された被害者の関係者らは複雑な思いを抱くことは当然である。妻が殺された弘前大学教授=松永藤雄氏は次のように述べている。

「二十二年前のことを、今さらという気持ちです。テレビでこのことを知ったとき、直感的に嘘だと思った。私はあの事件の公判をほとんど傍聴したが、古畑鑑定が決め手になったのだから、学問的根拠は堅いと思われる。いずれ再審で真相が解明されるであろうが、もし、私が証人として出廷を求められるならば、法廷で出来る限りの協力をしたい。今は勘で物を言うことを控えるが、真犯人と名乗る滝谷さんという人の名は、事件当時にも聞いたことがある(滝谷さんは容疑者として当時、警察で調べられている)。警察では滝谷さんについて、当時、厳しく追及したということだったが・・・・・・」

    また、山本元弘前署長も"真犯人"の出現に冷たい。

「あの程度の演出は、現場近くに住んでいる者にはすぐやれることだ。とくに問題はアリバイ。何回も変わって、検察庁へいっても変わる始末だ。一番最後は公園のベンチで星を眺めていたという。その姿は誰も見ていない。滝谷さんが今ごろ名乗り出るなんて、理解に苦しむ。まあ、当時の新聞は事件を詳しく報道しているので、それを見れば演技も可能なわけですよ」

 

    滝谷福松は体力的に弱く、絶えず刃物を持ち歩く不良少年であったが、小細工のきく人間で、今回も彼一流の芝居ではないかと疑う人もいる。また、M氏は仙台の暴力団の組員で、今年(注:昭和46年)の二月頃から青森のテレビ、新聞社にネタを売り込みに来ていた、という噂もある。「不純なものを感じますなあ」というのが、地元記者たちの意見である。

    当時の捜査にあたった関係者や友人のM氏を知る宮城県警の刑事たちも、当然とはいえ、滝谷の告白には懐疑的である。

    事件当時の新聞や捜査資料などを見ると、那須隆が犯人としてクローズアップされたきっかけは警察犬からという。弘前署は犯行翌日、警察犬に犯人を追わせたところ、井戸のまわりを一回りしたあと、那須隆宅のとなりの家の門の前で止まった。門を開けると笹藪に飛び込んだ。

    その薮から血痕らしいものが検出され、アリバイのはっきりしない那須の行動を監視したところ、血の付いた白いズック靴が見つかり、さらに洗ってあったシャツが押収された。

 

「滝谷福松は長い刑務所暮らしをしていただけに、ちょっと偏屈なところもある。それに、Mの親父を私はよく知っているが、Mはちょっとやくざっぽいところのある人間だが、テレビに出演したりするときも、金目当てなら承知しないぞと言ってやった。滝谷の話は動機といい、全面的に信用できる」

    南出弁護士は、かつて青森地検の次席検事を務めた人である。滝谷の告白には、容疑者を取調べるとき以上の熱意をもってあたったという。(続く)

                                            *

    ところでまったく話は変わるが、老生は大藪春彦という作家と、松田優作という俳優の信奉者である。ここで、ちょっとだけ俳優=松田優作に関する情報に限り触れてみる。

    松田優作の出演作品を調べていると、彼の俳優活動の初期に、児童向けの教育映画、「ともだち」という作品に出演していたことが判明した。しかし二、三年前まではこの情報に伴う映像・動画の存在は皆無であり、よほどの機会がない限り、それを目にすることはできないと諦めていた。

    ところが先日、youtubeを閲覧中、この「ともだち」という映画が無料で閲覧可能となっていることを知り、さっそく見てみた。

    児童向け映画ゆえ、主人公は小学生たちであるが、そのクラスを受け持つ担任教師として、地井武男が出演している。

    主人公の父親役を演じるのはこの方である。失礼ながらお名前は失念したが、昭和のドラマには欠かせない俳優である。

    主人公(少年)の父親が営む「大黒屋給食センター」に、ワゴン車が荒っぽい運転で帰着する。

    案の定、運転手は松田優作であった。しかも給食という、食べ物を扱う業種にも関わらず、くわえタバコを決めている。

    この映画での松田優作の役は、給食センターの配送者および、主人公少年に声をかける程度の配役となっている。

    途中、退屈になり映画の閲覧を中止しようとしたところ、奇跡が起こる。この女優は原田美枝子ではないか?主人公の少年の姉という配役であるが。

    地井武男と主人公。

    松田優作と主人公。

 

 

    忘れてはならないのは、主人公の少年が、病弱の同級生少女を気にかけているのだが、その少女の父親として「長さん」が出演していることである。こうして見ると、この映画は児童向けとは思えない贅沢な配役がなされていることに気付く。

    エンドロールに松田優作の名前を確認し、本日は安らかに寝床についた。

狭山の黒い闇に触れる 1493

    引き続き、弘前大学教授夫人殺人事件の真犯人について触れる。

                            【真犯人=滝谷福松】②

    滝谷は出所後、弘前大学教授夫人を殺害したのは自分だと名乗り出たが、なんとマスコミにも登場し世間を驚かせた。以下の文章(カギカッコ内)は、当時の週刊誌が滝谷に対し行なったインタビューである。

                                            *

    「もうずいぶん、古いことなので記憶はだいぶ薄れたが・・・・・・。

    夏の暑い夜だった。急に"おさわり"したくなり、ミシンの修理に行ったことのある高杉さん(注:1)の離れに、若い女がいるのを思い出して忍び込んだ。くぐり戸が開いていたので中に入ったが、突き当たりの勝手口の戸が閉まっていて、どうしても開かない。庭を横切って離れに回った。

    離れには、蚊帳を吊って女が寝ていた。しめた、一人だけだなと思い、縁側から上がり込み、蚊帳をまくってはいり込んだ。女は右のほうを向いて寝ていた。その左わきに、小さな子どもが一人寝ていたので、がっかりした。

    思い切って、胸のあたりを触ったら、起き上がってきたようなので、とっさにヤスリで刺しすぐ逃げた。門のところまで走ったとき、離れのほうから"泥棒!"と叫ぶ声を聞いた。血の付いたヤスリを持ったまま、隣のうちの井戸のところまで逃げた。慌ててヤスリを洗って、持っていたぼろきれで包み、走って家まで逃げて帰った。その途中、自転車に乗った男に出会った。

    うちに帰って手を洗いそのまま寝て、翌日、怪しまれないように百石町の大和松竹映画館の二階左側便所の中に投げ捨てた。

    凶器に使ったヤスリは、長さ二十五センチ、幅三センチ。ヤスリを自分で加工して、ドライバー用の柄を付け片刃にして匕首(あいくち)のように鋭くした。

    刺した女のそばには、お婆さんが寝ていたとは気が付かなかった。子どもも、暗くて男か女かよくわからなかった」

    二十二年間の胸のつかえがおりたように、滝谷はカセットテープの半分ほどを、一気にこう喋ったという。

(注:1=「高杉」とは事件当時、教授一家が身を寄せていた離れの所有者。教授は東北大学に勤務していた頃の患者宅の離れを借りていた)

 

    「自転車に乗った男に会った」など、当時の新聞記事にも出ていない話であり、那須隆は冤罪で、滝谷福松こそ真犯人に間違いないと信じた南出一雄弁護士は、友人の弁護士たちと相談し、那須隆の弁護団を編成、再審申立ての準備を始めた。

    南出一雄弁護士のコメント

「いま、事件当時の詳しい記録などを入手したいと、青森県弘前支部に資料があるかどうか照会している。二十二年前の事件だけに、いくら調べてもこの告白のほかに新しい物証が出てくる可能性はほとんどない。しかし、逮捕された当時の那須さんの供述を、新しい角度からもう一度検討すれば、矛盾したポイントはきっと見つかる。それに事件当夜、真犯人の滝谷福松と出会った自転車に乗った男、新聞やテレビで告白を知った弘前の市民が、思い出して名乗りをあげてくれるのではないかと、万一の望みに期待をかけている」

                                            *

    ここで、のちに無実となった那須隆がなぜ犯人とされたのかについて触れるが、それは血液と凶器である。

                                       【血液】

    事件当時、那須が着ていた旧海軍の白色開襟シャツとズック靴に付着していた血痕が、被害者のものと一致したことが唯一の決め手となった。この鑑定を担当した古畑東大教授は、血液に関しては世界的な権威であった。

    証言台に立った古畑教授はこう述べた。

「被害者と同じ血液型を持った人は、他にもいると考えられるが、確率論を応用した場合、シャツの血がすず子さん(被害者)のものである確率は九十八.五%である」と。

    本件において最初に衣類などを鑑定した、弘前大学医学部法医学主任=引田一雄(六十九歳)は当時を振り返って、

「私が鑑定したとき、被疑者の衣類には血痕はなかった。決め手になった、といわれるズック靴に褐色のシミがあることはあったが、決め手にはならなかった。その後、警察が衣類を引き揚げた。あとで、古畑さんが鑑定したのは別の衣類なのかなと思った」

    が、当時の弘前署長=山本正太郎(六十三歳)はこれに対し、

「肉眼で見えるほど、はっきりした血痕があった。引田先生のところから被疑者の衣類を引き揚げたのは、警察庁科学警察研究所で鑑定してもらうためで、他意はない」と反論する。

    この開襟シャツの血は、小豆大のもの。那須は、公判廷で、「シャツは終戦後に旧海軍から放出された中古品で、他人の血が付いたものだ」と主張。事件直後、弘前署から依頼されて鑑定にあたった開業医も、「血痕はかなり古く、ルミノール反応はみられなかった」と証言し、いずれも認められなかった。古畑教授の鑑定は那須の犯行を裏付ける強力な証拠として採用された。

    しかし、一審だけは違った。

「血液の付着した時期が犯行より二、三年前のものであると見てもおかしくないという。一週間前後というのであれば、信憑性を持ったが、鑑定人の中には"これは古い"と言った人もいた。さらに血液が男のものか女のものかの鑑定をお願いしたが、それは現時点ではわからないということだった」

    これは当時の一審裁判長=豊川雅博がNETテレビで語った証言である。しかし古畑教授は現在も「私の鑑定に自信を持っている」と断言するのであった。

                                            *

次回、【凶器】へと続く。

    

 

狭山の黒い闇に触れる 1492

    いつ頃からか昭和の事件、特に冤罪とされた事件を好んで読むようになったが、そのきっかけの一つ、いや一冊となった本に、鎌田慧による「弘前大学教授夫人殺人事件」がある。

    本件は昭和二十四年八月、青森県弘前市で発生し、国立弘前大学医学部・松永藤雄教授の妻が殺害された。同月中に犯人として市内に住む那須隆という青年が逮捕された。だが、二年後の昭和二十六年、青森地裁での第一審は証拠不十分により無罪判決となる。しかしさらに一年後の昭和二十七年、仙台高裁での控訴審では、那須隆に懲役十五年の有罪判決が下された。翌二十八年には最高裁が上告を棄却、那須の有罪が確定した。なお、那須は一貫して無実を訴えていた。

    十年後の昭和三十八年、那須は仮釈放され、弘前市内の大衆浴場に勤めた。

    ところがそれから八年後の昭和四十六年、本件「弘前大学教授夫人殺人事件」の犯人は私だと、男が名乗り出る。男の名は滝谷福松(四十一歳)といった。

    これにより那須は再審請求、紆余曲折を経て六年後の昭和五十二年、仙台高裁で再審無罪判決を得る。

    那須は国家賠償を求め最高裁まで争うが、上告も棄却され全面敗訴となる。平成二十年、那須隆死去。

                                            *

    「弘前大学教授夫人殺人事件」という本は、個人的には鎌田慧の生んだ著作の中でも最高傑作と思っており、ドキュメント作品の手本、見本ともいえるだろう。何度読んでも、そこには常に緊張感が漂うのである。

(右側の単行本は、昭和五十三年十月発行の初版であり、左側の文庫本は平成二年発行の初版である)

                                            *

    ところで、この事件が単なる冤罪事件とは違い、予想外の展開をみせるのだが、それとは、那須が刑務所で服役を終えたあと、真犯人が現われたという点にある。

    滝谷福松。この男が本件の犯人であることは前述したが、このあたりの事情に少し触れてみたい。なお、これから記す文章の情報源は、昭和四十六年頃に発売された古い週刊誌の記事であるが、記事が書かれた時点から、まだ七十年を経過しておらず、著作権の侵害にあたる恐れがある。したがって誌名は伏せさせていただく。

                                            *

                                【真犯人=滝谷福松】①

    事件が起こった昭和二十四年、滝谷はミシンの修理工であり、事件現場から百メートルも離れていない町に住んでいた。ヒロポン中毒および婦女暴行の常習者であった滝谷は事件直後も弘前大病院の看護婦寮などに侵入するなど、二件の強盗傷害で警察に捕まっている。

    教授夫人殺しでも、容疑者の一人にあげられ、逮捕されたとき、事件との関連を厳しく追及されたが、「強盗と殺人が重なれば死刑は間違いないので、必死になって否認した」という。

    ところで、事件とはまったく無関係である那須隆は当然に青森地裁の第一審で無罪判決を受けたが、偶然にもこの昭和二十六年一月の同じ日に、真犯人の滝谷は懲役七年の刑を受けて青森刑務所に服役している(その後もう一度、女性を襲った強盗傷人の事件で青森地裁弘前支部で懲役十年の判決を受ける)。

    服役中、キリスト教を信じるようになった滝谷は、罪の意識におののいたといい、真実を告白しようと決心したのはこのときからである。出所直前の頃から滝谷は、同房の人たちに自身が隠していた弘前の事件の真相を徐々に話し始めた。

    同房の一人に、猥褻本売買で捕まった"M"がいた。「時効の点をはっきりしてからにしよう」とMに言われた滝谷は、仮出所で先に釈放され、仙台の配管会社に勤めながら、Mが出所してくるのを待って相談した。

    Mの父親の知り合いであり、Mの弁護を引き受けた南出弁護士に、Mがまず連絡し、次いで滝谷が真犯人だと名乗りをあげたという。

(続く)

 

狭山の黒い闇に触れる 1491

(和歌山市園部にあった林眞須美さんの自宅は事件後、放火に遭って取り壊され、現在は住民の手で公園として整備されている)

                          【和歌山カレー事件】③

     片岡  健=司会

    白取裕司=北海道大学大学院 法学研究科教授

    小田幸児=弁護士

    高見秀一=弁護士

                                             *

司会=「動機を検察は『他の住民に疎外されて激高した』などと主張しましたが、退けられました。『動機未解明』のままに有罪・死刑という判決は、問題ではないでしょうか」

白取=「動機未解明で有罪にすること自体はありえますが、動機というのは非常に有力な状況証拠です。動機がないなら証拠が一部欠けているということなので、他の証拠はその分しっかりしてないといけません。

    しかし、他の証拠をみても、自白はなく、鑑定に問題はあり、原則禁じられた類似事実による立証をやっている。本件の場合は動機がないなら、全体的な証拠構造が問題です」

小田=「類似事実で犯人性を立証するなら、類似事実とカレー事件は動機も似てないといけないはずだが、カレー事件のほうは動機もわかっていない。そう考えると、証拠の脆弱さを類似事実で埋め切れてないですね」

白取=「人は普通、動機がないと人を殺しません。しかもこの事件の場合、犯人が誰を殺そうとしたのかもわからない。動機がないと真相がわからない事案だけに、余計に、動機なしでいいのかな、と思いますね」

司会=「支障のない範囲で構いませんが、二月二十四日(最高裁)の弁論で、弁護人はどんな主張をするのでしょうか」

小田=「まず、被告人が犯人ではなければ誰が・・・・・・というアナザーストーリーとヒ素の希少性に関する主張です。林さんはヒ素を敷地外のガレージに置いていて、そこはいつでも誰でも入れたということです。なので、真犯人がそのヒ素をカレー鍋に入れた可能性もないとは言えない。実際、現場の周辺にそれらしき人もいる」

高見=「それに、林家にあったヒ素は、中国から輸入されたドラム缶六十缶のヒ素のうちの一缶とされていますが、残り五十九缶の行方は全然わかっていない。五十九缶のどれかが事件当時に和歌山にあった可能性もないとは言えません。

    あとは、林健治さんが被害者と認定されている殺人未遂事件ですが、『ヒ素は自分で飲んでいた』という健治さんの証言は嘘で言える内容ではない。それに何度もヒ素中毒に陥っていたこと自体がヒ素は自分で飲み、自分の症状の原因を知っていたからだと主張します」

                                            *

    さて、ここからはカレー事件が発生した当時、週刊誌が報じた誤報を見てみたい。

◯『週刊ポスト』が98年9月25日号で、「ある人物がカレー鍋に何か混入する決定的な現場を見たという女子小学生が存在する」旨の「警察庁幹部」名義のコメントを載せているが、そのような目撃証言は存在しない。

◯『週刊文春』が98年10月15日号で、「眞須美被告人がカレー鍋の周りをウロウロし、周囲を見渡すような素振りをしていたと複数の主婦が証言している」旨の「さる捜査関係者」名義のコメントを載せているが、そのような証言は法廷に提示されていない。

◯『週刊新潮』が98年10月29日号で、「眞須美被告人がカレー鍋の見張りをしていた時、自分の子供から"何か"を受け取り、ゆっくりとした動作でカレー鍋に近づいていった」という場面を目撃した女子高生が存在する旨の「捜査関係者」名義のコメントを載せているが、この女子高生はそのような証言はしていない。

◯『週刊宝石』が98年10月29日号で、「眞須美被告人がカレー鍋の周囲にいた時、男が何か持ってきて眞須美被告人に渡した。その後、眞須美被告人はカレー鍋のフタを取り外し、お玉のようなものでカレーをかき混ぜた」旨の目撃証言が存在するかのように報じているが、そのような証言は存在しない。

◯『週刊朝日』が98年11月20日号で、「眞須美被告人が、調理場の前の駐車場に借りている倉庫の辺りをうろうろしていた。その時、亜ヒ酸が付着していた紙コップと同じような感じの紙コップを手にしていたらしい」という「捜査関係者」名義のコメントを載せているが、そのような目撃証言は存在しない。

◯『週刊読売』の98年11月22日号に、「犯行に使われたとみられる紙コップから検出された指紋は、"ある人物"の指紋と70%近い部分で一致する」という旨を思わせぶりに語る「ある捜査関係者」が登場するが、この紙コップから眞須美被告人の指紋は検出されていない。

◯『週刊ポスト』が98年11月27日号で、林家の台所から「亜ヒ酸が付着した空き缶」が発見されたという旨を報じるが、そんな物証は存在しない。同じ記事中に、林家の台所で見つかった「ヒ素反応が検出されたタッパー容器」に眞須美被告人の指紋が付着していた旨の記述もあるが、この容器から眞須美被告人の指紋は検出されていない。

◯『読売新聞』98年12月7日付夕刊や『毎日新聞』98年12月7日付夕刊など、各紙の紙面で何度も「眞須美被告人が紙コップを持ち、カレーが置かれていたガレージに近づくところを見た」旨の目撃証言の存在が報じられるが、この証言は法廷に提示されていない。

◯『毎日新聞』98年12月7日付夕刊で、「眞須美被告人がカレー鍋の置かれたガレージに一人でいた際、鍋周辺で白い煙のようなものが上がった」旨の目撃証言の存在を紹介した上で、その白い煙が「亜ヒ酸の粉末」である可能性を指摘しているが、その可能性はゼロである。

                                            *

    まあ、凄まじいほどの林眞須美さんへの一方的な犯人視である。その勢いは荒れ狂う土石流のごとしであり、老生も近年まで眞須美さんは犯人であると信じて疑わなかったものである。

    暇さえあれば冤罪関連の本を読むようになった今、ようやく自身の頭で考えることが可能になってきた。直近の裁判で気になっている事件は、「餃子の王将」社長殺人事件の行方、つまり判決であるが、検察側は被告人の犯人性を、ほぼ状況証拠のみに頼っている点からみて、常識的に判決は無罪となるだろう。

狭山の黒い闇に触れる 1490

                          【和歌山カレー事件】②

     片岡  健=司会

    白取裕司=北海道大学大学院 法学研究科教授

    小田幸児=弁護士

    高見秀一=弁護士

                                             *

司会=「科学鑑定により『林家などから発見されたヒ素』と『カレーに混入されたヒ素』を同一だとした認定も有罪の決め手になっています。しかし、捜査段階で鑑定にあたった東京理科大学の中井泉教授が起訴前に鑑定結果を公表し、『悪事を裁くために鑑定した』旨を公言したことなどから、一、二審では鑑定人の中立性の有無が問題になっていますね」

小田=「中井さんを警察に紹介した山内博さんという鑑定人も、テレビ番組でヒ素を使って実験をして見せたりしていた。鑑定は公平だったのか、という疑問は拭えない。実際、中井さんは鑑定の途中で警察官に追加でヒ素を持ってこさせるなどし、有罪の証拠が厚くなるようにしていましたし」

白取=「法律家がよく言う理屈に、『裁判は公正ではないといけないのはもちろんだが、公正らしくないといけない』というのがある。そうでないと国民や被告人が納得しないからです。本件の二人の鑑定人のように、著しく公正を疑わせるような例はかつてなかったし、裁判所には『許せる限界を超えている』という判断をしてほしかったですね」

高見=「鑑定嘱託の経緯にも問題は多かったです。例えば警察は、中井さんに口頭で鑑定を依頼しただけで鑑定資料のヒ素を届け、後日に鑑定嘱託書をつくっていた。つまり文書で鑑定事項を明確にせず、中井さんに自由裁量で鑑定をやらせていた」

白取=「鑑定嘱託の依頼を文書でしないといけない決まりはないのですが、口頭ですると、鑑定嘱託から外れた鑑定がなされたかどうかのチェックができない。極端な言い方をすると、警察が『被告人に何か不利な結果をつくってくれ』と鑑定人に頼み、出てきた鑑定結果に合わせて鑑定嘱託書を書くこともできますから。上告趣意書では、鑑定資料の捏造説も弁護人は主張していますね」

小田=「例えば、林家の台所の流し台の下から見つかったとされる『ヒ素の付着したポリ容器』は、林家の人は誰も見覚えがないんです。しかも、九十人くらいの捜査員による家宅捜索で最初の二日は見つからず、三日目に発見されたことなどが不自然じゃないかと主張しています」

白取=「それは不自然ですね」

 

司会=「犯人性の立証には、カレーが提供された夏祭りを開催した現地の住民たちの証言も使われています。例えば、現地住民の中に犯人がいることを前提とし、住民らの証言による消去法で犯行機会が林眞須美さんにしかなかったとした立証・認定の手法に問題はなかったでしょうか」

白取=「『この中に犯人がいる』というと推理小説みたいですが、消去法の立証自体は悪くはないです。問題は『この中に犯人がいる』という前提が本当に成立するのか否かです」

小田=「夏祭りは、現地住民以外の人も来てますからね。それと、裁判の認定では、現地住民たちの証言によって犯行時間帯が十二時二十分頃から十三時頃とされ、その間にカレー鍋の周りで一人になれたのは眞須美さんだけだとされたが、犯行時間帯の絞り込みが正しいかも疑問です」

高見=「初期報道では、裁判の認定ではすでにカレーにヒ素が混入されていた十四時頃にカレーを味見した人もいたことになっていたんです。それに犯行時間帯とされた以外の時間帯なら、眞須美さん以外にも鍋の周りで一人になった人はいるんです」

小田=「現地住民の証言に関しては、捜査にも問題がありました。警察が実況見分で住民たちを一堂に集め、事件当日の状況を再現させていたことです。それだけでも住民たちの記憶が変容する恐れは大きいのに、その際に警察は時系列表をつくり、各住民の証言が相互に矛盾しないようにまとめていた。そんな捜査をしていたというだけで、本来なら住民たちの証言に証拠能力はないですよ」

白取=「『小さな集落の中の誰かが犯人』という状況でそんな捜査をしたら、住民の記憶を変容させる効果は大きかったのでは、とも思いますね」

高見=「そんな捜査の問題もあったから二審では、捜査員たちが捜査で使った聞き取り書きの開示を求めたんです。そこには、捜査の影響を受ける前の住民たちの初期供述が出ているはずだから。しかし、証拠開示命令の申立ては簡単に蹴られてしまった。大阪高裁は、一審の有罪判決が崩れるような余計なものは見たくないという姿勢がありありでした」

司会=「林眞須美さんがカレー鍋の周りでウロウロするなど、不審な行動を目撃したとする女子高生の証言も有力な有罪証拠とされていますが」

高見=「年齢的に幼かったこともあると思いますが、彼女は証言中に前につっぷしたりとか、マイクをいじったりとか、法廷では途中から著しく集中力をなくしていましたね」

白取=「一般論ですが、そういう態度の証人の証言は、一般的に証明力が低いといっても良いですよね。証言を嫌がるのは、調書にとられた供述内容に十分得心していないからかもしれませんし」

高見=「それに、彼女の供述はすごく変遷しているんですね。例えば、捜査段階で最初は目撃場所を『自宅の一階』と言っていたのに、途中から『自宅の二階』になったりとか」

白取=「彼女の証言については、その点が一番気になりますね。見たものや見た時間が変遷するならまだいいのですが、見た場所が一階から二階へと変わるというのは、かなり不自然な印象を受けます」

(続く)

狭山の黒い闇に触れる 1489

    先日、猛暑の中、東京・高円寺の西部古書会館で開かれた古本市で、週刊誌一冊を入手した。平成十七年に五百円で発売されたこの雑誌は、その古書価を百五十円にまで下落させていたが、しかし内容は価格を上回っていると思え購入した。何しろこの手の週刊誌は、読み終えたら捨てられる運命にあるため、内容によっては入手しておいた方が、のちに後悔せずに済むことにつながるのである。

    内容によっては、と今言ったが、この古い週刊誌に百五十円もの大金を払い購入した理由は、和歌山カレー事件の冤罪性に触れているからであった。

    この事件は当時、老生はリアルタイムで報道を目にしていたが、中でも刺激的に写った光景は、林眞須美氏が、自宅へ取材に訪れた報道陣に対しホース水を浴びせるという姿であった。

    言うまでもなく煩悩の固まりである老生は、こういった報道映像を目にし、「これは間違いなく林眞須美による犯行である」と思い込んだのである。当時の、マスコミ報道を見た一般人は、おおむね、このような感情を抱いたことは間違いないだろう。還暦を迎え、今でこそ冤罪という言葉には即座に反応してしまう身になったが、若い頃はそんなものであり、関係各者には、冤罪の問題をより分かりやすく若年層へ伝えるべく、そのアプローチの方法を模索していただきたいものである。

    この週刊誌は、1998年に発生した事件から11年後となる2009年に発売されているが、すでにこの頃から、本件の犯人とされた林眞須美さんに対して冤罪性が疑われ始めていたことがわかる。

    本日はこの古い週刊誌の記事をのぞいてみたい。

                                            *

                               【和歌山カレー事件】①

    1998年7月25日に和歌山市園部で開催された夏祭りで、ヒ素が混入されたカレーを食べた67人が死傷。同年10月に保険金詐欺などの容疑で逮捕された林眞須美被告人は2度の再逮捕を経て、同年12月にカレー事件の容疑で逮捕。2002年12月に一審、2005年6月に二審で死刑判決を言い渡されたが、カレー事件については一貫して否認し、上告している。

                                            *

     片岡  健=司会

    白取裕司=北海道大学大学院 法学研究科教授

    小田幸児=弁護士

    高見秀一=弁護士

司会=「自白などの直接証拠がないこの事件の裁判では、林眞須美さんが保険金目的で夫や知人にヒ素や睡眠薬を飲ませていたとされる二十三件の別件の疑惑が『類似事実』とされ、有罪の状況証拠にされています。この点に、白取教授は一審判決が出た時に疑問を呈していましたね」

白取=「類似事実による犯人性の立証は危険なので、原則許されないんです。検察官が類似事実を法廷に持ち出して被告人はこんなこともやっていると主張するだけで、被告人はいかがわしいという予断を裁判官に与えられなくもないですから。

    何より本件の場合、類似事実とされた二十三件が本当に類似事実と言えるのか否かが問題です。というのも、類似事実とされた二十三件は保険金目的の利欲犯です。しかも仮に被告人が人にヒ素や睡眠薬を飲ませていたのが事実でも、人の命を奪わないように慎重に、計画的に犯行に及んでいたことになると思います。

    一方、カレー事件は粗雑で、場当たり的な犯罪です。動機も誰を狙ったかもわからない。類似事実とされた二十三件とカレー事件は、むしろタイプが正反対の犯罪だと思います」

小田=「類似事実とされた二十三件とカレー事件の類似点は、『どっちも薬物が使われているじゃないか』ということだけですね。しかも二十三件中十二件は凶器とされた薬物が睡眠薬で、カレー事件とは薬物も違います」

白取=「類似事実とされる二十三件の大半は、ヒ素や睡眠薬を飲まされた人たちも保険金詐欺の共犯で、被害者は保険会社でしょう。そこも、カレー事件とは違う。それと、二十三件中十九件は起訴されていないんですね。仮にこの十九件が実は証拠が弱くて起訴できなかったのに、検察官が類似事実として法廷に持ち出すだけで『意味』を持たせようとしたのなら非常に問題です」

高見=「起訴されてない類似事実については、それ自体の立証が許されないとかなり異議を出したんです。起訴事実なら、検察官は『被告人はいつ、どこで、どうやったか』を明確に立証しなければならない。しかし、起訴されてないと、検察の主張は『やったのはいつごろ』という曖昧な感じになり、弁護人は何を防御していいかわかりませんから。

    実際、起訴されていない類似事実の中には、被害者とされた人の『被告人の家で飲み物を飲んだら、眠くなって事故をしました』程度の証言だけで、被告人がその人に睡眠薬を飲ませたと認定されたようなものがある。これは仮に起訴されていたら、睡眠薬の成分まで検察は立証しないと、事実と認定されないですよ」

白取=「起訴されていない類似事実を検察官はほとんど、被害者とされた人たちの供述だけで立証していますよね。物証の裏付けがないです」

小田=「だから検察官は起訴できなかったのでしょうね」

司会=「類似事実とされた二十三件中、六件が一、二審で林眞須美さんの関与や犯行が認められています。しかし、この六件で被害者とされた二人のうち、夫の健治さんは大阪高裁で『ヒ素は保険金目的で自分で飲んだ』と証言していますね」

高見=「二審判決は健治さんの証言を『妻をかばう口裏合わせ』だとして退けましたが、その上で根拠としたのは、眞須美さんの証言が載った新聞や公判調書を弁護人が滋賀刑務所に当時服役中の健治さんに差し入れていたことだけだった。結論が先に決まっていたように感じました」

小田=「一審で黙秘した眞須美さんの二審での証言が一審判決の弱いところを突いていたので、大阪高裁は『後出しジャンケンで信用できない』と決めつけていた。だから、眞須美さんの証言に内容が合致した健治さんの証言も退けたんです。高裁が眞須美さんの証言をもっとまともに検討していれば、健治さんの証言に関する認定も悩むところだったと思う。

    健治さんの証言は非常にリアルで、本当にやった人でないと話せない内容でしたからね。『ヒ素は、耳掻き一杯の量をこうやって飲むんだ』とか、『ヒ素を飲んでしばらくすると、腸音がグルグルと鳴って、"きた、きた"と思う』とか」

白取=「私も公判記録で健治さんの証言を読みましたが、非常に生々しかったですね」

小田=「それと、二審判決は『誠実に事実を語ったことなど一度もなかったはずの被告人が、突然真相を吐露し始めたなどとは到底考えられない』と言っていますが、これは実質的に黙秘権侵害です。一審で黙秘したことを不利に扱ったわけだから」

高見=「裁判官が判決のその部分を読み上げた時は、驚きました。被告人が今まで本当のことを言ってないという証拠なんて、どこにもないのに」

白取=「二審判決のその部分は、問題がないかといえば、大いに問題ですね。黙秘したことを不利にとるのは、自由心証主義でも許されない」

小田=「黙秘権に関する問題は一審にもあった。黙秘権を行使した眞須美さんへの検察官の尋問を裁判所が許したことです。何度も異議を出したが、尋問は二時間くらい続き、二百問くらい尋問されてしまった」

高見=「眞須美さんは検察官の尋問に何も答えませんでしたが、尋問に答えないだけで傍聴人や裁判官は『やっているから、答えないんじゃないか』という心証にいく。黙秘権の意義に照らしても、一審で検察官の被告人尋問が許されたことはおかしい」

白取=「取調べには受忍義務があるとされていますが、被告人が公判廷で証人尋問を受け続けなければいけない義務はないんです。結局、あのような尋問によって被告人は無意味に苦痛を与えられました。一審の被告人質問は、法律的にも説明のつかない、まったく理不尽なものでしたね」

                                            *

    ◯続く