アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 175

4. 太田事件「昭和二十七年一月二十一日、札幌市中央警察署警備課長・白鳥一雄が射殺されて、いわゆる白鳥事件となったことは広く知られている。この射殺された直前の一月初旬、前年末、餅代よこせ闘争を弾圧した白鳥やその夫人、塩谷検事に脅迫のはがきを出したとされているのがこの事件である。当時、北大農学部の講師であった太田嘉四夫は、この弾圧に対して白鳥警部や塩谷検事に面会して抗議し、起訴された者の特別弁護人になっている。太田は共産党員であり、北大職組委員長の経歴もあった。これが太田の状況証拠のすべてと言えよう。太田は四枚の脅迫はがきを出したことを否認している。そこで脅迫はがきと太田を結びつけるものは筆蹟鑑定だけという事件である。ここでは共犯者の供述もない。このような状況で同年四月七日、太田は逮捕されている。同月十八日付で同筆とする遠藤恒義の鑑定書が出ているから、遠藤鑑定人の鑑定結果の事前報告によって逮捕されたと見られる。第一審公判では、伊木寿一と宝月圭吾が脅迫はがきと太田が書いた盗難届やノートを対照して、また同筆とした。そのために太田は、昭和三十二年五月三十一日札幌地裁で懲役六ヶ月、二年間執行猶予の判決を受けた。第二審では高村巌が同筆とした。これに続いて鑑定人となった戸谷富之は、在来の鑑定方法を批判すると共に、筆蹟鑑定に近代統計学(推計学)を導入すべきことを説いた。すなわち、在来の鑑定方法は『稀少性』と『常同性』については殆ど無視し、『相同性』と『相異性』だけを見る『形態的鑑定法』に過ぎない。『客観的な筆蹟鑑定を行う為には、充分な資料と多数の特徴の相関を統計的に分析しなければならない』としたこの戸谷鑑定書には、在来の鑑定人に大きな衝撃を与えた。戸谷は筆蹟鑑定については素人である。その素人の殴りこみを許す程に、在来の筆蹟鑑定には脆弱なものがあったと言わねばなるまい。しかし札幌高裁は、前記状況証拠の他は筆蹟鑑定を唯一の証拠として、昭和三十九年十二月二十六日、被告人の控訴を棄却した。これに対する上告審最高裁第二法廷は、昭和四十一年二月二十一日、『伝統的筆蹟鑑定方法は、多分に鑑定人の経験と勘に頼る所があり、事の性質上、その証明力には自ら限界があるとしても、その事から直ちにこの鑑定方法が非科学的で不合理であるということは出来ないのであって、筆蹟鑑定におけるこれまでの経験の集積とその経験によって裏付けられた判断は、鑑定人の単なる主観に過ぎないもの、と言えないことはもちろんのことである』として上告を棄却した。( 判例時報四五〇号 ) 」以上で、戸谷富之鑑定人による参考資料 : 2 の引用を終える。次回は参考資料 : 3 の引用に入る。                                                                      

f:id:alcoholicman:20220312190857j:plain

(シャッターを押す寸前に横を向くノラ猫。必死に正面のショットを狙い、こちらも四つん這いで挑むが遠くからパトカーのサイレンが近づいてきた。私は素早く現場から立ち去った)