アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 190

「(三)イギリス……イギリスで筆蹟鑑定が裁判に取り上げられたのは十六、七世紀の頃らしい。陪審員制度であるイギリスでは、まだ教育が普及していない当時、字の読めない陪審員に、筆蹟の比較などを提示しても判別する能力がないので、筆蹟鑑定には裁判官が独自の立場で必要を認めると、鑑定人に鑑定を命じた。筆蹟鑑定が裁判における証拠として取り上げられるようになった初期の有名な例はシドニー事件である。自室の棚にあった書類の間から、シドニー大佐が書いたと思われる反逆を企んだ文書が見つかり、それを見たという証人もあって、シドニー大佐は一六八四年に死刑に処せられてしまった。ところが処刑の五年後にシドニーの無罪が法廷で確認されたのである。その誤審の理由として、シドニーを罪ありとした陪審員の答申には、被検文書と照合文書の類似点を挙げるばかりで、それが果たして同一人のものと言えるかどうかの決定的な証明が欠けていた事、また、シドニーが書いたものと信じて用いた照合文書自体にも疑点のある事が挙げられている。イギリスでは、宗教裁判においては比較的古くから筆蹟鑑定が取り上げられていたらしいが、一般法廷でも広く取り入れられるようになったのは十八世紀後半になってからである。ある裁判でビューラ判事は次のように述べている。「被告の弁護人は筆蹟の似ている所のみを挙げても、その文書が被告によって書かれたという証拠にはならないと指摘している。このことは非常に正しい主張である。しかしこの事件の場合には、被告の字に日常接して、よくその筆蹟を知っている人達が、これは被告のものであると言っているので、単なる筆蹟の相似性から結論しているのではない」( Henry Francis de la Motte, 21,                  Howell's State Trial 810 {1781} )。当時のイギリスでは筆蹟鑑定に対する不信は相当強かったため、署名が真正であることを証明する、といったようなごく限られた場合にのみ採用されていたようである」(続く)        

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(肝休日という無駄な時間が無い私は、これで肝臓の疲労回復を遂げる。しじみである。しっかりと身を食べる事で弱った肝臓は強靭な臓器と化す)                            

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(茨城県産と島根県産を食べ比べる。果たして肝臓に効くしじみはどちらなのか)