アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 172

(三)「戦後、筆蹟鑑定で争われた事件をみると、民事事件では尺別炭鉱解雇仮処分事件(労働関係民事裁判例集十四巻六号、労働法律旬報五〇三号別冊)があり、生産阻害文書と言われるものについて、被解雇者と同筆とする高村巌、遠藤恒義、一鷹秀網(注:1)の各鑑定書と、異筆とする古文書学者・伊木寿一、美術史家・藤田経世の各鑑定書とが対立したが、昭和三十八年九月三日の釧路地裁の判決は後者を採った。しかしここでは次の四つの刑事事件における筆蹟鑑定の比重を見てみよう」1. 帝銀事件帝銀事件は、昭和二十三年一月二十六日午後三時すぎ、帝国銀行椎名町支店で行員十六名に青酸カリの溶液を飲ませて、うち十二名を死亡させ、現金十六万四千四百十円位と小切手額面一万七千四百五十円を盗んだ事を中心とする事件である。右の小切手裏目には、すでに受取人の『後藤豊治』の署名と印が押してあったので、翌二十七日、安田銀行板橋支店でこれを現金に替えるとき、犯人が『板橋区板橋三ノ三三六一』と出鱈目の住所を書き添えた。もし筆蹟鑑定が指紋と同視しうるほど確実なものであるならば、これと同一筆蹟の者は有無をいわせず犯人(被告人又はその共犯者)だと決めつけることが出来るわけである。周知のように帝銀事件では指紋を残していない。平沢の自白は別件逮捕後の長い勾留の後の自白である。面通しも筆蹟以上に怪しい。松井名刺も断定することの出来る証拠ではなく、詐欺も状況証拠に過ぎない。結局、事件の頃妻に与えた金の出所や筆蹟鑑定が有力な証拠となる筈の事件である。第二審判決書(最高裁判所判例集九巻七二九頁)によって筆蹟鑑定をみると、捜査中の鑑定人・遠藤恒義、高村巌は小切手裏目の住所の文字と平沢貞通の筆蹟は同一であるとし、第一審鑑定人、東大資料編纂所の所粛(注:2)、高橋隆三は同筆、同所の宝月圭吾は幾多の類似点はあるが同一とは断定し難いとし、京都大学の中村直勝、林屋辰三郎は、すこぶる類似していて、確実に同一とは断定し難いが七分は同一であるとしている。ただ、伊木寿一だけが異筆とした。その他のこの事件の経過については広く知られているので繰り返さない」(続く) ・・・・(注:1 ) 「一鷹秀網」 公判調書の活字が不鮮明であり、そもそも私の視力も危うい。引用した語句が正確だろうか・・・。                       

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(注:2 ) 「所粛」?か。原文の画像をみると・・・。        
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「所粛」であるとして、しかしこの単語の意味をネットで検索したが不明である。ところで、引用した資料に帝銀事件が出てくるとは予想外であった。この事件の犯人は平沢貞通ではなく、旧日本陸軍の特殊な部署に在籍した軍人であった可能性が高い。青酸カリの溶剤の飲ませ方、これが、その部署に所属していた元軍人の証言により、同僚の仕業ではないかと言わしめた。今ここで、私が帝銀事件を語り出すと十万語を超え、トコロテン方式により狭山事件の考察がブログから消える。従って今は帝銀事件には触れないでおく。