アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 199

(六)アメリカの続き……「アメリカでは広く陪審員という一般大衆が判断するわけで、それだけに常に世論に晒されている。これがアメリカにおいて鑑定を独断に陥らせない作用をしているように思う。鑑定料もそれなりに高く、千ドルから五千ドルであって、一年に数件あれば優に普通の生活は保障される。もっともアメリカで常に筆蹟鑑定が満足に行われているかというともちろんそうではない。無実の罪で悲劇的一生を終えたスノードグラスの事件(一九三九年)もその一例である。ミシガン州警察の筆蹟鑑定人スミス巡査部長は、ある偽造小切手の筆蹟はスノードグラスのものと鑑定した。スノードグラスがその小切手を使った当人であるという証人も出て、ある探偵社の鑑定人は偽造小切手の筆蹟はスノードグラスのものではないと言っているのにもかかわらず、結局無実の罪を着せられたのである( ジュロード=フランク著・児島武雄訳〈無罪〉日本評論社)。ドレフュス事件でもこの事件でも、警察・検察庁関係の筆蹟鑑定人は被疑者や被告に不利な鑑定をするものらしい。このシリーズの1で森長氏の挙げられている日本の例でみても、このような傾向はよみとれる。アメリカにおける一つの特徴は、各国に先駆けて筆蹟鑑定を捜査の段階で積極的に採用し始めたということであろう。一八五〇年にハーバード歯科大学卒業のバークマン博士が行方不明になったという事件があった。ところが『私はしばらく旅行するが心配しないでほしい』という文意のバークマン博士の手紙が数通、彼の住んでいたボストン市の理事者に届いた。この手紙の筆蹟鑑定によって、これはバークマン博士の書いたものではなく、同じ医者のウェブスター博士の筆蹟ではないかという事になり犯人が捕まったのである。このような捜査の段階で犯人を捜す上に筆蹟鑑定が役立つことは世界各国で広く認められ、実際に活用されている。しかし、それがそのまま法廷における証拠として価値があるということには決してならない事は言うまでもない」……以上で(六)アメリカの引用を終える。                                                                            

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( 埼玉県某所。警察車両がわんさかと生息していた。更に近づこうとすると、敷地内に設置された可動式カメラがこちらを向き、カシャッと音を立てた。私は撮られたのであろうか)