アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 195

(五)ドイツ……「ドイツ帝国統一が完成されたのは一八七一年である。一八七七年にはローマ法に習って法律が制定された。筆蹟鑑定に関してもこの時かなり精しく(くわしく)法律的に定められ、現在に及んでいる。刑事弁護人としてドイツで有名なヒルシュベルク博士は、彼の著書の『誤判』(安西 温訳)で次のように筆蹟鑑定について述べている。『筆蹟比較の鑑定人は、特に害を招きやすい。筆蹟比較の場合ほど、似非鑑定人が幅を利かせる領域はない。ここにおいても、鑑定人の確信と自負が大きければ大きい程、彼の専門知識は僅かであるという原則が成り立つ』と言って、さらにゾーテックの次の言葉を引用している。『科学的筆蹟学は、三十年ほど前にドイツで初めて採用されたが、鑑定は、まだ古臭い方法でされる。鑑定人の無知が酷いほど、鑑定結果の不正確さも大きい』(R.Saudek,          Experimentelle Graphologie,in Archiv Fur Kriminologie Bd . 83(1928)S. 103ff) 筆蹟鑑定人は一般には、筆蹟の形象的比較のみでなく、インクの質、古さとか、偽造された文書の物理的・科学的解明もしばしば必要になるので、その設備も持つ必要がある。ゾーテックによれば、当時(一九二八年)ドイツで筆蹟鑑定の専門家が百人ほどいた内、数人以外は設備らしい設備も持っていなかった、とのことである(もっとも、いい設備を持っているから、いい鑑定人と言えないのはベーカーも例えているように、スタインウェイ製のピアノを持っていても、上手なピアニストと言えないのと同じである)。ナチス抬頭の揺籃地であったミュンヘンでは特にひどかったらしく、警察当局の筆蹟比較のそのような似非鑑定人が、無思慮な間違いの鑑定結果によって非常に害悪を惹き起したため、遂に司法大臣が国会で『裁判所では、今後そのような鑑定人には一切法廷に入らせないようにする』と言明したそうである」(引用は続く)                                                        

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(某公園で、来園する人々に圧力を与えていたこの狭山の黒い闇ネコが、最近姿を消した。同時に、公園内でのエサやり禁止の立て看板が乱立し、殺伐とした公共施設に成り果てていた)                                                       

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(さらば!黒い闇ネコよ。長生きしてくれ)