アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 173

2.菅生事件「昭和二十七年六月二日午前零時過ぎ、大分県菅生村の駐在所に爆発物を投げ込んだ、本来の菅生事件は、共産党員の犯罪と見せかけるために警察が仕組んだものであったということになり、昭和三十三年六月九日福岡高裁で、被告人: 後藤秀生、坂本久夫らのこの点に関する部分を無罪とし、この第二審判決は昭和三十五年十二月十六日、最高裁判決により認められた。この事件で爆破の日の坂本久夫の自白調書があり、坂本はその成立を争い大分県警: 安達正美を公文書偽造で告訴したところ、逆に誣告で坂本が被告になった事件がある。この供述調書の『坂本久夫』とある署名が筆蹟鑑定せられた。第一審では大分商業の習字教師・平田寿と高村巌が鑑定して同筆とした。平田は対照文書保釈願の『平田久』までは異筆、『男』は同筆であるとの鑑定をしている。高村は公判廷での坂本の署名とを対照している。第二審では国立博物館の是技恭三は異筆であるとし、町田欣一は、高村が対照文書とした公判廷における坂本の筆蹟は、自白調書から六年後に書かれたものであるから鑑定から除外するとなし、また自白調書前の弁解録取書についても坂本はその署名を否認しているが、それは毛筆なので坂本のペン字との対照では異同が明らかでないといって除外し、この自白調書と同じ頃書いた坂本の認める弁護人選任届の署名とは異同不明であるが別異筆蹟の可能性が強いとした。さらに綾村勝次は、同一筆蹟とは断定し難いが相互に甚だ類似点を多く含み、同一筆蹟と認められるほど酷似しているとした。各鑑定人が各別の対照文書によっており、従って錯綜しており右引用は正確を欠くけれども、ただ傾向を伝えるだけである。さらに署名下の指紋は坂本のものとせられ問題をこじらせているが、正木昊弁護人は実験により坂本の指紋を原寸大に写真に撮り、これを亜鉛凸版(銅板でもよい)に仕上げて朱印肉を塗り押印すると、坂本の指紋が作られるとしている。昭和四十年十二月二十四日、福岡高裁は以上の筆蹟鑑定を証拠に坂本の控訴を棄却した。さらに昭和四十一年七月十四日、最高裁は二行の判決文でこの事件の上告を棄却し、大分地裁の有罪判決(懲役八ヶ月)は確定するに至った」(続く)   先日、私は埼玉・所沢古本祭りに出掛け、一冊の古い週刊誌を手に入れた。表紙には「謀略警官ー38年のドラマ」とあり、偶然にも今回引用した資料「菅生事件」の特集であった。事件の全体像を知ると、警察組織の深い闇の存在がよく分かる。背景には当時の、公安による共産党員の排除があり、上記の資料に被告人として登場する後藤秀生、坂本久夫の両氏も共産党員である。駐在所爆破事件の犯人とされた両氏は事件当夜、市木春秋と名乗る男の奸計によって駐在所付近に現れ、そこで爆発が起こり、待機していた百名以上の警官に現行犯逮捕される。現場には何故か毎日新聞記者四名も立ち会っていた。問題は “ 市木春秋 ”と名乗った男の正体である。“市木春秋”は偽名であり本名は「戸高公徳」、なんと現職の警察官であった( 国家地方警察大分県本部警備部・巡査部長 )。戸高は事件直後から行方をくらまし、四年半後の昭和三十二年三月、「東大文学部研究生・佐々淳一」と名乗り新宿のアパートに居住していた所を発見された。発見者は共同通信取材班であり、弁護団共産党員、マスコミが血眼になり “市木”の行方を追っていたのであった。発見されるまでは警察により関連施設に匿われ、全面的なバックアップを受けていたという。戸高は裁判にかけられ、第二審福岡高裁で有罪判決が出されるも、刑を免除される。そして昭和三十四年、警察庁捜査課に復職( 巡査部長から警部補 )、同四十四年、警察大学校特捜幹部研修所教授( 警視 )、同五十二年、警察庁人事課長補佐、同六十年、警察大学技術課教養部長( 警視長 = 警視総監、警視監に次ぐ三番目の地位 )で退職。昭和六十二年、たいよう共済常務取締役に就任と、菅生事件でダイナマイトを運搬した、最終学歴が高卒の男にしては異例の出世を成し遂げた。たいよう共済とは警視庁外郭団体、つまり警察庁天下り先であり、パチンコ業界を牛耳る、アル・カポネも真っ青な組織である。警察部内でのコードネーム「FS6工作」、担当者を示す「A1」は戸高公徳であるこの菅生事件は、でっち上げという点で埼玉の茶所で起きた事件と共通するのではないだろうか。    

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( 写真は朝日ジャーナル1990・3/23より転載。私のコメントも同誌を参考にした) 今回のように過去の日本国における闇歴史を蒸し返すと、国家機関により抹殺される可能性がある。明日からは尾行者に注意しながら過ごそう。