アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 952

【公判調書丁2986〜】

                  「第五十六回公判調書(供述)」

証人=遠藤  三(かつ)・七十歳

                                            *

福地弁護人=「(原審記録第七冊の昭和三十八年六月二十三日付の被告人の供述調書末尾添付の図面(2)二〇五〇丁を示す)この図面に見覚えありますか」

証人=「はっきりとは記憶ございませんがありますね」

福地弁護人=「この図面を作るにあたって被告人は下書きをしたんでしょうか、しなかったんでしょうか」

証人=「記憶ございません」

福地弁護人=「被告人が図面を書く時はどこで書いていましたか」

証人=「机の上の時もあったし、それから畳の上で書く時もあったように記憶しておりますが」

福地弁護人=「どうして畳の上で書かせるんですか」

証人=「いやいや、畳の上の紙が何枚か重なったところで書いたような記憶もあります」

福地弁護人=「机の上で書いたり畳の上で書いたりしたわけでしょう」

証人=「はい」

福地弁護人=「机の上で書くことは分かりますよ、普通机の上で書くでしょう。畳の上で書いたのはどういうわけですか」

証人=「畳の上と言うと語弊がございますけれども、畳の上にただ紙一枚を置いたわけではございません。何枚かとにかく紙を置いた上で書いたわけですから」

福地弁護人=「だからそれは机の上でもできることでしょう」

証人=「さようでございます」

福地弁護人=「それをなぜ畳の上で書かせたんですか」

証人=「それは石川君が書いたんですから、私の方でここに書けとかあそこに書けとかいうような差し出がましいことも無きにしも非ずですけれども、大体机の上ばかりではないです。畳の上というのはどうも変な言葉遣いですけれども、ただ畳の上でなくて、何枚か紙が重なっておってごじゃごじゃが出来ないような状態で書いたんです。そういう風に記憶しております」

福地弁護人=「下敷きを使って書いたようなこともあったようですね」

証人=「あったかも知れません」

福地弁護人=「そういう趣旨の証言を前回あなたはやってますね」

証人=「はい」

福地弁護人=「どういう下敷きを使ったか記憶ありますか」

証人=「セロハンじゃなかったかというような記憶がしますが、しかしどういう下敷きを使ったかということになるとちょっと記憶ありませんけれども」

福地弁護人=「ゴム板を使ったような記憶はありませんか」

証人=「あったかも知れません」

福地弁護人=「この今の二〇五〇丁の図面の上の方にインクで『この辺で自転車をおれが持つと受け取った』という書き込みがありますね」

証人=「はい」

福地弁護人=「そこは三叉路になっていますね」

証人=「さようですね」

福地弁護人=「その三叉路の角に鉛筆でかぎ型に書き込みがありますね」

証人=「あります」

福地弁護人=「ここに限らず、この図面に向かって右側の三叉路の角、その斜め下の角、その斜め上の角、そのほかの角々も、いずれもかぎ型が見えますね」

証人=「はい、見えます」

福地弁護人=「これは誰が書いたんですか」

証人=「石川君が書いたんでしょう」

福地弁護人=「これは警察の方でかぎ型をあらかじめつけておいたんじゃないんですか」

証人=「そんなことないですね、図面そのものはみんな石川君がやったもので、私の方でやった図面は一つもないですから」

福地弁護人=「その図面のちょうど真ん中辺りに『じでんしゃ』という書き込みがありますね」

証人=「はい、ございます」

福地弁護人=「で、線が引っ張ってあって自転車らしい何か略図みたいなのが書いてありますね」

証人=「はい、ございます」

福地弁護人=「その向かって左側に鉛筆で丸い輪が三つ並んでいますね」

証人=「並んでいます」

福地弁護人=「これは何ですか」

証人=「何か記憶ございません」

福地弁護人=「常識的に言って、こういう非常に複雑で精巧な図面を当時の被告人が書けるとは思えないんだけれども、この図面の作成について何かあなた方のほうで指示をしたようなことはありませんか」

証人=「ありません」

福地弁護人=「これは極めて精巧に順序良く書いてありますね」

証人=「はい」

福地弁護人=「警察官だってなかなかこう上手く書けないです」

証人=「・・・・・・・・・・・・」

福地弁護人=「被告人は当初三人でやったんだという自白調書が出来ているんですがね、ご存じですね」

証人=「はい」

福地弁護人=「記憶ありますね」

証人=「はい」

福地弁護人=「この自白をした時の被告人の状態はどういう状態だったですか」

証人=「・・・・・・・・・・・・」

福地弁護人=「記憶がなければ、この三人でやったという自白について、当時あなたはそれを聞いてどういう風に思いました」

証人=「本人の言うことだから間違いないだろうと思いました」

福地弁護人=「そのことについて主任の青木さんと、これは本人の言うことだから間違いないだろうというような話をしたことがありませんか」

証人=「特別その点について相談をしたというようなことはないと思います」

福地弁護人=「そのあと被告人は、一人でやったという単独犯の自白に変わりますね」

証人=「はい」

福地弁護人=「単独犯の自白に変わったのは何日ですか」

証人=「日の記憶はございません」

福地弁護人=「三人共犯説は被告人の言うことだから間違いないとあなたは思ったと、さっき言いましたね」

証人=「はい」

福地弁護人=「単独犯に自供の内容が変わるということになると、これはあなたにとってはちょっとしたショックじゃないですか」

証人=「ショックと言えばショックかも知れませんが、私の今までの状況から申し上げますと、私は人を調べている時には供述内容についてはそのものを一応信用いたします。だから三人でやった場合はそれぞれ責任を分担しなければならんぞという、君自身の責任を負わなければならんぞと、まあ今までの経験からしてそういう風な私は聞き方をしていたわけです」

福地弁護人=「そういうことを石川君に言ったんですか」

証人=「私はおそらく言って聞いてると思います」

福地弁護人=「三人でやったということをあなたが聞いた時にそういうことを石川君に話したと思うと」

証人=「はい、そう思います。まあ思いますと言うと語弊がございますけれども、今まで私はそういう風に聞く場合に、二人でやった場合は二人がそれぞれ責任を負わなければならんのだぞと、石川君の場合であっても三人でやったというんだから、石川君だけの責任を負わなければならんぞというようなことは私言って聞いております。しかしどんな風に細かく聞いたかという点については私記憶ございませんけれども」

(続く)

                                            *

○私は、図面上部に書かれている「この辺で自転車を俺が持つと受け取った」という記載に違和感を感じた。

この二〇五〇丁の図面は甲、乙、丙と、三枚存在しており、図面中央の自転車の位置を指示している字は、いずれもひらがなが用いられている。

(2050甲)

(2050乙)

(2050丙)

ところが図面上部の説明文には漢字で「自転車」と書かれている。

(2050甲)

(2050乙)

(2050丙)

当時、石川被告が書いた図面の文字は、そのほとんどが平仮名によるものであり、漢字による「自転車」という表記は珍しいと言える。さらにこの説明文には「辺」「持つ」「受け取る」等の漢字表現が含まれ、見るからに日常的に文章を書き慣れた者による筆だと推測される。この意見は今回引用した公判記録にある弁護人による尋問に付け加えたいところである。 

公判調書の尋問・供述に目を通していると、やがて気付くことがありこの点も述べておこうと思う。

①「・・・自転車を俺が持つと受け取った」

②「・・・俺が自転車を持つと受け取った」

今回登場した図面には①の表現がなされている。だが我々の日常生活において通常なされる表現は②が一般的ではないかと思われはしないだろうか。確かにこの類いは厳密に区別できる性質のものではないが、いわゆる5W 1 H に照らして見ても、その順序から言って②の方が分かりやすいのである。一方で、裁判記録(公判調書)という書類はその真逆な表現方法で満たされ、日本人が日本語を読もうとしているにも関わらず、それを拒み、理解させない、やがて諦めさせるという文章表現となっている。

話が脱線したが、要するに①の表現は法律に関係した者に多く見られる表現方法であり、「誰が」→「何を」ではなく「何を」→「誰が」という順序表現がなされた文章は、つまり石川被告の筆ではないのではと、松本清張かぶれの老生は推測するのである。