アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 947

【公判調書2977丁〜】

                      「第五十六回公判調書(供述)」

証人=遠藤  三(かつ)・七十歳

                                            *

福地弁護人=「警察官はよく、警察手帳に細かい字でメモを書込みますね。そういうことをやったことはありませんか」

証人=「私の場合、手帳へメモしたことはございません。外へ出て捜査をした場合は別ですけれども、取調べ中に、自分の手帳へメモをしたということは記憶ありません」

福地弁護人=「すると、そういうメモをもとにして、供述調書を清書するんでしょうか」

証人=「はい」

福地弁護人=「すると一旦、下書きが出来るんでしょうか」

証人=「下書きというんじゃないでしょうな、下書きとは別ですね。メモと下書きとはまるきり別です。下書きしたものを清書するというんじゃなく、いわゆる重要なというと語弊がありますけれども、部分的にメモをして、それで最後、聞きながらずっと調書になってくる格好です」

福地弁護人=「それは一般的にそうやっているというお話ですか、それともこの事件で、あなたが立会人として調書に署名している調書についてそういう方法を取ったということですか」

証人=「一般的なことを申し上げたわけです。石川くんの時も同じでございます」

福地弁護人=「罫紙にメモをしたことがあると言いましたね」

証人=「罫紙もあったと思いますし、ざら紙もあったと思います」

福地弁護人=「罫紙というのはどういうやつですか。普通の、縦に線が入っている警察でよく使っている罫紙ですね」

証人=「はい」

福地弁護人=「あなたは、石川くんがポリグラフにかけられたことを知っていますか」

証人=「記憶ありません」

福地弁護人=「聞いたことないですか」

証人=「見たことでしょう」

福地弁護人=「ポリグラフにかけられたことを知りませんか」

証人=「知りません」

福地弁護人=「誰からも聞かなかったですか」

証人=「聞いたことないですな、ポリグラフにかけられたということは」

                                            *

福地弁護人=「(原審記録第七冊一九九九丁、昭和三十八年六月二十一日付 関源三作成の、被告人の供述調書添付図面を示す)この図面に見覚えがありますか」

証人=「見覚えがないと言えば嘘になるかも知れませんが、はっきり記憶ございません」

福地弁護人=「どこら辺の地理を書いたものか分かりませんか」

証人=「分かりませんな」

福地弁護人=「(同記録二〇〇三丁、同日付の青木一夫作成の被告人の供述調書添付図面を示す)その図面はどうですか」

証人=「場所は分かりませんが、図面は記憶ありますね」

福地弁護人=「そこには、説明の字が書き込んでありますね」

証人=「はい、ございます」

福地弁護人=「それ、読めますね」

証人=「はい」

福地弁護人=「それを読んでも分かりませんか。どういう図面だか」

証人=「この図面そのものについて記憶がないというわけじゃございませんが、どうも図面の上だけで、場所そのものについてははっきりと記憶ございません」

福地弁護人=「これは何を説明しようとしている図面だと思いますか」

証人=「図面の上から見ると鞄じゃないかという感じもしますけれども、はっきりしたあれはありません」

福地弁護人=「鞄のありかを説明しようとしている図面のように思うというわけですね」

証人=「じゃないかと思いますが」

福地弁護人=「(同記録二〇〇〇丁、同青木一夫作成の被告人の供述調書の第一枚目を示す)その、右の者に対するというところから、ずっと読んでいくと、取調べた日が書いてありますね」

証人=「はい」

福地弁護人=「そこに午後五時と書いてございますね」

証人=「はい」

福地弁護人=「この調書の作成にあなたは立ち会っておりますね」

証人=「はい」

福地弁護人=「午後五時という工合(=具合。筆者注)に、取調べの時間を示して調書を作成することは度々あることでしょうか、それとも滅多にないことでしょうか」

証人=「滅多にないと思います」

福地弁護人=「滅多にないことがここに書き込まれているわけですね」

証人=「はい」

(続く)

                                            *

○取調べた時刻を供述調書に書き込むことはないはずであるのに、事実として、午後五時という記載がなされていたとのことだが、その理由を証人=遠藤 三はどう述べるのか。

ところで私は、証人の氏名、遠藤 三の『三』が『かつ』という読みであることを第五十六回公判調書を通じて初めて知った。この裁判記録に出会わなければ、生涯知り得なかったであろう。工合=具合も、やはり本日知ったというありさまである。