【公判調書2982丁〜】
「第五十六回公判調書(供述)」
証人=遠藤 三(かつ)・七十歳
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福地弁護人=「腕時計の処理、処分について、被告人はどういう供述をしているか、今覚えていますか。簡単に言うと腕時計をどうしたか、どういう説明をしているか。腕時計の行方についてどういう説明をしたか記憶ありますか」
証人=「道路上へ捨てたと言ったようなことを記憶してます」
福地弁護人=「どういう道路だったという記憶ですか」
証人=「砂利道ですね」
福地弁護人=「どこら辺の道路でしょうか」
証人=「記憶ございません」
福地弁護人=「その道路は、三叉路になっていたという記憶じゃありませんか」
証人=「記憶ありません」
福地弁護人=「十字路だったという記憶はありませんか」
証人=「記憶ないです」
(以上 佐藤治子)
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○末尾に速記録者の氏名が記されている事と、この後に続く尋問の文脈からみて、法廷は一旦、昼休憩に入ったと推測できる。すると、この場へ七回に分けて引用してきた遠藤 三への膨大な尋問は、わずか午前中に行われていたという事に気付き私はめまいを覚えた。密度の濃い、その圧縮されたが如くの問答に対応している証人はある意味で立派である。飲酒が常態化している私などは、油断すると三、四日ボーッと過ごすことも多々あり、今後は証人や弁護人、検察官、裁判官のように気を引き締めた日々を送りたいと一応思った。
ところで彼等が昼食をどこで何を食べたのか、その味はどうだったのか、また喫煙者がいたとすれば、食後の一服はどんな煙草を吸っていたのか、着火にはマッチを用いたか、など、私的興味は尽きないが、引き続き尋問の引用に戻ろう。
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福地弁護人=「午前中に時計の処理に関する被告人の自供についてお尋ねしましたね」
証人=「はい」
福地弁護人=「あなたは砂利道に捨てたという具合に確か証言しましたね」
証人=「はい」
福地弁護人=「その捨てた場所が三叉路であるか十字路であるかは記憶がないと、こういうことを証言しましたね」
証人=「はい」
福地弁護人=「(原審記録第七冊の昭和三十八年六月二十四日付の被告人の供述調書末尾添付の図面(2)二〇七五丁を示す)これは何を説明している図面だか分かりますか」
(この図面は二〇七五丁と、丁数は合っているのだが、日付は六月二十九日であり、図面上のカッコ内の数字は一である)
証人=「これは・・・・・・時計を捨てた場所を示した図面じゃないかと思います」
福地弁護人=「時計を捨てた場所というのはその図面で左の方に説明がありますね」
証人=「はい、あります」
福地弁護人=「ここは三叉路になっているように読めるんですが、そういう記憶ありますか」
証人=「・・・・・・・・・・・・」
福地弁護人=「T字路のように読めるんですが、どうでしょうか」
証人=「T字路というよりむしろ三叉路でしょうね」
福地弁護人=「その図面を見て、被告人が三叉路に捨てたというような供述をしたかどうか、思い出して見て下さい」
証人=「・・・・・・はっきりしませんね」
福地弁護人=「被告人が時計を捨てた場所について、砂利道という程度の記憶しかないんですか」
証人=「ありませんですね、ちょっと記憶しているのは道路上だと思いますが、道路上という言葉を使ったかどうか分かりませんが、いずれにしても道の上だという、そこのところが三叉路であるかT字路であるかは、はっきりしませんが」
福地弁護人=「この図面の上の方にかっこして数字が書いてありますね」
証人=「ええ」
福地弁護人=「その中の数字は何と書いてあるんですか」
証人=「2じゃないでしょうか、分からないですが」
福地弁護人=「2じゃないとすると何でしょうか」
証人=「分かりませんな」
福地弁護人=「全然分からない」
証人=「分かりません」
福地弁護人=「当時の記憶でなくて今見た感じでいいです」
証人=「だから2ですね」
福地弁護人=「右の方に石川一夫という署名がありますね」
証人=「はい、あります」
福地弁護人=「その上に日付がありますね」
証人=「はい」
福地弁護人=「何日と書いてありますか」
証人=「6月29日じゃないでしょうか」
(続く)
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六月二十四日付の被告人供述調書末尾の添付図面には六月二十九日との日付が残されているが、これに何か問題があるのか、私は混乱し、もう何だかよく分からない。先へ進もう・・・・・・。