アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 174

3. 鹿地亘事件「鹿地亘(瀬口貢)事件は、本質はスパイ罪であるけれども、スパイ罪はないので訴訟上では電波法違反事件としてでている。昭和二十六年十一月二十五日、鹿地が鵠沼で散歩中、キャノン機関に拉致されるまでの間、三橋正雄に指示してソ連との間に電波を送受信したとして起訴しているのである。三橋は鹿地の指示を受けてやったと自供しており、共犯者の供述が鹿地事件の証拠にせられている。鹿地は控訴事実を否認し三橋供述を認めない。検察側は、鹿地が連絡のために山下義雄名で新宿局区内から『文京区白山前町四十四、帝国電波株式会社技術部、光橋正雄様』宛で送ったと称する速達はがきと、鹿地が三橋に渡したとする暗号のアラビヤ数字を書いた紙片を証拠としてきた。もしこれらが鹿地の筆蹟だとすると、三橋の供述は真とせられ、反対の場合は三橋は偽証したことになりかねない重要な筆蹟鑑定である。右の内、暗号数字の紙片については同筆としない鑑定人が多数なので、ここでは “ はがき ” についてだけ述べることにしたい。このはがきは紛失したとして、初めから実物は法廷に出されず、裁判所から命ぜられた鑑定人は写真だけで鑑定している。ある者は写真だけあれば十分だといい、ある者は実物がある方が良いといい、まちまちである。捜査中、高村巌は、これと鹿地の認める池田幸子宛はがきや、鹿地がキャノン機関勾留中に書いた手記などを対照して同筆とした。第一審では伊木寿一、名古屋地検採証課・兵藤栄蔵は共に同筆とし、元美校職員・北浦大介は異筆とした。これによって鹿地は昭和三十六年十一月二十五日、東京地裁で懲役二ヶ月、執行猶予一年間の有罪判決を受けた。これに対して鹿地は控訴し、検察官も量刑が軽すぎるとして控訴し、現にまだ東京高裁で審理中である。第二審で、遠藤恒義は同筆と鑑定したが、さらに北大触媒研究所教授・戸谷富之の、在来鑑定法を批判すると予想される鑑定書が出ることになっている」(続く)                          

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