アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 170

(前回より続く) 「もう一つの例は、戸倉健次にかかる窃盗事件である。法曹新聞五十二号(昭和二十六年十月号)によってみると、昭和二十五年五月十八日、戸倉の家では、米穀通帳と印鑑、現金七百円が盗まれたので警察へ被害届を出した。翌十九日、この米穀通帳と印鑑を使って神田の写真機店へカメラを売りに来た者があり、同店では怪しまずこれを買ってウインドウに陳列していた。そのカメラはドイツ製の特徴あるものであった。半月後の六月七日、このカメラは盗品であり自分は被害者であると名乗り出る者があり、捜査は始まった。米穀通帳の年齢は三十八才となっており、その年齢相当の者が売りに来たのであるが、戸倉は二十八才である。そこにおかしなものがあるし、第一、会社員戸倉が本名で盗品を売りに行くことも考えられないのであるが、北沢警察署は戸倉を犯人と決めてしまい、同月二十九日、戸倉を検挙した。警察は、写真機店の主人は戸倉を見て犯人に間違いないと言っているし、写真機店の買上カードに書いたはがき五通の筆蹟も同じだと「有名な人が鑑定している」と言って迫り、戸倉は遂に犯行を自白するに至った。そして東京の渋谷簡裁は同年十一月頃、戸倉を有罪として懲役十ヶ月に処した。戸倉の自白を補強するものは、写真機店の言葉と筆蹟鑑定だけであったのである。ところが戸倉事件の控訴審中の昭和二十六年三月五日、北沢署が窃盗未遂の森雄治の家宅捜索をしたところ、はからずも戸倉の米穀通帳と印鑑が出てきた。その米穀通帳の戸倉の年齢は二十八才を三十八才と改ざんしてあり、森は戸倉の名を騙りカメラを売ったことを自供した。そして戸倉事件のほうは、同年九月二十日、東京高裁で無罪となっている。この事件も種々の教訓を含んでいるが、警察が言った前記、有名な鑑定人とは遠藤恒義のようである。遠藤鑑定人は別事件の法廷で、この事件は一日も忘れたことがないと言い「相当立派な実印で、その実印の重要性に引きずられまして、こんな立派な実印が押してあるのだから、ということになって」誤った鑑定をしたと告白している。この言葉は鑑定人も主観によって動くことを告白するものとして重要である。警察が間違いなく犯人だとみているから、とか、前に三人の鑑定人が同一とみているからとかいった、鑑定人の予断が働かないとは言えないのである」(続く)                                                                         

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