アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 169

「刑事裁判と筆跡鑑定」(二) 「筆蹟鑑定が間違っていたかどうか、正確であったかどうかの問題は、別の鑑定人の筆蹟鑑定によって決定的に証明することが出来ないところに、この問題の困難さがある。結局、別の真犯人が出てきて自白し、その真犯人の筆蹟と対照して、また同一筆蹟と出た時に、前の筆蹟鑑定は間違っていたということになるのである。ひとたび真犯人でない者が検挙せられ誤判により有罪となった場合に、真犯人が名乗り出る筈もなく、捜査当局も解決された事件として顧みないので、別の真犯人がでる場合などは稀有のことである。したがって筆蹟鑑定の正確度は最終的判定をされずに終わっている。松本清張『小説帝銀事件』に引用されて広く知られている事件とは思うが、ここでその稀有な二例を挙げておこう。一つは最高裁判所判例集(第六巻七〇八頁)に出ている被告人・亀川昭政にかかる窃盗被告事件である。昭和二十三年二月六日午後八時五十三分、東京駅発門司行急行列車に編成された郵便車の中に、清水郵便局行きの郵便物があり、その中に『額面 金七万九千四百九十一円の自由小切手、額面七万九千五百円の封鎖小切手並びに送金案内書一通在中の、横浜市中区山下町百六十二番地神奈川県合板販売組合差出、清水市宮加三千五百五十二番地 富士合板株式会社頭宛の“横浜第七百五十七号書留郵便一通”』が入っていた。その郵便物は翌七日午前一時頃、清水郵便局に届いたことになっている。翌八日、静岡市で『富士合板株式会社』の社印と『高尾   隆』の印を注文した者があった。そして十日、静岡銀行清水支店で、右の自由小切手が『清水市宮加三五五二、富士合板株式会社、高尾隆』の裏書で現金に替えられている。数日後にこれらの事が判ったが、六日夜から七日朝にかけての清水郵便局の夜勤者であった同郵便局通信課監視員・亀川昭政が疑われるに至った。印鑑の注文を受けた印刷屋主人のいう人相が亀川と合っているというのであって、状況証拠はこれだけである。後は筆蹟鑑定にかかるわけである。小切手の裏書の『高尾隆』の筆蹟や印鑑原簿書名の筆蹟と、亀川の筆蹟とが対照筆蹟である。他に亀川がアリバイを主張する為の『カ』の字の筆蹟鑑定もあるが煩雑を恐れて触れないことにする。第一審静岡地裁は、民間鑑定人で篆刻出身の遠藤恒義(敬称略、以下同じ)に鑑定させたところ同筆と鑑定されたので、亀川は窃盗として昭和二十三年七月十九日、懲役一年六カ月を宣告せられた。第二審では、科学捜査研究所の町田欣一、高村巌に鑑定を命じたところ、遠藤鑑定人と同様に同筆との鑑定をしたようである。そのため東京高裁は昭和二十六年四月三十日、第一審と同じ刑を言い渡して事件は最高裁へいった。ところがその頃、被告人や弁護人の努力で、真犯人・川北忠国を東京で探し出した。川北は東京鉄道郵便局東京駅派出所の雇で、郵便車の乗務員である。前記六日夜の郵便車に乗務したが、列車の動揺で区分棚から落ちた前記郵便物を窃取したというのである。高橋隆三作成の鑑定書は小切手の裏書と川北の筆蹟を同筆とした。そして川北は東京高裁で昭和二十六年十一月二十六日、単独犯として有罪の判決を受けた。亀川事件の弁護人の上告趣意書も、もちろんこの点を主張した。最高裁は昭和二十七年四月二十四日、刑訴四百十一条四号の『再審の請求をすることができる場合にあたる事由があること』を適用して、破毀自判し、亀川を無罪とした。このように職場や職種の違いがあっても誤って同筆と鑑定される、似た筆蹟の者もあるのである。右の高村鑑定人は、警視庁鑑識課時代から科学的筆蹟鑑定を標榜してきた人である。この場合、もし真犯人が現れなかったならば、亀川は懲役刑を服役したであろう。裁判所は自由心証主義(刑訴三一八条)により、筆蹟鑑定を取捨判断するという建前になっているが、筆蹟鑑定が裁判所に抜きがたい予断を与えてしまうことは、この事件でよく分かる。そこに筆蹟鑑定の問題があるのである」・・・・・(続く)

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