アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 167

「鷺城逸史〈法曹紙屑籠〉では『その筆蹟は鑑定人に全然馴染がないから間違いを生ずることは当然である』といい、筆蹟鑑定人に試験鑑定、すなわち、本来の対照筆蹟の他に、被告人に似ている他の筆蹟も混ぜて鑑定させることにしてはどうかとも言っている。そして筆蹟鑑定人は、『刑事事件であると偽筆と鑑定し、民事事件であると真筆と鑑定する傾がある』ことを指摘し、『だから予は成るべく鑑定人の申請をせず、裁判官自身に判断を求むることにして居る、予は書家の鑑定よりも老練なる裁判官の鑑定の方が正確だと思ふ』と、龍城と同じことを言っている。鷺城逸史は、大阪における代言人時代からの著名な弁護士砂川雄峻のことである。入会訴訟や山林境界訴訟などで出てくる江戸時代の古文書の鑑定などであったら、古文書学者や古筆家の鑑定を煩わすほかはあるまいが、豊臣秀吉の書だとか、芭蕉の書だとかいった手鑑があって、真贋の鑑定をする場合ならともかく、当代の俗人の類似筆蹟について、これらの人達の鑑定能力が疑わしいことは、前記書家の場合と甲乙は無いように思われる。龍城は画家についても自分の流派以外には無知であるといっている。このように筆蹟鑑定人の不毛にもかかわらず、民事訴訟でも刑事訴訟でも、筆蹟鑑定は少なくなかったようである。民事訴訟では、古文書に類するものは別として、借用証や手形の署名、遺言書などで偽筆かどうかが争われている。刑事訴訟では文書偽造や脅迫にかぎらず、あらゆる種類の事件で筆蹟鑑定が問題になっている。しかしわが国では・・」と、筆蹟鑑定の進歩を阻む要因について資料は続いて行くが、本日はここまで。                                                    

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