アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 168

( 前回より続く)「しかしわが国では、筆蹟鑑定の進歩を阻む二つの要因があったのではないかと思われる。その一つは、署名を要求せられず印鑑だけが問題とされてきたことである。そのために印影の鑑定は発達しても、署名の鑑定は発達しないという結果が起こる。第二は刑事事件についてであるが、自白偏重主義から強制・誘導・拷問による自白中心となり、筆蹟鑑定は自白に追い込む道具であったり、自白を補強する程度のものとして採用したのではないかと思われることである。しかしこれらのことは今のところ、私もそうだと断定出来るまとまった資料を揃えているわけではない。他方、捜査当局について見ると、明治四十四年四月、指紋法の施行により警視庁刑事課内に鑑識係が置かれ、大正十年、刑事課は刑事部に昇格し、その中の鑑識課は鑑識係と技術係に分かれ、技術係は(一)指紋・足跡、(二)写真、(三)理化学検査、(四)その他刑事鑑識の技術に関する事、を扱うことになったが、この(四)の中に筆蹟鑑定も含まれるに至ったのではないかと思う。そして金沢重威が警視庁から筆蹟鑑定のために欧米に派遣されている。ここに初めて科学的筆蹟鑑定法が始まったというのであるが、戦後、科学捜査研究所が設置せられ筆蹟鑑定はそこで扱われている。時代の進展に伴い犯罪は知能犯化していくので、筆蹟鑑定が重視せられるようになったのだろう。科学的な筆蹟鑑定は結構なことであるが、問題は科学の名において、誤った筆蹟鑑定を押しつけてはいないか、ということである。また、その科学的筆蹟鑑定法は、前述した大正年間の筆蹟鑑定と質的に相違しているだろうかということである。しかし本稿ではそのような技術的な問題は取り扱わない」・・ 以上「刑事裁判と筆跡鑑定 」(一)の引用を終える。                                                           

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