アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 180

- 筆蹟の判別因子 - 「以上、甲乙両家の子供について述べたと同じことを、甲乙両人の書いた各一連の『天』という字に還元して述べると、今、筆者不明の『天』の一字(これを『天(イ)』とする)があって、別に、(1)甲乙の書いたことの明らかな各一連の『天』という字が与えられ、(2)『天(イ)』の筆者は必ず甲乙いずれかである、という二前提のもとに『天(イ)』の筆者を問う型になる。ところが、この様に僅か一字(せいぜい数字)の筆者を問う、という型の設問に応じるために必要な『血液型』に相当する判別因子は、今日の筆蹟鑑定には未だ存在しないのである。従ってこういう型の筆蹟鑑定は抛棄すべきである。にも関わらずこれを抛棄しないところに(平沢事件)非科学的で危険極まりない皮相判別因子による鑑定が跳梁する所以がある。しかもこの種の鑑定人が『顕微鏡を並用した』という類いのことだけで、『方法も科学的である』と言うに至っては、科学の何たるかを知らないと言わざるを得ない。さて、直前に書き留めた筆蹟鑑定問題例を借用して、以下に用いる用語を定義しておく。鑑定の対象となった『天(イ)』を被検文字(これが文書ならば被検文書。以下同様ゆえ略す)、この場合のように被検文字が一個の時、又は数少ない時には孤立被検文字、という。比較に用いられた甲乙筆者の明らかな各一連の『天』の文字を照合文字、今回のように、必要とする照合文字が甲乙二人のものからなる場合の鑑定を複照合鑑定、さらに三人以上の照合文字を要する場合を多重照合鑑定、この多重さが有限人数ですむ場合を有界照合鑑定という。有界照合鑑定とは、被検文字の筆者が、ある限られた人々の中に必ずいることが、他の事から分かっている場合の筆蹟鑑定である。これに対して、尋ねる筆者の範囲が全然分からない場合の鑑定を無限照合鑑定と呼ぶ。無限照合鑑定は、仮に優れた判別因子があると仮定しても、さらに、以下に述べるロカール・戸谷の方法においてすらも、特定の人物を被検文字(或いは被検文書)の筆者であると判定し得る為には、その人物と同じ判別因子のものが日本中ほかにいない、という証明か前提とされるので、事実上不可能というべき鑑定である。ただし、ある人物が被検文書の筆者にあらず、という推定は無限照合鑑定の場合ですら可能であることは一言しておく必要がある。最後に付け加えることは、我が国の裁判でしばしば単独照合文書によって「断定」が下されていることである。これは論理的には魔術としか考えられない」・・・(引用は続く)

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(待ち侘びた春は近い)