アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 189

( ローマ時代の続き )「中世(四〜十五世紀)においても文書偽造は横行した。署名・宗教書・私文書・土地財産の権利書といったものが私利私欲の為に数多く偽造された。法律文書・公文書は著名な人々によって偽造され、現在でも真偽の判定の困難なものが多いようである。その一、二例を挙げてみよう。ダンテと並び称せられたイタリアの詩人ペトラルカはハプスブルク家の古文書を鑑定し、シーザーやネロの教書は偽物である、としたことがある。有名な王朝に伝わる古文書にも多くの偽本が伝わっているということである。宗教界においても真教、旧教の対抗から宗教的古記録の真偽に関する紛争が多く、御教書戦争という言葉さえ流行するようになった。例えばドイツのトリエル大僧正と聖マキシミン寺との争いであるとか、ドイツ帝国政府とババリア領のリンドウ寺との間に起きたトラブルはその一例である。古文書学が盛んになったのも、これらの事に刺激されたことによると言われている。このような偽筆・偽作に対して法律的にその取り扱い方が次のように明文化されたのは紀元五三九年になってからである。「公文書の場合にのみ、筆蹟の比較鑑定はなされる。私文書の場合には原告も被告も自分に有利な反論となる場合にのみ用いられる」( Code of             Justician order 49, title Ⅳ, chapter Ⅱ )。これがヨーロッパ・アメリカの諸国に筆蹟鑑定の裁判における基本的な位置付けとして伝わっている。次に述べるように鑑定の信頼度が増すにつれて、それぞれの国での裁判における重みは増していく。この辺は後進国である日本が形だけを輸入して、筆蹟鑑定そのものは杜撰であるのと対照的である」(引用は続く)                                           

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贅沢にも高清水をぬる燗にし、ししゃもで一杯である    

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(ししゃもといっても偽ししゃもであるが。本物は五匹で六百円以上する。本物は焼いた時の香りが上品であり、味と食感も偽ししゃもとは全く違う。本物を食す場合、合わせる酒は日本酒が最適であろう。しかしワンカップでは失礼に当たり、ラベルに淡麗・辛口・吟醸などと印字された新潟辺りの、いわゆる高級日本酒であれば互角の勝負が期待できる。本物同士は互いを昇華させ・・・まぁいいか。そして、更にこだわるならば魚は七輪で焼くことだ。愛知県三河、石川県能登半島香川県、それぞれの地の珪藻土で作られた七輪を使い、焼き比べ、その違いを舌で確認することだ。七輪の製造には主に二つの方法があり、一つは珪藻土の塊を切り出し削りだす方法、二つ目は粘土状の珪藻土を成型し作る方法である。製造方法の違いが魚の焼き具合にどういった影響を与えるのか興味深いところだ。ここまでくると後は炭である。近年、備長炭と名乗る中国産の偽物が・・・・・このまま続けると一万字を超えそうなので強制終了とする)