アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 1196

狭山事件公判調書第二審3702丁〜】

鑑定人=上田政雄(京都大学教授・医学博士)

              (C)窒息死の症状についての批判

(前回より続く)

    (ハ)C 1 ×印、〇点部を結ぶ線とその上方にある右側頸部のC3と書かれている部分は上下約三センチの巾を持ち長さ九センチに達している(何れもこの長さはC1の長さから推定した)。〇点より斜左上方に上がる線状帯の表面についている平行斜線はC3の線の位置まで達しており右上方に上がる線上帯上の条痕もこのC3の線上にまで及んでいる。このC3の部は上記の如き線上帯より上部の暗色を帯びた手掌大の部分でありその下方の線が境界線となっている。

   (ニ)C1の下にはC4が広く大きく見られるが、これは比較的巾広い蒼白部が前頸部を半周している。その蒼白部の上下縁には左上方から右下方に走る暗色の条痕が十一ないし十二本平行に認められる。

   (ホ)右前頸部の〇点部から右方の部分は暗色を帯び三角状になって右方に伸びている。尚〇点部分から斜右上方に伸びる線状帯上の条痕はその下部の三角形状の暗色の部分には及んでおらない。

   (ヘ)現場写真二十三号を見ると前頸部下部に位置する細引紐を右前頸上部に見える暗色の小指頭大の皮膚部分とが見えるが、この皮膚の暗色を帯びた部分には左上方から右下方に下がる平行条痕が二、三本認められる。この暗色を帯びた皮膚部分は現場写真二十三号に写っている細引紐によって印せられたものである。

   (ト)C3の右前頸部には正中に寄った部分は軽く弧を描いており、C1と同様程度の黒化度を示している。C1とC3の間の距離は前述した如く三センチ以上の巾を持っていると考える。しかもこの部分を何らかの索状体で絞頸したものと考えればこの前頸部のC1、C3等が最も強く恐らくこの部分に結節(けっせつ)があったものと考える。この場合その索状体は単に交叉するのみで絞頸された可能性が強い。

   (チ)しかしながらC1やC3の変化を巾広い索状体の辺縁(へんえん)で出来た損傷と受け取らなければ(印字不鮮明により下写真参照)・・・

・・・に出来た皮下出血や喉頭部下部にある皮下出血が全く説明がつかない。これらの損傷部を索状体を交叉する際に圧迫した痕跡と考える。

   (リ)(チ)の様な索状体が働いてC1やC3ができたのではないかと考える見方もある。

⑨前頸部にはこの様に多くの痕跡が認められるのに対し頂部にはあまり所見を確認出来ない。現場写真二十四号は頂部において細引紐が締められその上部の後頭部髪際部には目隠しをされたタオルが一重に結紮されているのが見られる。しかし鑑定資料(イ)添付カラー写真では頂部の皮膚は赤褐色に濃く着色し索状体がその上部に位置していたと思われる横走する帯を認めるような気がするのみで蒼白帯は全く認められない。

⑩鑑定資料(イ)によれば後頸部には特記すべき異常や損傷を認めないと記されている。頂部には現場写真二十四号より見ると細引紐が巻いてあったが、それの紐の捻り目に当たる条痕については資料(イ)をはじめ与えられた資料には記載がない。

⑪以上の頸部の局所、所見から如何なる形において頸部に外力が加えられたかを考えてみよう。

   (イ)生前に細引紐が頸部に一重に巻かれ絞殺されたと考えて見よう。この場合にはC1の所見が頸部につけられることは了解される。しかし細引紐の如き細い索状体を用いた場合には中々上手く絞頸し得ず、また頂部にも強い索溝が付くのを原則とする。また眼瞼結膜や眼球結膜の浮腫や小出血が強く、このことは全く可能性がない。

   (ロ)細引紐の条痕が少なくとも三通り以上見えることから、これで頸部を二重、三重に締めた場合を考えて見よう。

   この場合には紐と紐の間の皮膚は水疱ができたり、小出血を伴ったりするのが普通であり、また頸部にももっと強い索溝所見があるべきである。

   (ハ)この様に考えると生前に細引紐を巻いて絞殺したという考え方はまず考えられない。

   (ニ)頸部についていた条痕は鑑定資料(イ)によれば左上方から右下方に走っていると記載されているが(鑑定資料イ4頸部所見C3C4参照)、私が添付写真5号を分析した結果では右上方から左下方に向かうものが一条あり、それとは反対に左上方から右下方に向かうものが三条ある。しかもこれらの条痕は折れ曲がっている形のものもある。

   (ホ)現場写真二十二、二十三、二十四号を見ると頸部に巻かれている細引紐は、ただ一重であり結節部は蛇口を作りその中に紐を通しているに過ぎない。いま前頸部の細引紐に相当すると思われる索痕が上述の如く三通りあるのであるから、少なくとも一、二回は頸部を巻かれ締められたことがあるのではないかと思われる。

   (ヘ)このように考え、また生前に細引紐で締めることが考えられないので、前記の機転は死戦期あるいは死後直後に起こったものと考えるのが最も適当である。

   この場合にはC1の如き変化も起こることが考えられる。

   (ト)なお細引紐を見ると、現場写真二十三、二十四、二十六号に見るものは紐の捻り方が全部左巻きに捻り上げた紐である。この紐で絞頸した場合には左上方から右下方に向かう条痕が皮膚につくことが考えられ、他の方向に向かうものは皮膚につかない。ただ僅かに蛇口にした輪の先端のみ皮膚につく痕跡が逆転することが考えられる。然し本件の場合にはこの様な条痕は蛇口の先端部分でもなさそうである。なお現場写真に見る荒縄は細引紐に見る糸の捻り方とは異なり右巻きであり、これが皮膚上に印せられると右上から左下の条痕がつく。然し荒縄による条痕は各条痕間の間階が細引紐の条痕よりも荒いので、本件に見るような条痕が何によって出来たか疑問である。

   (チ)赤色の条痕を死戦期または死亡直後のものと考えると、頸部には生前の損傷と考えるものが無いのであろうか。

   C1は赤色条痕と同時に出来たとも考えられ、C2C3も同様である。然し顎下部の手掌大の皮下出血はどうしても死後のものとは考えられない。喉頭部下部の手掌大の皮下出血はその位置的関係から見てその存在が著しく疑わしい。この部分に出来る出血は絞頸の場合にしろ扼頸の場合にしろ頸部の小さい筋肉内に生ずるものであって、手掌大の皮下出血が起こることはまず考えられない。

   したがってこの部の皮下出血というのは皮下出血か表皮の圧迫部かとも考えるが鑑定資料(イ)添付写真五号にはこの様な所見は見られない。したがって皮下出血ではなくやはり小頸筋肉の小出血で、その範囲が手掌大に拡がっていたものと考えるのが妥当ではないかと思われる。

   このため喉頭部下部の出血もやはり生前のものと考えるのがよかろう。前項⑦(チ)(リ)の出血もまた生前のものである。この様に見ると外景所見からは前述した如く巾広い兇器で絞殺したものか、あるいは巾広い鈍体で(手、足等)圧頸したものと考えざるを得ないのである。

   しかもその索状物域は鈍体は圧頸後、間もなく取り除かれ細引紐等を用いて死を確実にしたものではないだろうか。この場合、細引紐は死体についていた細引紐でも二、三回頸部を締めることが可能であり、最後にその紐を死体につけたまま放置埋没したものではないだろうか。

                                            *

次回、(C)窒息死の症状についての批判⑪の(リ)へ続く