【狭山事件第二審・判決㊳】
(死体について)
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次に、死体前頸部に存在した赤色斜走線条であるが、五十嵐鑑定は「生活反応がなく索状物(荒縄あるいは麻縄の類)の死後の圧迫により生じた死斑と判断される」といい、上田鑑定も「生前に細引紐で締めることが考えられないので、この機転は死戦期あるいは死亡直後に起こったものと考えるのが最も適当である。この場合C1の如き変化も起きることが考えられる。・・・・・・細引紐等を用いて死を確実にしたものではないだろうか。この場合、細引紐は死体に着いていた細引紐でも二、三回頸部を締めることが可能であり、最後にその紐を死体に着けたまま放置埋没したものではないだろうか」と言っており、両鑑定とも死体前頸部に存する赤色斜走線条の痕跡は犯人が死後索状物によって死を確実ならしめるために締めた痕跡であると推認しているが、同部分の絞頸が死因あるとは判断していないのである。
ところで、被告人は取調べに当たった検察官に対して死体の頸部に巻き付けられていた細引紐については記憶がないといって否認の態度をとり、原審公判廷においてもこの点について何も供述していない。しかし、先に触れたように被告人は捜査段階において真相を語らず、又は積極的に虚偽の事実を述べていることを考え合わせると、被告人は細引紐の出所はもとより、被害者の頸部に細引紐を巻き付けたことを、情状面において自己に不利益であると考えて否認しているものと認めざるを得ない。そうだとすれば、両鑑定の推認しているように、被告人は被害者の死を確実ならしめようとして、細引紐で絞頸したものと判断せざるを得ないのであって、被告人がこの点について否認するからといって被告人が犯人ではないとは言えないのである。
ところで被告人は、捜査段階において、被害者を姦淫しながら右手の親指と他の四本の指とを広げて頸部を強圧したというのであるが、右鑑定の結果からは、扼頸の具体的方法についてまではこれを確定することはできない。しかしながら、被害者の死因が扼頸による窒息であることは前記のとおり疑いがないから、死体の状況と被告人の自白との間に重要な齟齬があるとは認められない。それゆえ、論旨は理由がない。
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なお、"死体について"は以上である。
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◯何だか猛烈にひどい判決文でなかろうか。
取調べにおいて石川被告は細引紐については記憶がないと言い、したがって原審公判廷でも細引紐について何も供述していない。記憶がないのだから話せるわけがないという、ごく普通の対応を裁判長は持ち出し、「被告人は細引紐の出所はもとより、被害者の頸部に細引紐を巻き付けたことを、情状面において自己に不利益であると考え否認しているものと認めざるを得ない」と、逞ましい妄想力でこれを膨らませ、さらにこの妄想を前提に、「そうだとすれば・・・・・・被告人は被害者の死を確実ならしめようとし細引紐で絞頸したものと判断せざるを得ない・・・・・・」と畳み掛けるのである。これは・・・・・・今までに聞いたことのない、誰もが発想すらできなかった斬新的な論法である。いや、発想は出来ても、あまりにそれは劣った論法であるがゆえ、常人であれば即座に却下される部類の思考である。
なお、過去にこれに近い論法を裁判の判決文にではなく、商売に用いた人物がいたことが思い出される。その名は「永野一男」。そう、昭和時代に悪徳商法で日本中に被害者を生み出した「豊田商事事件」の社長である。今ここで永野一男の犯罪事実を述べるのは控えるが、「無」を前提にして「有」があるがごとく主張する手段は両者に共通するものがある上、共に被害者が生まれている事実も見逃せない・・・・・・。
判決文は次回から(死斑について)へと進む。
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このところ、昭和時代に起きた事件や犯罪に関する書籍の入手に苦労している。物によってはネット上での販売が確認でき、値段に納得すれば即座に購入が可能ではあるのだが、そこは昭和生まれの偏屈である老生は古本屋でその探索書と出会いたいのである。古本屋の棚で目的の本を見つける喜び、この感動を味わいたいがゆえ、ネット購入という手段を捨て無駄に交通費を消費し、妙な臭いが漂う店を訪ね捜索を重ねるのである。
その結果、我が読書欲を刺激し続けてくる最近購入した書籍は写真に写る二冊である。

しばらくはこの二冊とお付き合いする予定である。