アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 1197

狭山事件公判調書第二審3706丁〜】

鑑定人=上田政雄(京都大学教授・医学博士)

              (C)窒息死の症状についての批判

(前回より続く)

   (リ)鑑定事項(四)(1)に記載されている如く右手の親指と他の四本を両方に拡げて女学生の首に手の掌が当るようにして首を締めたという石川一雄の供述に当る所見は以上の死体所見からは全く考えることは出来ない。

   (ヌ)鑑定事項(四)(2)に記載の如く顎に近い方の喉の所を手の掌が通る様にして上から押さえつけたという記載に一致する損傷としては舌先端に挫創が生じている点や、頣(しん)下部の皮下出血(恐らくこれも筋内出血を含む)等が妥当する損傷と思われる。しかしその他の損傷については全く説明が出来ない。

   (ル)喉頭部を上から圧迫し気管を圧迫するのみでは普通はなかなか死に至らず、本例の様に溢血点や浮腫が少ない例は前述した如く巾の広い索状物で締めるか、巾広い鈍体により左右側頸部を圧迫する所見が加わらねばならない。

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*(D)の「外陰部所見に対する批判」は割愛する。

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(E)頭部損傷についての批判

   ①鑑定資料(イ)外表検査(2)A記載の頭部損傷は大きさ一・三cm長約〇・四cm巾にして長軸の方向は左上方より右下方に向かい斜走し外後頭隆起の上方約二cmの処がほぼ創口の中心に位す、創縁は僅かに挫滅状にて創洞の深さは帽状腱膜に達し創底並びに創壁には凝血を存す。この創の位置的関係や創の性状、創縁の性状から見ると鑑定資料(イ)説明5に記載されている如く創口周囲の皮膚面に巾の狭い挫創を伴っておらないことより棒状鈍器等の使用による加害者の積極的攻撃の結果とは見做(みな)し難く、本人の後方転倒等のため鈍体との衝突の可能性を考えるのがよいであろう。

   ②頭部損傷の皮下には凝血がある点より生前あるいは死戦期の可能性がある。しかし損傷部の凝血が比較的少量の場合も考えられる。というのは、この傷の周辺の出血がどれほどのものかは全く記載がない。

   ③もし解剖鑑定人の考える如く、後頭部損傷を来たしたのは被害者が窒息を来たす頃かその少し前に受けていると仮定すると、後頭部損傷は皮膚に裂傷を来たすほどの損傷を受けているのだから、被害者は一時的にしろ意識不明状態になっていると考えねばならない。しかもこの場合には後頭部損傷よりかなりの出血があると考えるのが常道で、後頭部損傷の周囲皮下には凝血が多量に附着しておるべきはずである。

④鑑定資料(イ)(2)頭部所見の中には被髪部において後頭部損傷から流れ出た乾燥血の附着を認めておらない。もし後頭部損傷が生前のものと考えられ、しかも死体が逆さ吊りにでもされているという事情があればこの部分から皮膚を流れて頭頂部方向に乾燥血が垂れ下がった状態で固着している所見が出現している筈である。死体が逆さ吊りされたのでなく、単に仰向けに置かれていてもその傷から血液が垂れ下がる所見は見られてもよい筈であるが、この様な所見が写真三号から見ても創傷から体位の下部の方向に流れ出た乾燥血は写真上では認められない。

⑤鑑定資料(ハ)現場写真二十四号を見ると、後頭部の毛髪は手掌大にわたって汚物が附着している様である。この汚物がたとえ後頭部創傷より出た血液が附着したためのものであると考えても、その所見から類推出来ることは体が仰向けの位置に置かれた為であろうというくらいで、到底逆さ吊りの状態になったが為に出たものとは言えない。

⑥後頭部に比較的大きな石等を緩く衝突させても、その上部を被う毛髪がかなりある為、衝撃力が吸収され上述の様な傷となるかも知れない。

⑦後頭部損傷から多量の出血があったか否かという点であるが、この傷には多量の毛髪が被っており、その為に毛髪に附着する血液もかなりあるが、頭部の皮膚に乾燥固着する血液のある公算も確かに大きい。しかし頭部損傷を示す写真三号にはこの様な所見を見ず、また添付写真のどの部にも認められない。ただ頭髪についた血液が乾燥しない間に地中に埋められたという仮定がおかれた場合には、地中の水分によって溶血が起こり、その上に地等が附着し血液が多量に附着している状態に見えることは考えられる。

⑧後頭部損傷を生前の傷と考え、それ以後に窒息死の所見が加わったとすると損傷部からの出血量はかなり多いのが普通であるが、本件損傷からの外出血も皮下の凝血も著しく少ないのではないかと写真三号や鑑定資料(イ)から推定される。この様に所見の矛盾が感ぜられるが、このことは後頭部損傷を果たして生前の損傷と考えるか否かの点において再考慮すべき問題がある。すなわち、鬱血の状態にあり死後に起こった損傷であっても、死後経過時間が短い場合には軽度の血液の浸潤があり凝血があるように見える場合がある。この様な特殊な場合に本件の事情が当てはまると考えるのが最も妥当であろう(解剖所見やその医学的解釈からして)。

   要するに頭部損傷の時期については、私は明確な判断を下すことは出来ないが、創傷の皮下に凝血があり生前の傷であるという点にかなりの疑問を抱くものである。なお、傷の状態から逆さ吊りに死後されて二、三時間も放置されたということはこの所見からも否定されるであろう。

(続く)

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狭山事件の公判調書が某図書館に存在することが分かったのはもう十年以上前のことだ。この図書館には「狭山事件コーナー」なる棚が設けられ、事件に関連する書籍は全てコンプリートされており、その様は一言で言えば「圧巻」であった。

   老生の趣味である古本屋巡り程度ではとても出会えない、狭山事件に関する膨大な書籍群が揃っており、この事件の情報に飢えていた私の図書館通いが始まった。

   棚に並ぶ、その圧倒的な量の狭山事件関連書籍の中でも、やはり公判調書が格上な威圧感を放ち、これを読まずして狭山事件を語れるかと、この日から読み始めたわけだが、その頁数が半端なく、これを土日祝日だけで読んだ場合、私は明らかに未読の状態で天寿を全うするという計算から、第二審公判調書についてはコピーを取り、毎日読める状況を作った。

   この図書館通いの中で、私は狭山事件公判調書第一審にも目を通している筈だが、石川一雄被告が被害者の遺体を芋穴の中に逆さ吊りにしたという、その理由はどこにも示されていないと記憶する。なぜ逆さ吊りにしたのかという取調官の問いもなかったとの記憶である。