彼に会うため久しぶりに某公園を訪ねたが、もうそこにその姿は見当たらなかった。これは公園を管理する側の人々が、里親となってくれる方々に野良猫を託すという運動の結果である。園内にはその運動を誇らしげに示す看板が設置してあった。目当ての野良猫に癒されるなら多少の金(エサ)は払おうと意気込み向かうも完全な肩すかしを食らう。はっきり言うと野良猫のいない公園など何の魅力もないのだ。なぜ野良猫がいない公園には魅力がないかを今ここでは語らないが、ハーバード大学の「野良猫と公園・その共存という環境学」辺りで詳しく語られているのではないか、と想像する。
野良猫を無理やり里親に押し付けるとはけしからんなどと考えつつ家へ戻り、以前に百円くらいで買った猫の絵本を眺め精神を安定させる。
なんとなく公園の猫に似てるような・・・。
ほう、清志郎初の翻訳本か。
彼の訳はさすがロック的な詞と化している。
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【狭山事件公判調書第二審3712丁〜】
鑑定人=上田政雄(京都大学教授・医学博士)
(F)顔面部、頭部の死後損傷(虫害)についての批判
①右顔面部(右頬部から左右下顎部前頸部等)に多数の小さい黒点が認められ、また鑑定資料(イ)(2)頭部所見にも皮膚には後記損傷の他には前額部、有髪部には大豆大ないし栗粒大の表皮剥脱様死後損傷若干ずつが存在す、と記載されている。
②以上の傷が死後損傷であるという点は、私も同意見であるが、果たして如何なる種類の虫によって生じた損傷かということが問題である。
③第一に考えられるのは蛆虫である。蛆虫は産卵から孵化するまで五月頃の温度では一日以上を要する為、掘り出してから産卵したものとすれば、まだ卵の状態であり死後損傷を来たすまでには至っておらない。
④死後二、三時間経った時期に口の周辺等に産みつけられた卵が土中で孵化し、掘り出してから小さな蛆虫となり死後損傷を作ることは考えられる。しかし本件の場合には死体に蛆虫は認められていない。
⑤蛆虫の次には蟻が死体につき損傷を与えることもしばしばである。この場合、死体を掘り出して以後に害することも考えられるが、死体を埋めるまでに既に害されることも考えられる蟻による死後損傷はごく短時間でもかなりの大きさになっているものである。
(G)胃内容物の消化時間についての批判
①鑑定資料(イ)によれば(27)胃の項には大約二五〇ccの軟粥様半流動性内容を入れていると記載されている。この量は一回の食事内容にしてはかなり多く残っており、普通の食事をとった後では二時間程度であろう。軟粥様半流動性という記載の程度でも食後二時間の消化程度を考えるのが適当であろう。しかし、軟粥状半流動性の記載が鑑定人と私との間に差があることも考えられる。というのは解剖鑑定人のいう如く食後最短で三時間であるとは胃内容量の点からどうしても考えられず上述の如き結論を下したわけである。
②胃内容の食物残渣は添付写真十五号によって断定が可能であり鑑定資料(イ)27項に記載の通りである。
③小豆の皮だけが小腸からも見られるが、小豆の皮は消化され難いので胃に残ってきたのではないかと思われる。従って小豆の皮は死亡前の食事の内容ではなく、もう一つ前の段階の食事内容ではないかと推定する。
④胃内容の色調が鑑定資料(イ)の中には記述されていないが、人参、馬鈴薯、玉ねぎ等を含む場合、普通、カレーライスがすぐ考えられるが、もしカレーライスを食べていた場合にはこれくらいの消化程度ではカレー粉の黄色色調が胃内容に残っているべきである。
(H)他に特記すべき点
①左口唇部下部の擦過傷、右大腿部上部の擦過傷は必ずしも二十m引きづった所見であるとは考えないが、地面での擦過が最も考えられよう。しかし左下腹部の多数の表皮剥離は主に地面を擦過して出来たものとは考えない。
②もし後頭部損傷が生前のものであり、かなりの外出血やかなりの広汎な皮下出血でもあるとすれば、脳の軟化所見が著しく脳溝が浅く脳廻転の膨隆度がやや低いという剖検所見は、自己融解による死後変化と考えるのが普通の考え方であるが、脳浮腫があった為ではないかとも考えられる。この場合、瞳孔所見が歪形であることもこれをかなり考えさせる要素にはなり、後頭部損傷と結びつくわけである。しかしこの場合、③に考えられるように被害者が倒された時に後頭部を打ち意識不明の状態に陥ったということも想像され、だいぶ殺害状況にも影響を及ぼしてくる。しかし(E)⑧の様な考え方が一応妥当な考え方であろうと思われる。
③もし死体を"逆さ吊り"した場合には全体重がかかるので縊死の際の索溝と同じくかなり強い表皮の挫滅が見られ、二、三時間も「逆さ吊り」して放置している時にはその表面の乾燥が起こっていると考える。
(次回"鑑定"へと続く)
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おおむね私の知る野良猫たちへの年末の挨拶は済ませた。誰かがエサを与えているのだろうか、彼等はひと回りも太り余裕で年を越せそうだ。気がつけば今年も今日で最後となるが、先の袴田事件の無罪判決という良風を大いに受け、来年こそ狭山事件の再審開始を願いたいものだ。