アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 1312

写真は狭山事件再審弁護団が行なった「逆さづり」再現実験のもの。実際に五十四キログラムの人体を上げ下げした場合、足首には百キロ以上の力が加わるというが。

狭山事件公判調書第二審4040丁〜】

                     「逆吊りはありえない」

                                                                  弁護人=木村  靖

                                            *

[第三]の(1)の続き。

   ’そのE’  頭部損傷についての批判(上田政雄鑑定)4項では、後頭部損傷が生前のものと考えられ、しかも死体が逆吊りされているという事情があれば、この部分から皮膚を流れて頭頂部方面に乾燥血が垂れ下がった状態で固着している所見が出現しているはずであると鑑定し、8項で、尚、傷の状態から逆吊りに死後されて、二、三時間も放置されたということは、この所見からも否定されるであろうと結論付けている。

   ’そのH’   他に特記すべき点の3項では、もし死体を逆吊りした場合には全体重がかかるので、縊死の際の索溝と同じく、かなり強い表皮の挫滅が見られ、二、三時間も逆吊りして放置している時には、その表面の乾燥が起こっていると鑑定している。

   以上の鑑定の結論として以下に述べるように所見をまとめている。

○死体を逆吊りしたと思われる所見が死斑の発現状況から全く見られないこと。

○また、逆吊りの場合は後頭部挫創の創口周囲からの出血が乾燥血として残り認められるはずであるが、この所見は本件では見られないこと。

○足首部分には死体を逆吊りした場合、全体重がかかってくるわけであるため、たとえ二、三時間でも逆吊りされた場合は縊死の索溝と同じ程度に付いてよいわけである。このような所見はたとえ靴下が介在しているとは言え、明らかに足首に付くべきものである。

○前頸部の赤色条痕は死戦期、またはそれ以後に残されたものであるが、これはなお前頸部に残っている。この頸部を圧迫する力は、体重が足首にかかるのと比べるとはるかに弱く、五分の一から十分の一くらいの力である。

   このように考えると足首には当然、体重がかかった痕跡が残ってよいはずであるが、実際はこの部分には何も残っていず、むしろ逆吊りにしたということを想像するのが事実と異なっていると考える。

   ・・・として、明解に死体が逆吊りされたという痕跡はないと鑑定している(注:1)。

b.(注:2) 次に、鑑定人:五十嵐勝爾の本審第五十三回公判廷の証言によれば、まず中田弁護人が昭和三十八年五月四日付大野喜平作成の実況見分調書中「顔面は淡赤色を帯び鼻孔内より鼻血が出血しており」という部分と写真(22号23号)を示した上、「警察官が言っているような意味での鼻血が出ていると考えられるか」と質問したところ、「私の長い警察職員としての経験から申しますと、警察官の死体の実況見分の場合は鼻血と死後の浸潤液との区別は付けられないものと思っております」と答え、そして次の、「あなたの説明ではそれも死後の浸潤液と見たほうが良いということになるのか」という問いに「カラー写真ではないため色がよくわからない、しかしそれで鼻から出血しているという場合は、多くは鼻に打撃を受けたとか、頭蓋骨底や顔面骨の骨折があった場合、そういう時には鼻血のように見えるという場合はしばしばある」と答えている。これは前述のような逆吊りにより鼻血が助長されたことがないという上田鑑定と同様の所見である。

(続く)

                                            * 

(注:1)  ここの文章は恐ろしく非論理的、つまり分かりづらい文章構成となっている。

   何故か。それは注:1印の所まで読んできて初めて、前記されている「鑑定の結論〜所見をまとめている」以降「〜事実と異なっていると考える」までが、この文(注印)へ「係(かか)っている」ことがわかり、ではその係ってくる文章の始まりはどの付近かと、再び読み直さなければならなくなるからである。

   ここで言う「係る」の意味は 「前の言葉が文脈上、後の言葉につながる」であるが、前述した、前の言葉と後の言葉との間に、これだけの情報が詰め込まれていると、読んでいる側は大変なことにる。最後の行を読み終えたところで、「・・・として」などとまとめられていることに気付き「うわ、じゃそれはどこから?」ということになる。もうこの話はやめよう。

                                            *

(注:2)   唐突に現われたこの「b」は何の項目の「b」だったかと、公判調書上をUターンすると、あった。該当したのは

「(1) まず中田善枝の死体自体について考察するに              

 a.五十嵐勝爾作成の中田善枝の死体鑑定書、五十嵐勝爾の証言及び大野喜平作成の実況見分調書を鑑定資料とした上田政雄の鑑定書によれば」という部分であり、引用中の「b」は、この項目の「b」であった。いやぁ、3歩進んでは2歩下がる、そんなゆとりを持たなければこういう裁判記録は読めませんな。