アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 1199

    新年早々から暗くて重いが、やはり触れておかなければなるまい。それとは現在インターネット上などでも囁かれている、飯塚事件や和歌山カレー事件が冤罪ではないかという問題だ。

    カレー事件について老生はリアルタイムで報道を見聞していたが、ある時、林被告が自宅周辺に集まる取材陣に対しホースで水をかける映像を見、正直言って「なんだかこの人ならやりそうだな」と感じたのである。情けないが、見事にマスコミ操作に乗せられた一人であった。

    飯塚事件に対して、老生は全くその存在すら知らなかったが、被告人である久間三千年(くま・みちとし)氏は、なんと死刑執行済みであるにも関わらず、事件自体が冤罪性を強く匂わすとの報道に接した。

   野良猫は言った。  「気をつけろよ」・・・本年も平穏に生きるためにはこの一言に尽きよう。

                                            *

    さてこの情報はすでにブログにて公開済みであるが、もう一度載せよう。

『一九六三年七月三日付『朝日新聞』埼玉版には、「警官エキストラで・ロケさながらの検証」という見出しで、石川一雄氏の自供に基づく実地検証が七月四日午前十一時すぎから浦和地検の滝沢弘検事、特捜本部の青木一夫・諏訪部正司両警部らの指揮でおこなわれたことを報道している。そのなかで、「死体をつるしたイモ穴が調べられた。警官がナワで体をしばられて穴につり下げられ、普通の男の力で引上げられるかどうかなどが調べられた」と書かれている。また、「八ミリ映写機で撮影するなど映画のロケーションさながらの検証」とも書かれている。なお、この「つり下げ実験」の模様を撮影した八ミリフィルムは存在するという』

   この情報を再び記載した理由は、その検証結果が捜査当局より公開されていないという事実を知ったからである。老生の記憶によればこの情報ソースは事件から数年後、衆議院での質疑の中で出てきたと認識しているが、これに対する返答はどこを探しても見当たらないのだ。

   この件を含めた狭山事件に関する証拠類の全面開示を弁護団は強く要求せねばなるまい。

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狭山事件公判調書第二審3714丁〜】

鑑定人=上田政雄(京都大学教授・医学博士)

                                         鑑定

(一)本件死体の各死斑の位置、規模、程度はどのようなものであるか。

     本屍の死斑の位置、規模、程度等は私がカラー写真十四号より判断し第一図に示している通りである。

(二)右各死斑について死体のどのような状況(経過時間、姿勢、位置など)下で発生したものであるか。

     ○死斑はカラー写真十四号のような出現状況から(A)各項で説明した様な状況が考えられ、(A)⑭で述べた様な関係や(A)⑮で述べた様な状況下にあったことが考えられる。

    また手首を両方縛り、しかも手掌を体背面と同方向に向けている体位で顔に目隠しされていた状況も死斑の発現状態に現われている。顔面部の赤紫色なのは窒息所見と死斑が現われた為の所見であり頂部の所見は窒息所見である。なお死斑の状況を考える為には(B)項に述べた各項目についても考慮し、(B)⑦の様な結論に達した。

(三)トマト、茄子、人参、馬鈴薯、小豆などは、本件の如き十六才の女性の場合、通常何時間を経過すれば消化されるか。

    ○個々の食品がどのような消化程度を示し、またどのくらいの時間を経過したら、どの様になるかという詳細なことは私には分からない。しかし鑑定資料(イ)に記載されてある胃内容であると通常二時間くらいと考える。

(四)本件死体の頭部損傷、前頭部の赤色斜走線条などの対比において、本件死体の足首部分を木綿紐、あるいは荒縄などで結んで二時間ないし三時間の間、死体を逆さ吊りにした場合、右足首部分に何らかの痕跡が残るものかどうか。

   本件足首に右の如き痕跡が認められるか。

   ○死体を"逆さ吊り"したと思われる所見が死斑の発現状況からは全く見られないことは(A)⑰に詳述した。また"逆さ吊り"の場合は後頭部挫創の創口周囲からの出血が乾燥血として残り、認められる筈であるが、この所見は本件では見られない。但し(E)⑧の様に考えると、この所見は起こらなくでもよい。足首部分には死体を"逆さ吊り"した場合、全体重がかかって来るわけである為、たとえ二、三時間でも逆さ吊りされた場合には縊死の索溝と同じ程度に付いてもよいわけである。この様な所見は例えば靴下が介在しているとは言え、明らかに足首に付くべきものであろう。

    左右の手は最初から被害者の生きている間に縛られしかも死後もそのままにされておった為にその部分には死斑や圧痕が出てきたわけである。しかしこれは手首ではあまり締めくくられていない為、軽度の索痕より見られないのである。足首の部分には二、三時間"逆さ吊り"しているのでは死斑は残ることがないことも考えられるが、前述の索痕はかなり強く縊死の場合と同じく付くことが考えられる。

   前額部の赤色条痕は死戦期、又はそれ以後に残されたものであるが、これはなお前頸部に残っている。この頸部を圧迫する力は体重が足首にかかるのと比べるとはるかに弱く、1/5から1/10くらいの力である。この様に考えると足首は当然体重がかかった痕跡が残ってよい筈であるが、実際はこの部分には何も残っていず、むしろ"逆さ吊り"にしたということを想像するのが事実と異なっていると考える。

(5)鑑定資料(イ)第壱外表検査(2)(A)記載の頭皮損傷(後頭部裂創)についてその部分からして通常多量の出血があるか。

    ○後頭部損傷については(E)に記載の通り成傷時期やその根拠につき、かなりの疑問を持っている。もし後頭部裂傷が窒素機転の起こるすぐ前にでも起こっていると、かなりの出血を持ってよい筈であり、鬱血が起こっていても後頭部が体下方になっている限りにおいて、かなりの外出血が考えられよう。しかし後頭部裂創の創縁や創底からは写真三号を見る限りにおいて、あまり内出血がなく、また外出血もなかった様である。なお後頭部裂創については(I)②の様な疑問を生じる。

(六)鑑定資料(イ)第四章説明(I)④に記載の「処女膜の陳旧性亀裂三条」を鑑定資料(ロ)に基づいて、その意義を鑑定されたい。

   ○(D)①(二)及び④にこのことが記載されてあるが、私はこれは本事件とは関係ない頃に破れたもので、この破れた原因は不明である。

(七)鑑定資料(イ)を総合して「本屍について、死亡直前に暴力的性交があった」(鑑定の項四に記載)と断定しうるか。

   ○私は総合して考えると、姦淫を受けたのは生前であるが、死亡直前であるかどうかは断定出来ず、また死亡直前に暴力的性交伝々と断定する場合の理由が(D)⑦に述べられていたが、私はこの解剖鑑定人の意見に必ずしも賛意を示さない。

                                          以上

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鑑定開始  昭和四十七年六月六日・鑑定終了  昭和四十七年七月二十日

昭和四十七年七月二十日   鑑定人  大阪市高槻市藤の里

京都大学教授  医学博士  医師上田政雄  印