アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 1299

狭山事件公判調書第二審4009丁〜】

       「強姦・殺害・死体処理に関する自白の虚偽」③

                                                                弁護人:橋本紀徳

                                            *

(五)  ところで、今度は逆に、被告人が自白において述べる殺害方法では絶対に説明のできない痕跡が、死体前頸部に存在することに注目していただきたい。

   それは前頸部に残る二種類の索状物の痕跡のことである。二種類の索状物の痕跡とは、第一に五十嵐鑑定書の指摘するC1c/3の圧迫痕跡であり、第二に赤色斜線状痕跡のことである。

    C1とは五十嵐鑑定書に「前頸部において正中線上で胸骨点上方約九・四糎の処より(ほぼ喉頭部上縁に相当す)左方に横走する約六・二糎、約○・三糎巾の暗赤紫色部一条」と記述されている生前の圧迫痕である。 (五十嵐鑑定書第二章の4)。

   みられるとおり、これは単なる面的な圧迫痕跡でなく、線状をなすところの圧迫痕跡であり、なんらかの索状物の縁辺により形成された痕跡である。なぜ索状物の痕跡であるかというと、このような線状の圧迫痕が手掌面の圧迫のみで生じるとは考えられないからである。

   c3は「前頸部において下顎骨下方より、前記Dまでの間は、前頸部一帯にわたり暗紫色を呈し、その内には小指爪大以下の暗黒色斑点若干が散在す。」と記述されている部分である(同鑑定書c3)。c3もまた圧迫痕であり、なんらかの索状物による痕跡とみるべきものである。

   上田鑑定人は、このc3の下縁をなす線とC1及び×印点、○印点を結んだ線とを観察し、両線の上下の巾が約三センチであることを認め、また長さが約九センチと推定して、この両線は索状物の縁辺により生じた跡であると判断をしているのである。

   上田鑑定は次のように述べている。

   「この部分を何らかの索状体で絞頸したものと考えれば、この前頸部のc1.c3等が最も強く、恐らくこの部分に結節があったものと考える。」*1。「C1やc3の変化を巾広い索状体の辺縁でできた損傷と受取らなければ顎下部に出来た皮下出血や喉頭部下部にある皮下出血が全く説明がつかない。これらの損傷部を索状体を交叉する際に圧迫した痕跡と考える。」(上田鑑定書(C)項の⑧(チ))

   (六)このように上田鑑定人は明白に死体前頸部に生前の索状痕を指摘する。これに対し、五十嵐鑑定人は、 素状痕の存在を否定し、ひいては殺害に索状物の用いられたことを否認し、本件の殺害方法は単純な圧頭であり、扼殺であると結論づけているのである(五十嵐鑑定書第四章(3))。

   しかし、先程述べたように、C1の縁辺はとうてい手掌面による圧迫によって印象されたものとは思われず、これは上田鑑定人とともに索状物の痕跡とみざるを得ないのである。

   さらに本件死体の外景所見からしても、本件の殺害方法は単純な圧頸による扼殺でないことは「眼瞼結膜に溢血点が比較的少なく眼球結膜にも溢血点や浮腫や血管充盈を見ていない。」ことから明らかである。

   これらの外景所見は上田鑑定人の経験からすると、何らかの巾広い物で絞殺されたか、かなり巾のある太い物で側頸部を強く圧迫された場合にみられる所見なのである。(上田鑑定書(C)項⑤⑪)

(七)  死体前頸部には、C1c3の痕跡の他に、赤色斜線状の痕跡が多数存在する。

   五十嵐鑑定人によると、まずc3の部分に、左上方より右下方に向かうものがみられ、c4の部分にも多数観察されるとある。(五十嵐鑑定書第二章の(4))

   上田鑑定人は、五十嵐鑑定の認めた右の各線状とは別に、c3の部分に、右上方より左下方に走る線状痕の存在することをも指摘している。

   これら赤色斜線状痕の成因について、五十嵐鑑定人は、荒縄、麻縄の類による死後の圧迫痕であると判断し、上田鑑定人は、首にまきつけられていた木綿細引の痕跡とみている。(五十嵐鑑定書第四章(1)の3、上田鑑定書*2。上田鑑定人は、この木綿細引により、一〜二回は頸部を巻かれ締められたことがあるのではないかとの推断もしている(前同項)。

   ともあれ、ここではこれら赤色斜線状痕が、索状物の圧迫痕であると確認されていることに留意して頂きたい。

   (八)ところが、殺害方法について述べる被告人の自白調書のうち、六月二十三日付の第二回警察官調書を除けば、殺害に関連して索状物を用いたと供述する調書は一つとして存在しないのである。

   冒頭に明らかにしたように、すべて手による圧頸又は絞頸の方法によったとしているのである。そうとすれば、これら殺害方法に関する自白は明らかに索状物の痕跡のある死体の状況と食い違い、真実起きた、ありのままの事実を述べたものではあり得ないということになる。

   とくに、死体頸部には、まごうかたなく(原文ママ)、細引ひもが巻きつけられているのであるから、これについて、その目的、使用状況などについてなんらかの供述があってしかるべきであるのに、これについても、一切触れることのない自白の虚偽性は、まことに明白であるといわなければならない。

   またタオルで絞め殺したと述べる前記六月二十三日付警察官調書も―――一見すると上田鑑定人の索状物を用いて絞頸がおこなわれたとの指摘に合致するかのようにみえるが―――――事実を述べたものでないことは、他ならぬそのタオルそのものによって明らかである。

   被告人は五月一日当日、タオル一本、手拭一本を所持して家を出た。その所持したタオルは被害者の目隠しに用いられたとされており、現に被害者はタオルにより目隠しをされ、手拭により後手にしばられたまま発見されている。とすれば、タオルが絞頸に用いられないことは明瞭であろう。よもや、殺したのち、わざわざ絞頸に使用したタオルを外し、そのタオルを用いて目隠しをほどこすなどということは考えられないからである。タオルにより絞頸をしたとする自白もまた客観的事実と一致しない偽りの供述であること明白である。

(次回、"九"へ続く)

                                            *

○ボクシング評論家のジョー小泉は、かつてこんなことを言っていた。「ボクシングを見る場合、どうしてもお気に入りのボクサーにその注意が向いてしまうが、そのような見方では両者の攻防(ラウンド毎の採点など)を正確に分析・評価することは出来ない。これを解決する方法は、ボクサー両者のちょうど中心点に視点を置き試合を見ることである。視点を両者の中心に置くことにより双方のボクシング技術を公平に見、判断することができる」と。

  確かにそうだと、老生は公判調書を読むにあたり、この視点を利用させてもらった。この狭山事件ほどその関連書籍があふれ(当時)、やれ自殺した元使用人が怪しいとか、いや被害者の兄がどうのこうのと、玉石混交に満ちた情報が入り乱れた事件はなかろう(結局、狭山本には目を通すことになるのだが)。それらに捉われぬよう用心し、むしろ被告人を疑う視点を強めつつ公判調書を読んできたわけだが・・・(ちょっと小泉氏の言う公平さに欠けるが)。

   しかし今述べた、石川被告を疑いつつ公判調書を読むという見方をもってしてもこの事件の犯人を石川被告とすることは困難である、調書を読めば読むほどこの狭山事件における疑惑は逆に警察・検察側へと向けられることが避けられないからである・・・。

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○ところで、このところ米の値は高止まりし、あらゆる物資が値上げされており、日雇い労働者としては真剣にこの事態をどう乗り切るか、知恵をしぼる日々である。乗り切るには当然、金が必要である。

    4、5年前、全く興味がないこの古本を東村山市にある"なごやか文庫"という店で百円で購入した。当然読んではいないが、今日これを検索したところややレアな本らしく、最低価格で五千円の値が付いていた。 

  これを売れば好物の芋焼酎と焼き鳥が食えるではないかと、密(ひそ)やかにほくそ笑む・・・。

  

   

  

   

   

 

 

 

*1:C)項の⑧(ト

*2:C)項⑪(ロ)・(へ