アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 622

昭和三十八年六月十一日、狭山警察署で取調べを受けていた石川一雄被告人は、河本仁之検察官に対し犯行は三人で行なったと自供するが、ここで興味深いのは、河本検察官が三人犯行自供を肯定的に捉えている点である。

犯人は複数ではないかとの判断に傾くのは、事件の捜査過程を知ればむしろ自然で客観的ですらある。客観的とは、つまり誰が見てもそうでしょう、ということだ。

捜査過程の一つを挙げれば、佐野屋での犯人取逃し後の現場検証で、その犯人潜伏地点からは二方向への足跡が認められ、これについて石川被告人は捜査員から相当な追及をされたと述べている。二方向への足跡とは一人では作れない。さらに踏み込めば、今述べた犯人潜伏場所の茶垣付近の枝には刃物による傷痕が残されていたが、これは捜査記録には残されず不問となったようである。やや話が逸れたが、こういった捜査情報は当然、河本検事の耳にするところであろうし、なによりこれらを上回る複数人による犯行という判断の根拠は、その犯行時間に対する密度の濃い行動であり、常識的に見れば一人での犯行は無理だと考えるのが妥当であろう。

【公判調書1943丁〜】

                    「第四十回公判調書(供述)」⑤

証人=河本仁之(三十七歳・弁護士。事件当時、浦和地検検察官)

                                         *

橋本弁護人=「共犯事件と推定した根拠はどういうものでしたか」

証人=「犯行自体が場所的にも移動しておりますし、一人の力でなかなか出来ないような犯行だったように思うのですね。そういうことからではないかと思います」

橋本弁護人=「複数であろうということを示す具体的な証拠があったのではありませんか」

証人=「具体的な証拠については記憶ありません」

橋本弁護人=「あなたとしては、三人でやったという話はあまり予想外ではなかったのですね」

証人=「そうです」

橋本弁護人=「あなたの取調べの段階で自供をするということは予想していましたか」

証人=「それほど意外にも思いませんでした」

橋本弁護人=「当時あなたは検察官になって四年ぐらいでしたか」

証人=「四年目でした」

橋本弁護人=「それまでベテランの警察の捜査官や原検事がいろいろ被告人を調べていたと思うのですが、被告人はそれまでは全面否認をしており、あなたの取調べの段階において俄かに三人でやったという供述をしたわけですね」

証人=「はい」

橋本弁護人=「それをあなたは意外とは思わなかったというのは何か根拠があったのですか。つまり自供しそうであるという根拠でもあったのですか」

証人=「格別そういうことはありませんけれども、自供させる能力というものは年功などにはよらず、当該被疑者との相性などいろいろな要素があります」

橋本弁護人=「そうすると、石川君はあなたとは相性がよかったということになりますか」

証人=「相性といいますか、年齢的にも比較的近かったわけですね」

橋本弁護人=「あなたはその際、石川君の兄さんがやったのではないかという意味の質問を石川君にしたのではありませんか」

証人=「そういう記憶はありません」

橋本弁護人=「六月十一日かどうか知りませんが、あなたはこの時期の取調べの際、石川君にお前の兄さんが関係しているのではないかという趣旨の質問をしませんでしたか」

証人=「記憶ありません」

橋本弁護人=「石川君が怒って手近にあった茶碗をあなたにぶつけたというような記憶はありませんか」

証人=「ぶつけようとした、振り上げた記憶はあります」

橋本弁護人=「それは六月十一日の取調べの際ですかそれとも別の日ですか」

証人=「その翌日ではなかったかと記憶します」

橋本弁護人=「茶碗をぶつけようとして振り上げたのですね」

証人=「振り上げました」

橋本弁護人=「どうしてぶつけなかったのですか」

証人=「まあ落ち着きなさいよ、と私が言ったので気持ちが静まったのではないかと思います」

橋本弁護人=「どういうきっかけでぶつけようとしたのですか」

証人=「調書の署名の問題があったのではないかと思います」

橋本弁護人=「どういう風に問題があったのですか」

証人=「その前の調べで署名のない調書が出来ているわけですが、署名しないのはどういうわけかということでいろいろやり取りがあったのではないかと思います」

橋本弁護人=「どんなやり取りがあったのですか」

証人=「細かいことは記憶ありませんが、きっかけはとにかく署名の問題だったと思います」

橋本弁護人=「お前の兄さんがやったのだろう、それをお前が庇っているのだろう、という意味の質問をしたから、それに対して被告人がそんな馬鹿なことはないということで茶碗をぶつけようとしたのではありませんか」

証人=「そうではないと記憶します」

橋本弁護人=「石川一雄君の兄さんがこの事件に関連しているのではなかろうかという疑いを持ったことはあるのですか」

証人=「私自身は具体的にそういう嫌疑を抱いたことはありません」

橋本弁護人=「捜査当局のどこかでそういう嫌疑を持ったことはあるのですか」

証人=「あるいはあったかも知れません。確か現場の足跡、地下足袋の足跡でしたか、その足跡に合う地下足袋が被告人方から発見されたようなことがあったと思うのですが、すると被告人に限らずその兄さんも犯行をなした可能性を一応疑ってみなければいけませんから、そういう意味でそういう嫌疑は一部にあったかも知れません」

橋本弁護人=「そういうことであなたは一雄君に質問しませんでしたか。本人はあなたからそういう質問を受けた覚えがあるというのですが」

証人=「その辺ははっきりした記憶はありません」

                                          *

(続く)