【隠された証言】①
昭和三十八年五月一日に発生した狭山事件では、行方不明になった当日に被害者=中田善枝を目撃した者が複数存在する。その中で彼女を最後に目撃したとされる人物がおり、これは堀兼中学三年の野球部員O君という青年である。彼の証言とはどんな内容であるか、老生お気に入りの書『狭山事件・現地からの報告(たいまつ社)』より、敬意を込めて引用させていただいた(若干の表記変更を含む)。
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五月四日、O君は友だちから『中田善枝ちゃんがさらわれて殺された』と聞き、びっくりし、友だちに『善枝ちゃんがさらわれたという五月一日、善枝ちゃんに会った』と語るのである。
翌日の五日付の調書では、
『東中で行なわれていた野球大会の試合を見に行く途中、沢の関口自転車店から百メートルほど入間川寄りの畑中の道で中田善枝ちゃんとすれ違いました。善枝ちゃんとは、堀兼の小、中学校を一年下で過ごしたので、話はあまりしたことはなかったが、顔はよく知っている間柄であります。それから、東中に着いたら、西中対東中の決勝戦の三回のおもてぐらいでした』
と述べている。
五月一日は木曜日であったが、堀兼中は午前中で授業を終わっている。午後からは、市内の各中学で行なわれていた学徒体育大会への参加、見学にあてられていた。O君は終業後一度家に帰ったりしていたため、野球部の仲間より遅れて東中の野球の決勝戦を見に行った。その途中で善枝さんに出合っている。
「出合った時間は何時頃か」との警察の問いに、
『東中に着いた時は、西中対東中の決勝戦の三回のおもてだったから、試合が何時から始まったか調べてもらったらわかると思います』
と答えている。当然、警察は調べた。東中の野球部員が持っていたスコアブックを手に入れているのである。この野球部員は、
『事件が起きて間もなくだと思う。先生から"警察が善枝ちゃん殺しの件で調べているからスコアブックがあったら出して欲しい"と言われたので、その先生に提出した』
と、語っている。
O君証言の有力な裏付けともなるべきこのスコアブックは、東京高等検察庁にあるものと思われるが、しかし、そのスコアブックは開示されないまま現在に至っている。
警察は、O君の証言を、一度は"有力な目撃者"としながらも、その二日後には"見間違いである"と取り消すのである。
五月七日付の供述調書でO君は、
『制服を着た女学生に逢ったけれど、急いでいたし、行き違っただけなので、確かに善枝ちゃんと言い切ることが出来ず、間違ったかも知れません』
と、言い直しをさせられている。
だが、次に引用した週刊誌の記事にあるように、O君は決して「中田善枝ちゃんを見た」ことを取り消してはいないのだ。週刊「女性自身」昭和三十八年六月二十三日号は、"たしかに善枝さんに間違いない"と題して、O君の証言を紹介している。中田善枝さんは、中学三年の時、生徒会の副会長であり、朝礼の時など全校生徒に号令をかけたりしていた。また、ソフトボール部のピッチャーをやっていた。
当時、堀兼中学は生徒数三百人足らずであったことから、善枝さんの顔を知らない生徒はいなかったといえる。O君が善枝さんを見間違えるはずがないのである。
にも関わらず、警察はO君の証言を取り消した。当時十四歳の少年に対して、見たものを見間違いと言いくるめることなど、警察にとってはたやすいことであった。
この七日付のO君の証言の取り消しに伴って、極めておかしなことに、郵便局員Sさんの証言内容も変更しているのだ。五月七日、Sさんは次のように語っている。
『特殊郵便の発送準備を午後三時半頃から始めますが、その差立(注:1)ちょっと前に入間川分校の女生徒が領収書を取りに来て私が渡したのでした』
このSさんの『善枝さんが来たのは三時半頃』という証言は、のちに確定判決で「石川さんと善枝さんが出会ったのは三時五十分」とされることと関連して重要な意味を持ってくる。
五日、Sさんは、『善枝さんが来たのは二時から三時十分の間』と語った。それが七日には『特殊郵便の発送準備を始める三時半ちょっと前』に変わる。このふたつの供述を並べた場合、七日の証言の方が具体性があることから、一見正確なのではないかと思える。しかし、Sさんはその供述の中で語ってはいないが、五日の『二時から三時十分』という時間も、郵便業務の中では極めて具体性を持つ時間なのだ。
五月一日、Sさんは朝八時から夕方四時までの勤務であった。この昼間の勤務時間の場合、その日に扱った現金はいったん三時で〆る。そしてその日の売上げを出納課に提出し、三時以降必要な切手、葉書、現金など見積もって、その分だけ出納課からもらうのである。その現金は、四時の勤務交替の時、次の勤務の人に受け継ぐのである。三時という時間は、現金の〆であり、郵便局の業務の中で重要な時間である。この三時の〆に間に合うように、郵便課の窓口では客のいない合間を見て、二時頃から現金の計算を始め、出納課に持って行って三時以降必要とする現金をもらって帰ってくると、だいたい三時十分頃になるのである。つまり五日、Sさんは現金を〆るため、計算を始め、その仕事が終わるまでの間……二時から三時十分……に善枝さんが来たと言っているのだ。
Sさんは、
『当時、警察の人から写真を見せられて、"五月一日この女生徒は何時ごろ領収書を取りに来たか"と聞かれた。確かに制服を着ておかっぱの女生徒が領収書を取りに来たので渡したが、その女生徒が写真の中田善枝さんだとはっきり憶えていたわけではない』
というのである。
この場合、Sさんの証言は、事件の起きた日に近い五日の方が、七日のものより正確だといえるのではないか。
が、とにかく、O君の証言の取消しと合わせて、Sさん証言の善枝さんが郵便局に来たという時間は、三十分から一時間遅くなるのである。(続く)
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注:1「差立(さしたて)」=郵便物を集めて次の処理(仕分け、交換局への輸送、発送など)ができる状態に準備・手配すること。
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ところで狭山事件に関し、信頼がおける資料(関連書籍含む)となると、それは以外と少ない。狭山事件公判調書や控訴趣意書、再審請求書は別格として、これと同格に近いと思えるものは、弁護団の方々の執筆による書籍、あるいは鑑定人が執筆した書籍に限定されてしまうと言えよう。やや観点を変えて見た場合には、熊谷二重逮捕事件を掘り起こし、狭山事件との関連性を明らかにした佐木隆三の著作も、冤罪の系譜を知る上では相当な良書と言えるだろう。
今回、引用元とさせていただいた『狭山事件・現地からの報告』という書籍は、事件への観点が市民の目線からという点でとても奇特であり、老生としては手放せない一冊となっている。
本書は十年ほど前に、狭山市内で営業していた北村書店という古書店で購入した。代金を清算しながら、狭山事件に対する興味がある旨伝えると店主は、『ああ、あれはね確かすぐそこに死体が埋められていたんだよな、ほれ、すぐそこ』と、店の前の道路をへだてた畑を自身のアゴで示した・・・。懐かしい思い出である。この店をストリートビューで確認したところ、次のような状況が認められた。
