
(事件当時の堀兼)
【隠された証言】④
(「狭山事件・現地からの報告:たいまつ社」より引用)
「やったのはよそ者」という堀兼住民の偏見と捜査の行きづまりは、部落に対する集中見込捜査となり、石川一雄さんの逮捕、自白へと発展する。
石川さんが五月二十三日に逮捕されてから一週間後の五月二十九日、級友のNさんとT子さんは原検事に対して『善枝さんが帰ったのは午後三時半頃』と供述していく。郵便局員Sさんは、すでに七日『善枝さんが帰ったのは午後三時半頃』と証言を訂正している。
五月二十九日付N、T子証言と七日付S証言は、確定判決の「石川さんと善枝さんの出合いは三時五十分」にとって、たいへん都合の良いものである。
五月二日『善枝さんは二時半頃帰った』かに語りながら、五月二十九日には『私に"さようなら"と言って帰ったのは三時半頃』と供述したT子さんは、二審第六十六回公判で、『中田さんが帰る姿をその日見ましたか』との弁護側の質問に、
『見ません』
と答えている。そして、弁護人から五月二十九日付供述調書を見せられた後は、証言台にうっぷして、ただ泣いてばかりいて、何も答えない。
石川さんが逮捕されて事件が解決したことを報道した五月二十四日の埼玉新聞は、入間川分校主事=椙田英太郎さんの次のような談話を載せている。
『これからは生徒の集団登下校を図るほか、生徒の遅刻・欠席・早退届けについては厳重にしたい』
二審六十六回公判廷でのT子さんの涙は、五月二十九日付供述調書が偽証であることを明らかにしている。そして椙田先生が、五月二十三日に、わざわざ「生徒の早退届けは厳重に」と語っていることは、五月四日付埼玉新聞の「ホームルームを休み早退」説を裏付けている。
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O君と出会ったあと、善枝さんは、関口自転車店の先の二又になっている道を、左の人通りの多い方へは行かず、天岑寺(てんしんじ)の山門の前を通る山の中の道を進んで行ったという。
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◯なるほど、以上の隠された経緯から、被害者=中田善枝が下校した時刻は午後二時半過ぎ頃とみてよいだろう。警察が下校時刻の証言を変更させ、これにともない郵便局員の証言をも変更させた理由とは、中田善枝と石川一雄を午後三時五十分に山学校近くの十字路において出会わせるための辻褄合わせのためであった。
なお、以上の事柄を強力に補強する目撃情報として、事件当日の午後二時半から三時の間に、西武線の第二ガード下に立つ中田善枝を同校に勤務する相沢教師が目撃しており、やはり時刻が三時頃、今度は第一ガード下に自転車と共に立つ中田善枝の姿を主婦Nさんが目撃している。この主婦Nさんは証人として第一審公判廷で同じ旨の証言を行なっている。
こうして一つ一つの事象に検討を加えると、この狭山事件の捜査はかなり危ない橋を渡っていたと言え、ことによると、例えば事件の全証拠の開示が実現した場合など、裁判の判決は見事にくつがえることになるだろう。本書を読むたび、その余震のようなものが感じられる。