【狭山事件公判調書第二審4039丁〜】
「逆吊りはありえない」
弁護人=木村 靖
[第一] はじめに
次に被告人の自白調書にあるような中田善枝の死体を芋穴に逆吊りにしたというようなことはあり得なかったこと。したがってこの部分の石川自白は虚偽であることについて述べ、被告人の自白に基づく原判決の事実認定は重大な誤りがあることを指摘したい。
[第二] この点に関する原判決の認定によれば、死体を五月一日夕刻、新井千吉所有の芋貯蔵穴の側に運んだ上、付近の家屋新築現場にあった荒繩木綿細引紐を使用し、死体の足首を細引紐で縛り、その一端を荒縄に連結して死体を芋穴に逆吊りし、荒縄の端を芋穴近くの桑の木に結びつけコンクリート製の蓋をして死体を隠したということになっている。
[第三] しかし死体及び芋穴自体には死体の逆吊りという痕跡は全くみられない。
(1)まず中田善枝の死体自体について考察するに、
a.五十嵐勝爾作成の中田善枝の死体鑑定書五十嵐勝爾の証言及び大野喜平作成の実況見分調書を鑑定資料とした上田政雄の鑑定書によればその"A 死斑または皮色に主に関係する事項に対する批判の16ページ"では、両足にソックスをはき黒皮短靴を履いているが、靴の上縁があたる所の皮膚はやや変色した弧状の線となっている。またソックスのゴムの部分と思われる部の下の皮膚はわずかに暗色をおびた様にみえる。しかし、これらの微細な変化を除くと全足首の部分には細引紐が強く圧迫したと思われる何らの痕跡も残っていないと鑑定している。
この鑑定の示すものは本屍の足首に靴の上縁の跡が残っていることの対比からすれば、逆吊りが実際にあったとしたら足首にはその点の何らかの痕跡が残って然るべきであるがそれがないこと、すなわち逆吊りはあり得ないことを指摘している。
"Aの17項"では、死後すぐより二、三時間の間死体を逆吊りした痕跡は以上の死斑の出現状態から全く考えうる所見が見られない。本件においては全く死斑の状況はうつ伏せになって埋められていたにふさわしい所見であり、埋める前に逆吊りした所見を思わせる何物もないと鑑定している。この死斑の持つ意味はこの事件では重要である。
というのは、この死斑はまだ捜査官が一定の予断を持つ以前の時期、すなわち死体発掘当時に実在しそれを五十嵐鑑定が確認した客観的な事実であるからである。一方、芋穴で逆吊りしたということはその後の自白以外には何物もないことをつけ加えておく。
"そのC、窒息死の症状についての批判3項" では、顔面部に鬱血が見られる状態で、死斑も高度に出ているという条件下であるからおそらく鼻血と考えたものは死後の溶血に加わり気管内から泡沫液が腐敗のけつかとして多量に出たためであると鑑定し、さらに4項で耳孔内には凝血も、凝血が乾固したものも見られないと鑑定した上、鑑定事項にあった様に頸部圧迫に加え二、三時間逆吊りしたため、耳孔内出血や鼻血が助長されたという所見は本件には全く見られないと結論付けている。
(次回、"E.頭部損傷についての批判"へ続く )
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○弁護士の弁論を読めば読むほどに、ありとあらゆる点においてこの裁判は疑わしく思えてくる。被告は自白しているのだから細かいことはどうでもよいと裁判官は判断したのか。あるいは佐野屋での犯人取り逃がしに続き、第二審で被告へ無罪判決を下した場合の警察・検察に対する社会的反響、その負の圧力に怖気ついたのであろうか、正義をつらぬくことを放棄したばかりに、この事件は後世にわたり揉め続けている・・・。
さて一息入れ、ここからは趣味の古本いじりの時間である。
今日は写真左下にあるアシモフ選集「イギリスの歴史」をチェックしてみる。
よっ、初版ではないか。いいぞ、これは。
ややっ、これは・・・。なんとこの書には写真のように各ページにみっちりと線引きがなされ、その範囲は全体の三分の二ほどに及んでいた。そしてとどめを指すように十円玉大のシミがそこかしこに散在するという有様であり、つまり古書としての価値は崩壊、高値で転売という目論見も崩壊・・・まったくトホホな話である。