アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 842

「1950年に養成が始まった速記官は各地の裁判所に配置され、和歌山地裁で99年から約3年7カ月に及んだ毒物カレー事件の公判でも活躍。しかし志願者が減るとともに、国内産タイプライターの製造台数も少ないことから、最高裁は98年に新規養成を停止。97年に852人いた速記官は、昨年10月時点で148人まで減った。」

「最近の記録方法で採用されているのが、録音したデータを外部業者が文字化し、書記官が確認や修正をする「録音反訳」。最高裁は「速記官の養成を再開する可能性はない」としている。

この流れに異議を唱えるのが、弁護士や速記官経験者らでつくる「裁判所速記官制度を守る会」だ。会長の大倉浩弁護士(埼玉弁護士会)は「録音反訳は時間がかかる上、紛失や漏えいの恐れがある」と指摘。実際に横浜地裁では2012年、証人尋問を録音したDVDを委託時に紛失した。さいたま地裁では容量不足で録音データが途切れ、尋問をやり直したという。」(インターネット情報より)

○考えてみると、裁判所の速記官という職業もその業務内容が中々明るみに出ず、逆に興味深い。これについてはいずれ狭山裁判と絡め考察してみたいと思う。

【公判調書2613丁〜】

                       「第五十回公判調書(供述)」

証人=飯野源治(四十二歳・警察官=狭山警察署勤務)

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○当初、脅迫状に書かれた宛名が「少時」ということから、その脅迫の対象者ではないかと考えられたのが「長島少時」氏である。実は公判調書には当時の長島氏の居住番地が記載されており、私としては果たして弁護人の言う、身代金二十万円の脅迫対象になりうる相手なのか、また脅迫状に書かれた「前の門」は未だ存在するのか、これらを自分の目で確認すべく、昭和の名刑事"平塚八兵衛"が発した「現場百回」なる言葉を繰り返し唱え、現地に赴いたことがある(写真はその時のもの)。

結論は、脅迫の対象にはなり得ない、であった。やや具体的に述べると、公判調書に記載された番地には現在も昭和三十年代風の住宅が存在し、そこには生活感も感じられ、したがってそこにはプライバシーも発生することから、写真もあえて対象を外し撮影した。表札は無く、脅迫状の「前の門」は存在せず、現地での私の感じた印象は、証人=飯野源治の証言「金を目論んでの犯罪をやる対象としては不向き」とほぼ一致したのであった。