【狭山事件公判調書第二審4185丁〜】
『足跡および佐野屋往復経路の諸問題』
弁護人=城口順二
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第三、『現場足跡』は、本件現場から採取されていない。実況見分調書は一体性を欠く。
一、「実況見分調書の足跡記載」
前出:関口作成の実況見分調書には、
(イ)、佐野屋から東方二十八.六m、県道から三.五m入った畑中であって且つ◯(印字不鮮明=注:1)から続く茶株の東端に「被疑者が印象したと思われる足跡一ヶが認められた」こと、
(ロ)、佐野屋の東側二本目の農道を、県道から南へ百三十二.七m進んだ地点から畑の中を西方に「十八ヶの足跡」があったこと、
(ハ)、その農道を更に南へ進み、市道を超えて六十五m進んだ畑の中に、東へ三十mに亘って「被疑者の印象足跡」があったこと、
が記載されている。
(注:1=原文は印字不鮮明である。)
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二、「自白とは一致しない」
(1)、ところで被告人は、六月二十四日付員調書によると、県道から「十mくらい畑の中に入ったところ」にひそんでいたもので、第一の足跡が県道から三.五mとするのと全然一致しない。
更に被告人は「私と小母さんとの間は十mくらい離れていた」というのであり、中田登美恵は道路標識の少し先に進んだ点からしても二十三.六mもあり(原審:中田証言・原審検証調書)、これまた供述とは全然一致しない。
(2)、既に弁論冒頭で述べた三つの自白調書によれば、被告人は町田方交叉点を経て、佐野屋東側の農道に入って畑の中に入っていることは明白である。被告人は地理に詳しく、佐野屋生垣根に接する一.六mの農道を意味したもので、第二の足跡が認められた農道(61点〜63点)とは全く一致しない。また第三の足跡についても同様、自白の経路と全く別のところのものである。




結局、自白を真実とすれば右三ヶ所の足跡は全く他人のものである。ただし第一項に詳述の如く、自白自体作られた虚偽のものであるから、この意味で足跡が被告人のものであるか否かを論ずるまでもないのかも知れない。
三、自白による当夜の被告人の行動が、簡単で具体性に欠けるものであることは先に述べたが、自白を現場足跡に沿うように一致させることをしなかった理由については、既になされた前回の植木弁護人による弁論に明らかである。これを引用の上要約すると、
(1)、当時捜査当局は、前記の各足跡を重視していなかったこと。その理由は、本当に犯人の足跡であると信じていなかったためであると思われること。
(2)、実況見分調書記載内容は、問題が多いこと。その内容として、
(イ)、犯人がひそんでいた地点に同一足跡があったはずなのに記載がない。この足跡は重要な手懸かりになるのに、たった「一ヶ」しか発見しておらず、ひそんでいた場所との関係に触れていないこと。
(ロ)、第二の足跡は、農道から畑の中を西に向かって「十八ヶ」あった。これの先について記載がない。したがってその先に足跡はなかったということになる。調書末尾の「此の他見分中資料の発見に至らなかった」との記載からも疑う余地ない。ところが当審:長谷部証人は、犯人のひそんでいた地点まで続いていたというが、この証言は思いつきの嘘であること。
なおこの点に関しては、ほかに当審:諏訪部証人なども同旨を述べているが、往復路と足跡の矛盾に気付いて盛んに関連付けを「頭」で考え出している顕(あらわ)れであるとも考えられる。いづれ全く取るに足らない。
(ハ)、飛び飛びの僅かな数の足跡しか発見できなかった理由は、多数の警官が慌てふためいて畑の中を走り廻った結果、畑の中は「県道南東畑地を見分するに不老川に至る間無数の長靴及び地下足袋ズック跡が認められた」状態だったからであること。
(ニ)、現場の状況で、如何にして特定の足跡を犯人のものと認識したかが問題であること。捜査官は犯人は誰で、どんな履物を履いていたか不明であったのだから、客観的状況がなければならないのに、認定の根拠となるものは全くない。
第一の足跡は論外で、第二・第三の足跡について「被疑者の足跡と思料される通称地下タビ跡が印象されてあったのは二ヶ所あった」と記載されているが、犯人との関連が不明であること。足跡自体も「明らかでない」というので、足跡が地下足袋のものということ自体疑わしいこと。
ところが、調書原本には、最初「長」(或いは「表」)と書きかけて、これを削除し、次に「素足跡」と明記されていた。ところがこれを別の機会に「通称地下足袋跡」と訂正した重大な事実があること。右訂正は、元カーボン使用の上で書かれていたのを、訂正部分のみペン書となっていることから、同一機会になされたとは認められない。この訂正は一旦、見分者が素足の跡と判断したのちに、新たな事情が介在していなければならないこと。(なお付記すると、訂正箇所の真上に切片が貼られ、それに「たが」或いは「ひが」と記載がある。)以上いずれにしても足跡が素足か地下足袋か迷うほど不鮮明であったことは間違いない。
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○以前読んだ狭山事件関連本に、「金を受取りに現われた犯人が潜んでいた地点の老木には刃物で付けられたような傷が残っていた」という記述があり、石川被告の逮捕後、取調官はしきりに事件当夜の刃物の所持の有無を尋ねていた、とも記載されていた。被告の、刃物など知らないという供述によりこの件はうやむやのままとなる。
この狭山事件では、石川一雄氏の逮捕をきっかけに、真犯人への到達の端緒となりそうだった情報が闇の中へと葬り去られている。遺体埋没現場の農道に残されたリヤカーのタイヤ痕、被害者を最後に目撃した奥富少年の証言など、どれもこれも重要な情報であった。この冤罪性が充満・圧縮している狭山事件の早期再審開始が待たれる。