アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 844

(写真二点は"狭山差別裁判  第三版  部落解放同盟中央本部編"より引用)

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『農村地帯の特色で住民の口は予想以上に堅く、また何らかの血のつながっている家が多いため言葉をにごし、ベテラン刑事たちもホトホト手を焼いているほど。地元有力者の一人は「われわれの平和な生活を乱したのは警察が犯人を取り逃がしたからだ」と食ってかかり、警察に対する不信感もようやく高まり、中には捜査員が門をたたくと内側からカギをしめ、戸のスキ間から塩をばらまく始末で、捜査が長引くにしたがい住民の"反感"もますます強くなっていきそうな気配だ(読売新聞 五・八)』

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【公判調書2624丁〜】

                    「第五十一回公判調書(供述)」

証人=長谷部梅吉

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(石田弁護人の問いより始まる)

(続く)

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老生はある時期、徹底して狭山事件関連書籍を集めていた。そこには必ずと言っていいほど数名の人々の名が登場しており、記憶を辿るとその名は関源三、清水利一、長谷部梅吉、そして奥富玄二である。この奥富玄二という人物は、狭山事件の被害者となった中田善枝さん宅で作男(農作業手伝い)をしており、事件当時、結婚を目前に控えながら(新居もほぼ完成)、狭山市内青柳にある実家において農薬を飲み井戸に飛込み、自殺を遂げた方である。現在、この方の当時の動向や警察の内定捜査等はネットを調べると詳細に分かるが、狭山事件の展開とこの方の自殺がほぼ同時期に進行しており、したがって事件の真犯人像と絡め語られているのが実情のようだ。これは自殺後の奥富玄二氏の死因の解明等が杜撰であったりし、後世に渡り"しこり"を残す結果となるが、自殺した時期がたまたま狭山事件と重なったとも思われ、この辺りは冷静に考察していかなければなるまい。

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講談社刊=渡辺孚(まこと)著「犯人を追う科学」・「Ⅲ高度成長犯罪の捜査」(渡辺氏は医学博士、事件当時警察庁科学警察研究所勤務・科学捜査部長)という本の"捜査を混乱させる予断"の項では、『さて本件が凶悪な強姦殺人事件であると分かってから一ヶ月になろうとして、まだ犯人が充分色濃く浮きあがってこないときに、同じ部落の中で、結婚式を翌日にひかえている若い男の自殺騒ぎがおこった。実は、最初から捜査の範囲は現場付近の農村地域内に限られていたから、犯人は恐らく袋の鼠の状態にあるであろうという想像がもっぱら行なわれており、そうすれば追いつめられた犯人が自殺するという場合も、大いにあり得ることとして心配されていた矢先である。井戸にとびこんで投身自殺をとげたと思われる男、その死体を検視しただけで死因を農薬中毒と決めたのは、あの当時としては問題であった。死体を外から観察しただけで、農薬中毒の診断を下すことは不可能である。たとえ死体のそばに農薬の容器があったとしても、果たしてそれを飲んだか、また飲んだことが原因で死亡したかということは、死体を解剖検査して、化学的に農薬を検出し得て後に始めて可能となる。後に死体の口中を拭った脱脂綿についての検査依頼があって、分析の結果たしかに塩素含有の農薬を証明することはできたが、それだけでは、死因、自殺の線に結びつけるのには無理がある。

しかし実際問題としては犯罪を疑って司法解剖にする根拠はなく、監察医制度の行なわれていない所だから死因確定のための行政解剖にするわけにもいかない。ところが血液型を調べたら、犯人の型に一致する。これでは黒に一歩近づいたことになる。このままで済ますなら、もし万一、犯人が他にあがらなかった場合には、この男に対する疑惑は永久に消えないという結果にもなりかねない。だからこの男が白であることをはっきりさせるためにも、また農薬自殺であるとするならそのためにだけにでも、是非とも解剖検査を必要としたのだが、当時の事情はそれを許さなかった。幸いにもその後間もなく真犯人があがったから、その意味では自殺男の解剖はしなくてもよかったと言えるようになった』とある。

だが、その後間もなくあがった真犯人とされる石川一雄被告人はどうやら事件とは無関係である可能性が高く、渡辺孚氏が危惧した自殺男に対する疑惑は高まるばかりで、氏の意見は相当に的を得ていたと言えよう。