アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 939

(事件発生当時の狭山市堀兼・佐野屋付近の写真)

【公判調書2956丁〜】

                       「第五十五回公判調書(供述)」

証人=小島朝政(五十六歳・財団法人埼玉県交通安全協会事務局長)

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宮沢弁護人=「もう一度確認しますが、あなたが狭山の現地へ行かれたのはいつからですか」

証人=「五月の六、七日頃ですかね、かれこれ一週間近く経つ頃なんですがね」

宮沢弁護人=「五月の六、七日頃ですね」

証人=「そんなように記憶してます」

宮沢弁護人=「その行った場所はどこに行かれたんですか」

証人=「最初に行った場所ですか、それはもちろん捜査本部に行きました」

宮沢弁護人=「そうすると、そこでは誰の指揮下に入ったわけですか」

証人=「当時、報道陣がもう、たくさんおりまして、捜査員より報道陣が多いぐらいで、ざわめいておりました」

宮沢弁護人=「誰の指揮下に入ったかということです」

証人=「ですから、それが前提なんですが、それで刑事部長に、まあ、向こうの事件を決まりつけてきたからと報告しようと思っても会えないんです。それで、一日経ってその翌日、帰って来たというので話しましたら、まあ、現場でも見てということで、特命がなかったわけです。それで数日過ぎたわけですね」

宮沢弁護人=「そうすると、特に、誰の指揮下に入るということはなかったわけですね」

証人=「ええ、初めのうちはね」

宮沢弁護人=「そうすると、そのあなたが先ほどご証言されたこの手拭いですね、手拭いの捜査を始めたのはいつ頃からですか」

証人=「これはですね、八日頃じゃないですかね」

宮沢弁護人=「そうすると、六日に行って、八日というと二日目」

証人=「八日から、いずれにしても十日くらいになりましょうかね」

宮沢弁護人=「それまでは何もしなかったんでしょうか」

証人=「それまでは現場を見て、死体現場を見てですね、それからその辺の地形だとか、被害者の家と現場のつながりの道を覚えたり、家屋や周囲の状況を見たりしたんですがね。それから記録を見たり」

宮沢弁護人=「そうすると、あなたが一番、捜査本部へ行って、最初にやられたことは何なんですか」

証人=「あの事件では現場を見て、早く皆んなが先に行って知っているこの事件の内容を知ろうということが一番先ですね」

宮沢弁護人=「あなたは五月六日か七日、そうすると、早くとも六日ということですね」

証人=「その辺は今、日を言われてもはっきりしないんですがね。まあ、いずれにしても数日経って行ったということを記憶してますね」

宮沢弁護人=「あなたは先ほどのご証言で、奥富玄二の死体を見に行ったと、こういう風に仰いましたね」

証人=「ええ。それは相当、まだ行って、早い頃だったですね。幾日だったでしょうか、早い頃だったですね」

宮沢弁護人=「行ってから幾日経ってからですか」

証人=「これは本当に早い頃だったと思います。そんな関係でちょこっと思い出したという話が出たわけです」

宮沢弁護人=「行って、すぐ行かれたんじゃないですか」

証人=「その点は、まだ、本当に私の仕事が始まっておらない頃だったでしょうね」

宮沢弁護人=「そこのところですね、私が最初に聞いているのは、最初に行って何をしたかという、そのことの関連で、奥富玄二の死体を見に行ったのはどのくらいかというところをお聞きしたいわけなんですが」

証人=「ちょっと、日は覚えていないんですが分かりませんです」

宮沢弁護人=「そうすると、最初に行ったその日ですか、それとも、それから二、三日経ってからですか」

証人=「ですから、その日にはですね、それが記憶がどっちが先だったか、とにかく、あの頃はまともな仕事をしてなかったんですから」

                                                                   (以上 佐藤房未)

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(佐藤房未とは速記録者の氏名であるが、この後、宮沢弁護人の尋問は内容もそのままに続行されてゆくのだが、なぜこの時点で速記録者の名が記入されているのか。休憩がその理由であろうか)

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宮沢弁護人=「そこのところをちょっと私聞いているんですが、あなたは捜査官で狭山の現地の本部へ行って、最初にどういうことをやったか覚えているでしょう」

証人=「私の今申し上げられるのは、早い頃だったということ、それから私が、あまり本格的にこの仕事を始めてない頃だったということは記憶があるということだけでございます」

宮沢弁護人=「奥富玄二氏が自殺したのは五月六日になっていますね」

証人=「ああ、そうですか」

宮沢弁護人=「どうですか」

証人=「六日なら六日で仕方がないでしょう」

宮沢弁護人=「あなたが奥富玄二の死体を見に行く前に、何かやったことがあるんですか」

証人=「その頃私は行ったばかりで仕事がなかった頃ですから、先ほど申し上げた、現場を見たり被害者のうちを見たり、その前後した頃ですから、今記憶がないです」

宮沢弁護人=「あなたは、法医的なことを多少研究されてるということですね、そういうご証言じゃなかったですか」

証人=「はい」

宮沢弁護人=「それで具体的に死体にあたってみたわけですか」

証人=「いや、これは見ましたが、これはやはりはっきり言って、縄張り現場というか、肩書を付けた鑑識官がおるものを、私が半年やそこら行ってわずかな解剖や死体所見を聞いたくらいで、すぐさま私が自分で話せるものでもないし、しますから私はちょっと見て帰ったことを記憶してると、こういうことでございます」

宮沢弁護人=「先ほど、自転車で行かれたということですが、自転車で自分だけで帰って来られたんですか」

証人=「そうです」

宮沢弁護人=「一人帰って来たんですか」

証人=「一人で帰って来ました。私は当時は何もしていませんでした」

(続く)

写真はいずれも事件発生当時の狭山市堀兼付近。