アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 1385


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◯写真は犯人が現われた茶畑はずれ(✖️印)を北東から撮影。佐野屋(○印)周辺には四十人の警察官が張り込んでいたが、犯人は畑の中に向かって逃走した(写真左側)。写真は"無実の獄25年・狭山事件写真集=部落解放同盟中央本部中央狭山闘争本部・編、解放出版社"より引用。   

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狭山事件公判調書第二審4190丁〜】

『足跡および佐野屋往復経路の諸問題』

                                                                弁護人=城口順二

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四、「実況見分調書は一体性を欠く」

   (2)、写真中の道路状況をみると、県道が乾燥して自動車のすれ違い時に土煙りが上っているのが番号1であり、これに反し、「水溜り」さえあるのが番号2であり、番号3・6は、ほぼ乾燥していると考えられ、これらがすべて同日に撮影されたものとみることは出来ない。

   (3)、県道の北側端に約十本もの電柱丸太が積んであるのが番号3・6であり、明確に電柱丸太の存しないのが番号1・2である。明らかに別の機会に出来た写真とみるのが適当である。

   (4)、見分が午前十時より午後一時までの僅か三時間内になされたものなのに、太陽光線は、あるいは東より西に、あるいは西より東にと変化したり、影の有無についても差があり、また強烈さについてもその程度に大きな差がある。太陽は三時間内で東から西に低く移動しないことからしても、全く写真は同一機会に出来たものでないことは明らかである。

   (5)、更に重要なことに、写真番号2と3の間にあるべき契印がない。また、同11と12の間の契印は一致させるべく努力しても一致しないほどにずれたものであることが看取できる。

   (6)、以上は雄弁に、見分時以後に写真が添付されたり、写真がすり替えられたりしたことを物語っているだろう。まさに実況見分調書本文と写真が同一時期に作成されたものでなく、一体性を欠くものであることを示しているのではないか。

   現場の状況を最も迅速に、且つ正確に残し記録されていると信じられている見分調書に改ざんを加えたことは必定で、これは捜査官に都合の良い証拠のねつ造の何ものでもない。

   右は重大である。

   右の見分調書の一体性に対する否定的事実が明らかになった以上、従前の植木弁論はその輝きを増すものであって、従来から指摘され重要視されてきた、調書中の「素足跡」を「通称地下足袋跡」と改ざんしたこと、同調書に足跡自体の現場写真を撮ったとしているのにこれが添付されていないことなどの持つ重大な疑点を考えあわせると、調書自体の証拠価値がゼロになるにとどまらず、積極的に「地下足袋」足跡が現場には存しなかったのであり、本件で現場足跡として提出されている石膏足跡は、偽造のものであるとの確信は、これまでに増して根拠を持つものであることを意味している。真実のために連続した見分時の写真フィルムの開示が待たれる。

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第四、おわりに

   以上大きく三つに分けて論じてきたが、佐野屋往復経路および足跡をめぐる関係証拠から見ただけでも、被告人が本件犯行と無関係な者であり、無罪であることは明白になったと思料するものである。

                                                                                       以上

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文中の(2)〜(5)の写真を捜すも、老生手持ちの資料には見当たらなかったが、この調書添付写真に関する問題は、まずはそこに気づいた弁護人の着眼点が素晴らしいと言えよう。いつか是非とも添付写真を見てみたいものである。

   さて、佐野屋周辺での犯人の逃走後に残された足跡が素足跡であったとは初耳である。この素足痕が地下足袋へと変更された瞬間からこの事件が冤罪事件へと進み出したというわけである。