現場に残された足跡は石膏で型がとられた。
(写真は"無実の獄25年・狭山事件写真集=部落解放同盟中央本部中央狭山闘争本部・編、解放出版社"より引用)
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【狭山事件公判調書第二審4183丁〜】
『足跡および佐野屋往復経路の諸問題』
弁護人=城口順二
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五、「三ヶ所の破損」特徴の検討
(2、横線模様の破損の続き)
次に3号足跡が、拇趾球隆起部を軸にして内側にひねった特徴を有すると言うが、同足跡のいずれの部位にもこれを裏付ける印象がない。鑑定人の当審証言によるも定かでないことは何を意味するのだろうか。
思うに足の一点を軸としてねじれば、他の部位もひねりに対応した変化を為すべきことは理の当然であるにも関わらず、六十九図・七十図を対照し測定した結果は、足弓部の三つの横線の位置関係に差がないこととされている。足先・かかと部等にも特別ひねりの影響が指摘されていない。すなわち犯人は極めて超人的に器用にd点からd'点の相当部位のみを移動させたことになる。科学性がまったくない、不自然な話ではないか。
ここにおいても全体の足跡印象状態は、地下足袋に一致しているとしているのに、部分のみが別個体のようにひねれてズレを生ずるということはまったくの矛盾であろう。上の点からみても本鑑定は大きな疑問を孕(はら)んでいる。単に地下足袋の破損部d点を機械的に足跡上のd点に移動したもので、そのほかに何の根拠もないと言うべきものである。かくて3号足跡の横線破損特徴は否定される。
(3号足跡)
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(3)、外側縁の破損
右足外縁部の側縁の破損痕について考察すると、鑑定書の言うように3号足跡にこれが印象されているとみるのは合理性がない。何故なら一つには、外側縁が3号足跡にはまったく観察出来ない。二つには、その内側にあるべき縫付糸部分(縫目溝部)についてもまったくその痕跡を見ない。右二つの部位の特徴は、足跡に印象されることが、いわば必然でないかとさえ考えられる。対照足跡のそれはすべてこの外側縁と縫付部の痕跡を印象し、対照足跡中、最も3号足跡に近似したA9号足跡においてさえ、かくも明瞭に印象されているではないか。A9号足跡拡大写真を資料として提出する。鑑定書は、右の点について「履き物溝部に土が詰まり石膏の流入が阻害され扁平となったものと見て不自然ではない」としているが、全資料を科学的に観察した結果でないことは以上から明白である。
三つには、3号足跡の前記扁平の部分についてよく観察すると、地下足袋の破損部分の面積と3号足跡の扁平部分の面積は明瞭に差があって、後者が狭く両者は一致しない。さらに右扁平部の上と下方には特徴ある隆起が印象されており、したがって現実の土の印象状態は凹状態となる。その型からして単なるヒビ割れと解することは出来ないが、この隆起についての指摘が鑑定書にない。仮に鑑定書中の「屈曲線上に附着した土塊痕と見るのが妥当」とする(三頁6・(二)・8)記載がこれとしても、印象状態からみて説得力がないばかりか、破損部分に土塊痕が係る印象を残すように附着するか疑問である。破損部分は破れて動き易いものとなっている。
(4)、以上の諸点から、3号足跡の鑑定結果はまったく信用できない。本件地下足袋の固有の三ヶ所の破損特徴は、いずれも3号足跡に印象されていないと言うべきである。
最後に3号足跡とA9号足跡の拇趾と四趾の間に存する「穴」の不自然な一致である。これは何を物語るのだろうか、疑問を止めたい。
(A9号足跡)
六、本項では3号足跡が、被告人宅から押収した本件地下足袋とは計測面からも三ヶ所の破損特徴の面からも一致しないことを示した。
ちなみに次の点を述べて本項を終える。すなわち押収足袋中に本件足袋と同種同大のものが存した。わずか五足中に二足も同種のものが存する事実は、狭山地区には他に同種同大のものが多数出回っていることを物語る。右の通り破損特徴を維持できないとすれば、3号足跡の印象可能な者は多数存在することとなるのは見やすい道理である。したがって被告人をして犯人と断ずることは不可能となる。
さて最後に、これまでの論述が誤りで、仮に3号足跡が本件地下足袋によって印象されたとした場合を想定しても、次の論述は注意されるべきである。
(続く)
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事件当時の写真を見てみる。○印が佐野屋であり、◎地点は被害者の姉=登美恵さんがいたところ。✖️印が犯人の現われたところである。そしてこの写真を見る限り、この周辺は農作地であることも確認できる。
であれば当然、ここに、この地面には耕作者の足跡が残るのは当然であり、これに加え犯人の足跡、さらに捜査員らの足跡が刻まれたのであるから、証拠とされた足跡はどのような根拠で石川被告の足跡とされたのか甚だ疑問を感ずる。