◯犯人のものと思われる足跡が、佐野屋近くの畑の中に残されていた。警察が石膏を流して採取した足跡の数は四十個以上もあったという。
五月四日付の当初の鑑識課の報告書では、十文ないし十文半の大きさの職人足袋による足跡とされていた。 ところが五月二十三日に石川一雄氏が逮捕され、彼の家から五足の地下足袋が押収され、その大きさが九文七分であった。すると警察は、現場の足跡は九文七分の押収した地下足袋によってできたもので、破損痕も一致するという鑑定書を作成、足跡は一致するとしたのである。
しかし悲しいかな現場足跡から採取した石膏型と、石川宅から押収された地下足袋は明らかに大きさが違っていたのである。
(写真の両端にある縦の点線が現場足跡の大きさであり、上に置いてある地下足袋のサイズは九文七分。これが一致すると言えるだろうか)
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【狭山事件公判調書第二審4181丁〜】
『足跡および佐野屋往復経路の諸問題』
弁護人=城口順二
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第二、「いわゆる『現場足跡』は被告人宅の地下足袋と異なる」 ♢足跡鑑定に対する反論♢
三、すでに植木弁論は、鑑定書が右足地下足袋の拇趾が下に強く屈曲して、第一趾が反対に上に屈曲して双方大きく喰違っていることに大きな特徴があるとし、2号・3号足跡にもこの特徴が顕著であるとしたことに反論を加え、結局かえって2号・3号足跡は被告人のものでないことを論証している。
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(・・・次に「四」を引用しようとしたところ、ここで問題が発生する。調書の印字が不鮮明という問題である。不鮮明な六行の引用は断念し4182丁へ進む)
(四の途中より)・・・その結果別表Bを得た。(なお参考に1号足跡について別表Cを提出する。)
(別表B)
(別表C)
右表Bによると、部分において十六ミリメートルを最高に、六〜七ミリメートルの差も決して少なくないことがわかる。この差は目をみはるに足る大きな差である。ところが、全体ともいえる足長の差が、わずかに四ミリメートルであるのとは大きく特徴をなすものである。右足長は、両方に容易に対照できる拇趾のつま先先端から、かかと半月部後端部までを測定している。
足跡鑑定書は、右の極めて明白に差の出てくる部分の測定数値をそれほど重視していないように思われる。まったく測定していない部分さえある。
測定については、どの点を測定起点と定めるかによって大きく誤差が生じてくると言えるかも知れないが、別表B・Cの測定結果はそれなりの意味を持つだろう。測定起点について鑑定書は必ずしも明白でないが、当弁護人は、それぞれ拡大写真面に針穴を残しているので、資料として本弁論に添付する。
当弁護人の得た測定結果を概括して考察すると、全足長の差が少ないのに、部分における測定値の差が大きいことが認められる。この持つ意味は何か。
思うに、足長が九文七分の足袋は各メーカーで製造しているが、足袋底面模様は、各メーカーによって異なっていることと深く関係しているのではないか。現に被告人宅から五足の地下足袋が押収され、種類は四種もある。各種の底面模様、うち特に横線、笹の葉模様など大きな差がある、このことを考えあわせると3号足跡は、本件地下足袋によって印象されたものではなく、九文七分の他のメーカーの製品である疑いが極めて濃いものとなろう。重要なことである。
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五、「三ヶ所の破損」特徴の検討
本件右地下足袋の底面には、「三ヶ所の破損」特徴がある。拇趾先端部の破損・横線模様の破損・外縁部の側縁の破損の三つである。鑑定書は、右の後者二ヶ所の破損特徴が、3号足跡に表われているとして、鑑定結果として前記二、(ハ)を導く重要な要素としている。次に各破損について検討してみる。
(1)、拇趾先端部の破損
この破損については、鑑定書七図および鑑定人=岸田政司の当審での証言などから、3号足跡には地下足袋の拇趾先端部の破損特徴は表われていないことを認めている。したがって特に検討の要はない。ただ後述のA9号足跡にさえ明白に印象されていることを記すにとどめる。





(2)、横線模様の破損
次に鑑定書は、拇趾付け根の下方に、拇趾球隆起部付近を内側にひねった印象条件の存在を指摘し、同書六十九図中のd点からd'点にズレが生じた旨記載し、同七十図中、横線の破傷痕d点との関連性を認めている。
ところが3号足跡自体について見ると、鑑定人の言うd点、d'点は特別に地下足袋の破損特徴を示すものとの観察を得ない。六十九図において見れば、d点の左方に横線破損に伴う段差が生ずるはずである。七十図と対比すれば約七〜八ミリメートル左方となる。ところがd点はd'点にズレたのであるならば、この段差は未破損部分の横線で消されて、d'点より左方七〜八ミリメートルのところにズレの後の段差が生じていなくてはならない。段差の状態は、d'点とされる付近は3号足跡において凹状で、その七〜八ミリメートル左方は凸状になるはずのところが、この特徴が表われていない。d点といいd'点というも、まったく説得力を持たないもので、ズレの問題と破損特徴の主張はまったく信用し難い鑑定である。
(続く)
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◯石川被告は逮捕後、「善枝ちゃん殺し」事件に関しては最初から犯行を否認していた。しかし取調官の言い放った「犯人はお前の兄でもいいんだ」という言葉に恐れをなし、さらに「善枝ちゃん殺しを認めれば、これまでの微罪を含めても合計で十年(=刑務所)で出してやる」との警察官の提案になびいてしまい、とどめに「これは男と男の約束だ、必ず守る」とたたみ込まれ虚偽の自白を始める。
兄=六造には事件当夜のアリバイが判明していたことも知らず、その兄をかばうことも含め、やってもいないのに、頑なに十年で出られるのならばと第一審は罪を認め抜いた。この当時、被告の思考は「男と男の約束」で占められていたことは想像に難くない。
狭山事件は単なる冤罪事件とは違い、無実を証明するには二重、三重の壁が待ち受けており、弁護人らにとっては、とてつもなく困難な道程となっている。