アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 71

第二審公判調書577丁。問うのは橋本弁護人。証人氏名:将田政二(埼玉県警察本部捜査一課長)。速記録の日付が昭和四十一年二月二十四日とある。私が生まれるのはその一ヶ月後であり、五十五年後の今、この調書を前に未だ再審の扉が開かれぬ現実に私は途方に暮れた。気を取り直し577丁に目をやる。ここでは事件の被害者の所持品である筆箱について触れられる。事件当時、被害者が所持していた鞄には教科書、ノート類、筆箱が入っている事を家族から確認を取った警察は「合成樹脂製、長方形、普通の大きさ(将田証人)と、その筆箱の特徴を明らかにする。しかしその筆箱は発見されなかった。教科書・ノート類を発見した当時の実況見分調書に筆箱は入っていない。弁護人はこの点について「〜普通考えれば教科書やノートの類と一緒に筆入れもあってしかるべきだと思うんですがね筆入れだけがない、という点については何か特に捜査の上で問題にしたことはなかったですか」と問う中で証人から次の言葉が語られる。「筆入れの中にあったんですか、あるいは服のポケットだったか判然としませんが、万年筆がありましたです」弁護人「万年筆があったかもしれないという記憶ですか」証人「ええ、それが筆入れの中にあったか、服のポケットにさしてあったか、ということの記憶はありませんが、持っていたことは持っていたという」・・・。私は思わず息をのんだ。証人の語る万年筆とはまさか石川被告の家から発見された物と同一ではあるまいな。ここはかなり重大な問題を孕む箇所である。私は、この証人が語る万年筆について弁護人が追及するものと期待した。だが、弁護人はそうではなく「われわれ常識的に考えてもおかしいと思う点は、筆入れのような、ある程度かさばる物を、特に持去るという理由がちょっとわからないわけですが、だから、筆入れみたいな物は、教科書やノート類と一緒に同じような同じ場所に捨ててあるだろうと思うのが常識なんですがね、そういう点について何か捜査したことはないですか」と、あくまでも、筆入れのみが持ち去られている特異性を追及する。この弁護人の観点が非常に優れている事は当然であるが、先に証人が述べた「筆入れか服のポケットに万年筆があった」証言は徹底的に解明すべきではなかったか。証言の内容が他とは質が違うと私は感じたのであるが・・・。(続く)                                                

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(臭跡を嗅ぐ捜査員たち。しかしそれは地下足袋の匂いではなくカツオとササミ、ミックス餌の残臭であった)