【狭山事件公判調書第二審3740丁〜】
『鑑定書』
大野 晋(学習院大学教授 文学博士)
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鑑定資料
一、東京高等裁判所昭和四十一年押第一八七号証の一(脅迫文)
二、浦和地方裁判所昭和三十八年押第一一五号符号六〇号(石川一雄の上申書)
鑑定事項
一、脅迫状と上申書とにおける漢字・仮名使用上に著しい相違があるか。
二、もし相違があれば、その原因は何であるか。
鑑定結果
一、脅迫状と上申書とにおける漢字・仮名使用上には顕著な相違がある。
二、その相違は、脅迫状の原文起草者と、上申書の筆者との読み書き能力に、大きな差が存在した結果と推定される。ここで脅迫状の原文起草者と称するのは、現存する脅迫状の筆者と、文章の起草者、あるいは下書き者とが別人である場合も考え得られるからである。
○鑑定結果に至る判断について
本鑑定人は鑑定資料の実物を実見することが不可能であるから、写真資料によって判断の正確を欠かない範囲の問題を取扱うものである。また、上申書と脅迫状とだけを鑑定資料として用いるのは、被疑者が逮捕された後、脅迫状を見せられながら、その文章を書き習ったことを供述している以上、逮捕後の文章、文字は、任意自然の表記と見ることを控えるべきものと思料されるからである。
上申書は逮捕以前の表現であるが、これは警察官の指導によって書かれた疑いがあり(例えば上申書下端に上申-縦書-と練習したと推察される筆跡がある)、純粋に任意自然とは言いかねるが、しかし其の中に取り上げうる点があるのでそれを用いる。
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一、上申書の用字について
上申書には次の誤字がある。
(上申書の誤字)
右の(1)(2)(3)(4)(5)(6)に見られる漢字の誤字は、この表記者の漢字の書字能力が極めて低いことを示している。(7)に見られる「はたくしわ」という表記は、この表記者が「は」と「わ」とを同一視していることを示すもので、これは小学校低学年の児童が多く陥る誤りである。(3)に見られる「にさの」という表記は、日常、口頭語だけで暮らしていて、新聞や雑誌などを読まない、田舎の老人や子供などに見られる表記である。(9)の「しげさんのんち」という表記も同様である。(10)「行ってません」のつまりで「エでません」と書いていることも、文字表記の生活に慣れていない人の特徴をよく現わしている。促音と撥音とを取り違えるのは、文字表記能力の低い人に見られる現象である。(11)(12)に見られる助詞「は」を「わ」と書く現象は、学力の低い人に普通に見られる現象である。
また、「直し」にあたるところに「なし」と書いてあるが、このように母音オにあたる仮名を脱落させるのも、文字表記に不慣れな人のよくすることである。
(続く)