
腕時計発見現場(写真右端に見える"ト"印の下がその場所である)。

腕時計を発見した場所を指示する小川松五郎氏(72)。

発見されたシチズン・ペット腕時計。警察が発表した品触れにはシチズン・コニー腕時計が記載されている。
【狭山事件第一審判決】
四、弁護人等の主張に対する判断
(二)自白の信憑力について②
二、腕時計の発見経過について
この点に関する前掲各証拠によれば、押収に係る腕時計一個(同押号の六一)は、昭和三十八年七月二日、被告人がその旨自供した地点である狭山市入間川四七九番地先道路上近くの茶株の根元に捨てられていたのを、たまたま同所付近を通行中の小川松五郎が発見して警察に届けたものであること明らかである。
ところで、前記弁護人は、右腕時計の側番号は、捜査当局によって出された品触れの側番号と異なっているばかりでなく、被告人は六月二十日に「狭山市の田中辺りに腕時計を捨てた」旨自供して図面まで提出しているのに、捜査当局は直ちに捜索を行なわず、五日後の同月二十九日頃、漸(ようや)く着手した等の事実があり、右腕時計の発見経過にも疑惑が存し、ひいてはそれが自白の真実性を脅(おびや)かしている旨主張する。
しかしながら、右腕時計は本件捜査に全く関係のなかった小川松五郎老人によって、しかも捜査当局の品触れと無関係に届け出られたものであり、前掲証人=中田健治、中田登美恵の第七回公判廷における各供述、押収に係る洋裁張及び洋裁ノート各一冊(同押号の六三、六四)を総合すれば、右腕時計は型、針、側の色、バンドの色、穴の状態等からみて、被害者善枝が生前所持していたそれと同一物であると認めることができるのであって、弁護人等主張の如くたとえ側番号が品触れのものと異なっていたとしても、それはむしろ品触れ自体が誤っていたとみるべきであるし、まして品触れの側番号と異なる点を捉えて直ちに右腕時計の発見経過を疑わしいものとするのは、些(いささ)か的はずれの感がある。そして、また前記両弁護人は、捜査当局において、被告人の自供を得ても直ちに捜査に着手しなかったのは不審であるとも主張するところ、司法警察員に対する昭和三十八年六月二十四日付供述調書によれば、右時計は五月十一日頃の夜七時頃、狭山市の田中辺りに捨てた旨の供述調書がありその地点の図面も添付されているが、検察官に対する翌二十五日付供述調書によれば、捨てた場所は田中の道路上、しかもその真ん中辺に捨てたもので、通行人が拾って持っていると思う旨の供述記載が見られるのであって、これを要するに、被告人の自供内容たるや、すでに四十余日も以前である五月十一日頃、被告人自宅、前記各犯行現場、鞄類等の発見地点等と全くかけ離れた狭山市田中の道路上しかもその真ん中辺に、被害者から奪取した腕時計を捨てて来たというのであり(しかも拾得の届出はない)、被告人自身も誰かが拾って持っていると思うなどというにあったとすれば、むしろ捜査当局が被告人の右供述調書を吟味し確かめた後に至って現場付近の捜索に出向いたとしても強ち(注:1)不自然でなく、もとより何らかの都合で自供の五日後に至って現場付近の捜索に赴いたとしても、それ自体右腕時計の発見経過に疑いを投げかけるものではあるまい。しかのみならず(注:2)、被告人は腕時計を捨てた場所につき、六月二十四日以降の取調べにおいて一貫した供述をしており、該腕時計の発見前から、その形、色、バンドにつき具体的な供述をしているほか「きっと誰か拾っていると思うから新聞にも出して皆にそのことを知らせてみて下さい」とまで訴えているところもあり、前記(一)の万年筆に関する自供内容が真実であることと相俟(注:3)ち、右腕時計を捨てたことに関する被告人の自供内容もまたこれを措信(そしん)し得るところである(もっとも、右腕時計は、被告人が捨てた日から五十余日を経過した後、被告人の捨てたと自供する地点から約七米五十糎離れた道路脇の茶株の根元から発見されたのであるが、この点につき、仮に一つの憶測が許されるなら、被告人は、道路上に腕時計を捨てたこと、該腕時計につき、型・番号等をテレビ等で報道していたこと、発見されたときの腕時計の汚れ具合からみて、被告人の捨てた腕時計を拾った何者かが、事件に関係する品物であることに気付いて、比較的早い時期に拾った地点近くの前記茶株の根元…この場所の腕時計を発見するには、かなり注意深く捜さないと看過し易い…に戻しておいたと考えられる余地もある。しかし、だからといって、腕時計を捨てた点に関する被告人の自供内容に真実性がないということではもちろんないし、右腕時計発見の経過に捜査機関の作為が介在したということでもない)。
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注:1「強ち(あながち)」=必ずしも〜ではない。一概に言えない。
注:2「しかのみならず(加之)」=そればかりでなく。その上。
注:3「相俟(あいま)ち」=複数の物事(要因、状況、要素など)が、それぞれ単体で作用するだけでなく、互いに影響し合い、一つの結果や効果を大きく高めること。
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次回、"三、鞄類の発見経過について"へと進む。