
(事件当時、警察により作成された"品触れ")
【狭山事件第二審・判決㉝】
(腕時計について)
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更に時計を捨てた場所については、六・二七員 青木調書においても述べており、その図面(二一一四丁)も添付されているが、この図面と右の二〇七五丁の図面を比較してみると、六月二十七日付の図面の方がより具体的正確に時計を捨てた場所を示しているのである。もし二〇七五丁の図面が六月二十九日付であるとすれば、六月二十七日付二一一四丁の図面を書いた後、更にこれよりも簡略な図面を二十九日に書いたということになり、合理的でないことになる。
ところで、先に述べたとおり、所論は右六・二四員 青木調書添付の図面の日付が一見「6月29日」であるように読めることや、被告人の供述に基づいて、被告人の員調書の日付は故意に遡らせてあると言い、被告人が三人共犯の自白をしたのは六月二十三日で、単独犯行の自白をしたのは六月二十六日であるというのであるが、それは、この六・二四員 青木調書添付の図面(二〇七五丁)の被告人自筆の「6月24日」の記載を「6月29日」であると誤読したためであって、一つの大きな前提を失うものといわなければならない。
次に、被告人のいう時計の図面を書いたり本件時計を見せられた日の天候についてであるが、当審において取調べた航空自衛隊入間基地司令=中村雅郎作成の「気象状況について」という回答書二通(一五冊二三八六丁・二三九〇丁)、埼玉県園芸試験場入間川支場長=入子善助及び熊谷気象台の各証明書(二三九六丁・二四〇〇丁)によると、六月末ころ川越市附近で雷雨のあったのは六月二十九日と三十日の両日であり、六月二十七日は曇り、六月二十八日は曇り時々小雨であると認められ、被告人のいうとおりの気象状況であったとは認められないのである(ただし、六月二十七日は被告人のいうとおり木曜日である)。
次に、被告人が七月二日以前に見せられて腕にはめてみたという時計であるが、押収の腕時計(昭和四一年押第一八七号の六一)をみると、バンドの穴数は被告人がいう四個ではなく、六個である。もっとも、被害者=善枝と姉=登美恵の二人がこの時計を使用し、両名が使用する場合にそれぞれ違ったバンド穴を使用していた形跡が見られないわけではない。しかし、被害者=善枝が使用する際に、購入時のままでは足りないので新たに穴を開けたという形跡は見受けられない。また、七・七検 原調書によれば、その記載内容からみて同日以前に被告人に対して時計を見せた様子は窺えない。なお、被告人は六月二十八日に検事の取調べを受けたというが、同日付の検調書は記録中に存在しない。
叙上(注:1)の諸点を総合すると、具体的な事実を挙げて正確な記憶によるものであるかのようにいう被告人の当審供述や発問は、必ずしも正しいものではなく、殊に時計の図面、それを捨てた場所の図面を書いた日時や、七月二日の時計発見届け出の前に取調官から本件時計を見せられているという部分は、その後に知り得た知識を交えた作為的なものか、重要な点で思い違いをしているかのいずれかであって、結局において信用できないのである。そして、このような被告人の当審供述や発問を前提とする所論も採用することができない。
然るところ(注:1)、本件腕時計の側番号と品触れの時計の側番号とが相違していることや、被告人が腕時計を捨てたと自供したあと捜査官が直ちに捜索に着手しなかったことに疑惑がある旨の所論が理由のないことは、原判決が詳細に説示しているところであって、当審における事実の取調べの結果に徴しても、その説示は正当であるとして肯認することができる。なお、この点について付言すると、本事件の捜査の統轄責任者であった員 将田政二の当審(第十二回)証言によれば、捜査官は被害者=善枝の兄=中田健治を同道させて本件腕時計を購入した店に赴き、同型の女物腕時計を借り受け、それを見本にして品触れの書面を作成し、軽率にもその側番号まで品触れに記入したものであることが明らかであり(特に、保証書でも保存していない限り、腕時計の側番号がその発見前に判明している場合は通常考えられない)、また、被告人の取調べに当たった員 青木一夫の当審(第二十七回)証言によると、「調書をとった時には、どうもそういう道路の真ん中へ捨てるということはちょっと考えられないということで、その日には捜索をしなかった。しかし、それから一、二日くらいしてからと思うが、重ねて尋ねた折に、この前書いた図面は間違いないんだ、というようなことを言ったので、これは一応捜索しなきゃいけないんじゃないかということで、捜索することにしたと思う」というのである。
原判決が「弁護人等主張の如く、たとえ側番号が品触れのものと違っていたとしても、それはむしろ品触れ自体が誤ったいたと見るべきである」と説示し、また「何らかの都合で、自供の五日後に至って現場附近の捜索に赴いたとしても」と説示しているところは、当審における事実の取調べの結果によれば、それぞれ前示の各証拠によって裏付けられ、その判断の正当であることがいよいよ明らかになったわけである。(続く)
注:1「叙上」=前に述べたこと。上述。
注:2「然(しか)るところ」=ところが。しかし。先行の事柄に対し、後続の事柄が反対・対立の関係にあることを示す接続詞。
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◯以下の二枚の図面は、いずれも腕時計を捨てた場所が書かれている。

上・6月29日付の図面(2075丁)。
下・6月27日に書かれた図面(2114丁)。

この二枚の図面を見ながらもう一度判決文を読もう。『更に時計を捨てた場所については、六・二七員 青木調書においても述べており、その図面(二一一四丁)も添付されているが、この図面と右の二〇七五丁の図面を比較してみると、六月二十七日付の図面の方がより具体的正確に時計を捨てた場所を示しているのである。もし二〇七五丁の図面が六月二十九日付であるとすれば、六月二十七日付二一一四丁の図面を書いた後、更にこれよりも簡略な図面を二十九日に書いたということになり、合理的でないことになる』
・・・合理的でない上、弁護人が「24日」の日付を「29日」と誤読したため・・・所論はその前提を失うというのである。
しかし、簡素に書かれた図面が先で、詳細に書かれた図面が後であることが合理的であるだろうか。やや視点を変えてみれば、こう考えられやしないだろか。
すなわち石川被告は、27日に書いた図面には「しょうぼうこや」「はたけ」などの情報を盛り込み、道路も手書きでやや歪んだ表記であったが、29日になって、もう少し整理された図面にしようと、道路は定規を用いた線で表し、地図上の主要な目印となる物の数を減らし簡略化、しかし道路の角度などは崩さずに、全体的な位置関係が見る人間に伝わる、ある意味で洗練された図面へと変化させた、と。
さらに判決文には、「図面(二〇七五丁)の被告人自筆の『6月24日』の記載を『6月29日』であると誤読したため」との判断が示されているが、この判断が誤りであることはその図面写真を見れば明らかである。


(図面2075丁。明らかに"6月29日"と読める)
したがって各図面の日付はそれぞれ正確な作成日付が記入されており、判決のいう、時計を捨てた場所を図面に書いた日付は「6月24日」という判定は誤りで、弁護側が主張する「6月29日」との日付が正解であるゆえ、この腕時計に関する作為のある工作が疑われるという弁護側の主張は認められるべきである。