【狭山事件第一審判決】
四、弁護人等の主張に対する判断
(二)自白の信憑力について①
前記中田、石田両弁護人は、本件強盗強姦、強盗殺人、死体遺棄、恐喝未遂事件に関する被告人の自白(捜査機関に対する各自白調書のみならず当公判廷の自白をも含む。以下これを単に本件自白と略称する)につき、幾多の疑問点ありとして、或いは他に共犯者がおるが如き、或いは自白に基づく物証の発見経過に捜査機関その他の作為が存するが如き口吻(こうふん)で、その信憑力を争い、結局右犯行は証明されていない旨主張する。
しかしながら被告人は捜査の当初、全面的に右各犯行を否認していたが、昭和三十八年六月二十日頃から一部自己の犯行(三人共犯説)を認めるようになり、次いで同月二十三日頃、捜査機関に対し全面的に自己の犯行である旨自白するに至るや、その後は捜査機関の取調べだけでなく起訴後の当公判廷においても、一貫してその犯行を認めているところであり、しかもそれが死刑になるかも知れない重大犯罪であることを認識しながら自白していることが窺われ、特段の事情なき限り措信(そしん)し得るものというべきところ、これを補強するものとして、前掲各挙示の証拠によれば、
(1)中田栄作方に届けられた脅迫状一通(前記押号の一)は、明らかに被告人の筆跡になるものであること、
(2)被告人は、右脅迫状が中田方へ届けられた前後の頃、中田方東方約百二十米の内田幸吉方を訪れ、中田栄作方を尋ねていること、
(3)五月三日、佐野屋附近の畑地から採取された足跡三個(同押号の五)は、被告人方から押収された地下足袋の一足(同押号の二八の一)によって印象されたものと認められること、
(4)五月三日午前零時過ぎ頃佐野屋附近で、中田登美恵が聞いた犯人の音声は、被告人のそれに極めてよく似ていること、
(5)被告人の血液型はB型で、被害者善枝の膣内に存した精液の血液型と一致すること、
(6)死体埋没に使われたスコップ一丁(同押号の四一)は、狭山市大字堀兼の養豚業石田一義方豚小屋から盗まれたものであるが、被告人はかつて同人方に雇われて働いていたことがあって、右小屋にスコップが置かれていることを知っており容易にこれを盗み得たこと、
(7)被害者善枝を目隠しするのに使われたタオル一枚(同押号の一〇)につき、被告人は入手可能の地位にあったこと、
(8)後記する如く被告人の自白に基づき被害者善枝の所持品であった万年筆一本(同押号の四二)が、被告人の自宅から発見された外(ほか)、被告人の自白した時点(原文ママ)の近くから鞄類(同押号の三〇乃至四〇)、腕時計一個(同押号の六一)も発見されていること、
(9)前記各事件は、明らかに土地鑑を有する者の犯行と認められるが、被告人は強盗強姦、強盗殺人の現場である「四本杉」、死体を一時吊るしておいた芋穴、身の代金授受の場所と措定(そてい)した佐野屋、前記石田一義方豚小屋の所在等をよく知っている外(ほか)、その附近の地理にも明るい(もっとも、中田栄作方は以前から知っておらなかったので2記載のとおり内田幸吉方で尋ねた)こと、
(10)被告人は、判示認定のとおり軽自動二輪車の購入費、修理費等で相当額の負債をつくり、父富造に約十三万円の出費をさせており、当時家庭内の不和もあって、幼児を誘拐して身の代金として現金二十万円を喝取したうえ、内十三万円を父親に渡し、残りの金を持って東京に逃げることを考えていたものであって、被告人は身の代金喝取の動機と計画を有していたこと、
(11)被告人は、セメント袋二個(合計約二十六貫相当・注:1)を一度にさげる程の腕力を有し、一人で死体を運搬することも可能であったこと、
(12)被告人は、捜査段階で全面的な否認から全面的な自白に移る過程において、他に二人の共犯者がおる旨供述しているが、これは共犯者二名の氏名、年令、人相、服装等全く明らかにしておらず、後に自白するところと対比しても、内容は極めて不自然で前記(3)の事実と抵触するところもあり、明らかに姦淫、殺害、死体遺棄等犯行の重要部分を共犯者の所為に帰せしめることにより自己の刑責を軽からしめようとする意図が看取されるものであって、被告人の右供述は、虚偽のものと認められる(その他、本件において共犯者の存在を疑わしめる事情はない)こと等の諸状況が明らかとされているのであって、被告人の前記各犯行を認むるに十分であるが、本件の認定を補足する趣旨で、以下必要な限度において、本件自白の信憑力、或いは自白に基づく各物証の発見経過について説明することとする。
まず、被告人の本件自白の信憑力を考察する場合、たとえば右認定の諸状況の中、全く自己を離れても認めることのできる前記(1)乃至(7)の各事実(8については別に後記する)を取り上げてみても、、これらはいずれもこれに副(そ)う被告人の自供部分(すべてを犯行の重要部分に当る)を概ね端的且つ強力に裏付けていると言い得るのみならず、相互に相関連してその信憑力を補強し合うことによって、被告人の本件自白全体の真実性をかなり高度に担保しているものと見て差し支えなく(そのほか本件において、自白の真実性を担保するに足る状況は数多く存し、枚挙にいとまもないところである)、更に、本件自白の内容を仔細に検討、吟味するも、その具体性、状況の裏付けなどの点から見て大局においていずれも首肯(注:2)し措信(注:3)し得るところのものであり、まして弁護人等主張の如く根底からその真実性をおびやかし或いは疑わしめるような状況は存在しない。もっとも、本件自白の細部において、食い違いや不明確な点等があり、或いは状況の一部に触れていない個所もあるにはあるが、これとても前記各犯行の模様、すなわち五月一日午後三時五十分ころ被害者中田善枝と出会った後、「四本杉」附近に連れ込んでの強盗強姦、強盗殺人の犯行、死体を芋穴附近に運搬、縄を探して芋穴に逆吊りにする、教科書類、鞄類の処置、中田栄作方への脅迫状差し入れ、豚小屋からのスコップの持ち出し、芋穴附近に引き返しての死体の埋没、次いで帰宅等々の行動を、僅か六時間足らずの間に、しかも薄暗く降雨もある状況の下でやり遂げ、更に同月三日午前零時過ぎ頃、身の代金受け取りのため佐野屋附近に赴く等、その行動は極めて活発で、関係地点も多岐に亘(わた)るほか、被告人自身にも犯行に伴う精神的興奮、緊張状態が存在したと考えられ、被告人の供述の細部に食い違いや不明確な点等があり、或いは被告人自身、一部の細かい点を見落としたり記憶していなくても何ら不自然ではなく、ましてやこれを捉えて被告人の本件自白を全面的に否定するが如きはまさに本末を転倒する見解といわなければならない。果たしてしからば(注:4)、被告人の本件自白の信憑力は、根本においてこれを肯認すべきものであり、右と見解を異にする弁護人等の主張は当裁判所の採用しないところである。
(続く)
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注:1「二十六貫」=97.5キログラム。
注:2「首肯(しゅこう)」=うなずくこと。もっともだと納得し認めること。
注:3「措信(そしん)」=信用すること。信頼をおくこと。※特に裁判官が使う専門用語である。
注:4「果(は)たしてしからば」=本当にそうであるならば。もしそうならば。
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◯上記の(1)はまったく承服できない。脅迫状の筆跡と石川一雄被告の筆跡は明らかに異なっている。これは誰が見ても明白なことだ。

上は脅迫状(五月一日被害者宅に投函)に見られる真犯人の筆跡。まず勢い(筆勢)があり、文字を書き慣れた者の執筆であることが窺える。また、強調したい情報は大きく書くなどの工夫がみられ、この分野に長けていることを示している。

こちらは石川一雄被告が書いた上申書(五月二十一日付)の筆跡。筆勢は一見して不安定で、たどたどしく、恐る恐る書いたとも見てとれる。また、横書きへの対応に苦心している様も見てとれる。脅迫状の筆跡との類似点はまったくない。

石川一雄被告が、捜査員から脅迫状を手本に何度も練習を強要された後に書いた同内容の書面(七月二日付)。練習を重ねたとは言え、この程度の筆記水準である。
両者の筆跡が同一人であるとの判決文(捜査機関側の鑑定含む)は、ではなぜ脅迫文を書いたのち、被告の書く文字が日を追って急速に下手になっていったのかという疑問を生む結果となっている。
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(11)も承服しかねる。ところで一貫の「貫」とは分量を示す単位であり、日本のかつての通貨の一つ、一文銭千枚の重さである。この一文銭には中央に正方形の穴が開いており、そこに紐などを通してまとめられていて、千枚をまとめたときの重さを一貫(紐で貫く、に由来)と呼んだ。さて問題は、裁判長が(11)で述べている「被告人は、セメント袋二個(合計約二十六貫相当)を一度にさげる程の腕力を有し、一人で死体を運搬することも可能であったこと」という判決内容である。
一貫=3.75Kg×26=97.5Kg。裁判長はその重さがどれほどのものかをお分かりになっておらぬように思える。肉体労働を得意とする老生は断言するが、97.5Kgにもなる重量物は、例えば地面から両手で持ち上げるということがまず不可能である。そしてセメント袋となると固形物とは異なり軟体物であるから、なおさら手で掴み上げることが困難となる。さらに97.5Kgという重量は、事件当時に撮影された石川一雄氏の体格からみて完全に保持は不可能であろう。このことに関しては実際に法廷で実験を試みるべきであったと思われる。
したがって(11)で述べられている内容は裁判長の主観に基づいたものであり、実際とはかけ離れていて役に立たない論である。