
【狭山事件公判調書第二審4248-17丁〜】
『意見書』
東京高等検察庁 検事 大槻一雄
昭和四十九年二月七日
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(第二 脅迫状の筆跡)の二
なお、付言すると、当審鑑定人=秋谷七郎作成の鑑定書、同補遺ならびに証人=秋谷七郎の供述によれば、本件脅迫状の訂正部分である「五月二日」および「さのや」の記載および封筒に書かれた「中田江さく」の記載は、いずれも万年筆を使用したものと推認される。
ところが、原判決は、判示第三の恐喝未遂の事実を認定するにあたり、右本文の訂正部分二箇所と封筒の右記載は、いずれも被告人が所携のボールペンで書き直し、または記載した旨摘示しているので、原判決の右部分は、事実と相違していると言わざるを得ない。
原判決が、右のように事実を認定したのは、被告人の司法警察員ならびに検察官に対する供述調書中に、被告人が中田善枝を強姦、殺害後その現場付近において、かねて用意していた脅迫状および封筒に所携のボールペンで前記のような記載をした旨、右所携のボールペンは被告人の兄=六造の所有にかかるものであるが、犯行の前日である四月三十日、選挙の投票に行く際、これを自宅から持ち出し引き続きこれをジャンパーのポケットに入れて持っていた旨の供述記載のあることなどによるものと思料される。しかし、脅迫状および封筒の右記載部分が、右:秋谷鑑定の結果、ボールペンではなく万年筆によって記載されたものと推認され、且つ、これが右脅迫状の該当部分の筆跡にも即していると見られる以上、これをボールペンで記載した旨の被告人の捜査段階における供述は事実と相違するということにならざるを得ない。ところが、同鑑定によれば、右の万年筆によって書かれたと推定される記載部分は、被害者=中田善枝の万年筆(東京高裁昭和四十一年押第一八七号の四二)によって書かれた可能性のあることが肯認できるのであって、被告人が五月一日の犯行当日、右脅迫状を封筒に入れて中田栄作方へ届けるまでの過程において、被害者=善枝から強取した右万年筆を用いてこれを記載したものと推認されるのである。
してみれば、原判決には、前記の程度の誤りがあるとしても、筆記用具が単に万年筆であったというにとどまり、被告人がこれを記載した事実を左右するものとは言えないので、右の誤りは、結局判決に影響を及ぼさないものと思料する。
(続く)
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◯・・・これでいいのであろうか。「原判決は、判示第三の恐喝未遂の事実を認定するにあたり、右本文の訂正部分二箇所と封筒の右記載は、いずれも被告人が所携のボールペンで書き直し、または記載した旨摘示しているので、原判決の右部分は、事実と相違していると言わざるを得ない」と検察官=大槻一雄は述べている。判決(の一部)は事実ではないとなると、これは大問題である。さらにこの検察官は脅迫文や封筒の宛名を訂正した筆記用具が、ボールペンではなく万年筆であったことを、「単に・・・」で片付けているのである。
第一審において石川被告には死刑判決が下され、この第二審の判決が死刑か無期懲役か、または無罪放免となるか、まさに人生の命運がかかった状況に置かれているさなかの検察官によるこの発言は、人権軽視も甚だしいものである。
この後、「第三 現場足跡」へと進むが、検察官の暴論は粛々と続いてゆく。