アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 1056

写真は事件当時の狭山市近郊(三柱神社=荒神様付近)。

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『原文を読みやすくするために、句読点をつけたり、漢字にルビをふったり、中見出しを入れたり、漢字を仮名書きにしたり、行をかえたり、該当する図面や写真を添付した箇所があるが、中身は正確である』

【公判調書3299丁〜】(昭和四十七年六月十五日)

                     「第六十一回公判調書(供述)」

証人=中田直人(四十一歳・弁護士)

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橋本弁護人=「その次、弁護人が接見出来たのは六月二十六日の石田弁護人の単独接見ということになりますね」

証人=「そうです」

橋本弁護人=「二十日から、二十六日の間は遂に、どの弁護人も接見が出来なかったと」

証人=「そうです」

橋本弁護人=「結果としてはそうなりますか」

証人=「そうです。それで、橋本さんに二十二日に行ってもらったと言いましたが、その時に二十六日と、二十八日の二回分の指定を一方的にしたのではないかという記憶です」

橋本弁護人=「先ほど六月二十日に五分間面接した時に何か、しょげておったということですが、健康がすぐれないということですか、しょげてるというのは」

証人=「記憶では、健康が特にすぐれないということを石川くんが自分の口から言ったことはないと思います」

橋本弁護人=「と、精神的なもの」

証人=「ええ、だと私は見ました」

橋本弁護人=「何か、この時点で、医者の診察を受けなければならない、受けさせるようにというようなことは」

証人=「いえ、私のほうからそういうことを言ったことはありません。二十日の日に私が一生懸命、ともかく食事をちゃんと取るようにという話をしたんですが、それについては石川くんは多くを言いませんでしたが、わかったという趣旨で頷いていましたし、私としては、医者にすぐ見せろということを言った覚えはありません」

橋本弁護人=「それから、少し前後するかも知れませんが、三人でやったことを裁判所に行ったら話すという、こういう意味のことを被告人が証人に告げたことはありませんか」

証人=「その段階ではありません」

橋本弁護人=「その段階と言いますのは」

証人=「再逮捕から、二十日の段階にはありません。なお、十五日の私一人でやったときの接見の時ですが、ジョンソンの基地から石田登利造さんや北田おさむさんと一緒にくず鉄をとったことがあるんだということを、何かぽつっと言ってました。そして、これは警察にまだ話していないんだということを言ってました。私は、それは当時はそのまま聞いていたに過ぎません。今日私どもが知っているような形で竹内署長と、今のことについて裁判所へ行ったら話をするという風には聞いておりませんでした」

橋本弁護人=「今、証人の言われたジョンソン基地からくず鉄をとったというのは、第一次逮捕勾留の被疑事実に入っておりませんか」

証人=「もちろん入っておりません」

橋本弁護人=「石川くんが自白したことをいつ知りましたか」

証人=「六月二十四日だと思います」

橋本弁護人=「どういう経路で知りましたか」

証人=「事務所におりましたところ新聞社の人から電話がありまして、先生、石川くん、げろしたらしいと。げろという言葉がよく分からなくて、え?と問い返したことをよく覚えているんですけれども、げろしたらしいんだが、よくどうも様子が分からない。何か物が出たとか出ないとか言われているんだが警察がどういう動きをしてるのか、様子が変わってきているがどうも分からない。そしてその時ですが、二十二日の日に川越の赤心堂病院の加登という医師が警察に呼ばれて石川に会っていると。で、その医者に自分は会って石川くんの模様を聞いたんだけど、何か自白しているかいないか聞いたところ、その医師はそんな風には見えなかったということを言っていたと。それと、警察の動きがどうもおかしいけれども、よく掴めないということと、あわせて二十四日の日に電話をかけてきてくれた人がいました」

橋本弁護人=「その赤心堂の医者が会ったということについて、証人は何か思い当たることがありますか、当時ですね」

証人=「いえ、赤心堂の医者が会ったということは、その時初めて知ったんですが、それでは、飯を食えと言ってきたんだけども、あのまま石川くんは食事をしなかったんだろうか、とか、ともかく十八日と二十日に大変しょげていたことは、私ども大変心配していたことですし、食事をしなかったり、そういう精神的な何かで、医者を必要とすることが起こったのかなあという風に即座に思ったんですけれども、その新聞記者の話では、何か、会った医者の話によると、別に特段のことはなかったというようなことを言ってましたよということだったものですから、何故呼んだのかについては、よく分かりません」

橋本弁護人=「六月二十六日に、石田弁護人が単独で接見されたそうですが、その時の状況について報告を受けておりますか」

証人=「受けました」

橋本弁護人=「どんな報告を受けましたか」

証人=「当時はすでに単独犯であることを自白したという捜査本部の正式の発表があった後でありまして、石田さんも本当に自白したのかどうかということを当然確かめたんだと思います。で、その時は、自分が間違いなくやったんだと言ったと、そして、山学校のほうから善枝さんを連れ込んで、石川くんはよく倉さんの首っこした山、まあ、首を吊った山という意味でしょう、首っこした山へ連れ込んで、殺して埋めて二日に脅迫状を届けに行ったという、ごく概括的なことを石田さんに話したと、そういう風に聞きました」

橋本弁護人=「翌々日、六月二十八日に証人が接見しましたね」

証人=「はい」

橋本弁護人=「その時の被告人の模様はどうですか」

証人=「橋本さんと一緒に会ったのですけれども、ともかく従来と全く変わった様子でした。石川くんは、私どもが会っている間、ほとんど泣き通しだったという記憶です。そして泣きじゃくりながら、私どもが、警察にどういう話をしたのかということを聞きますと、ぽつりぽつりとは言いました。ただ特に印象が深いのは、と言いますのは、どういうことなのかと不思議に思ったのですが、そういう話の中で、五月二日の夜のことは違うんだ、地下足袋は違うんだということを石川くんは言いました。大変泣きじゃくりながら、泣きじゃくるという表現が正確かどうか知りませんが、泣きながら言っていることで、よく聞き取れない言葉がしばしばあったんですが、二十六日の日は、五月二日に佐野屋のほうにも行っていると自白してると石田さんに言っていたと聞いただけに、五月二日の晩は違うのだと私どもに言うのはどういうことだろうかと、本当に自白したんだろうかという風にも考え、たいへん戸惑ったことを覚えています」

(続く)

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現在、公判調書(第二審)を約三.三〇〇丁ほど読み進めてきたが、「?記号(クエスチョンマーク)」という疑問符が調書中に現われたことはこれまでになく、この件に関し、私は深く考察したいが、今、私は泥酔中という状況によりこれは後回しにする。

ただ、軽く述べておくが、「?」という疑問符を挿入した速記官は、つまり、「え」という言葉のみでは、これが疑問を呈する言葉としては弱く、従って「?」という疑問符を加え、「え?」という表記に落ち着いたと思われる。

ちなみに、これまで公判調書上での言語以外の表記は、無言、または沈黙、あるいは絶句等を示す「・・・・・・」という表記のみが確認できる。