アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 1053

『原文を読みやすくするために、句読点をつけたり、漢字にルビをふったり、中見出しを入れたり、漢字を仮名書きにしたり、行をかえたり、該当する図面や写真を添付した箇所があるが、中身は正確である』

【公判調書3291丁〜】(昭和四十七年六月十五日)

                     「第六十一回公判調書(供述)」

証人=中田直人(四十一歳・弁護士)

                                            *

橋本弁護人=「勾留理由開示の請求と、保釈の請求と、勾留取消の請求とがありましたが、先ほど、このうち保釈の請求が通る可能性が一番強いと、こう言われましたね」

証人=「はい」

橋本弁護人=「その根拠はどこでしょうか」

証人=「何をおいても恐喝未遂の起訴が出来なかったことです」

橋本弁護人=「つまり権利保釈の要件は十分備えていると」

証人=「そうです。それに、被疑事実については、石川くんは、自分からむしろ積極的と言っていいほど話しているわけですし、権利保釈をとどめるいかなる理由もありよう筈がないと思いました」

橋本弁護人=「予想通り保釈の決定がなされたわけですね」

証人=「はい」

橋本弁護人=「記録を見ますと、三十八年六月十七日に保釈の決定がなされております。この日証人はどこにおりましたか」

証人=「保釈決定を受ける時には石田さんと一緒に浦和地裁の川越支部に行って、直接受けたのです。そして、私は石川くんの自宅に一人で帰りまして、石田さんに、兄の六造さんと一緒に狭山署から石川くんが釈放されるのを迎えに行くようにと言いました」

橋本弁護人=「そうしますと、石川くんの自宅で彼が釈放されてくるのを待っておったと、そういうことですね」

証人=「はい。ただ正確に言いますと、私のそのときの気持ちは、先ほどもちょっと申しましたが、再逮捕があるだろうと考えていましたので、むしろその段階でどういう活動を弁護人として取るべきかについて、そしてまた、そのことを石川くんの家族と相談することも含んで、私は特に一人で待っていたわけです」

橋本弁護人=「待っておったところ再逮捕のニュースが入ったんですか」

証人=「六造さんが顔色を変えて来まして・・・」

橋本弁護人=「六造さんは石川くんのお兄さんですね」

証人=「そうです、先生様子がおかしいから来てくれと言って来ました。私の記憶では、石田さんは多分警察に一人で残ったんだろうと思います」

橋本弁護人=「それでどうされましたか」

証人=「私はすぐタクシーに乗りまして、狭山警察に向かったのですが、何というか道はよく分かりませんが、入間川の駅の方から狭山警察に向かっていきますと、少し手前で三叉路に別れているところがあります。川越に通ずる道ですが、ちょうどそこのところで乗用車二台くらいとジープが行くのにすれ違いました。そのあと新聞社の車がかなりのスピードで追っかけていくのを目撃しました。石川くんが他の場所に移されたのだと直感しました。私はすぐ警察署へ行きまして、石田さんと会ったと思いますが、石田さんも身柄がどうなるのかということについて、いろいろと警察に問い正し抗議をしていたんだと思います。で、すぐにはどこへ移されたかということを中々言いませんでした。かなりいろいろとやり取りがあったのちに川越へ移されたんだと聞いたと思います」

橋本弁護人=「川越へ移されたということが分かってからのちに、どういう風に対処しましたか」

証人=「川越へ移されたという、川越がどこなのかもよく分からなかったわけです。ただ川越へ、とにかく石田さんと二人で飛んで行きまして、その間の経過をよく覚えていませんが、たぶん新聞社の人に教えてもらって川越署の分室へ入ったんだと知ったと思います。で分室へ参りました。分室の表には、玄関のほうですが、新しい木が何か張り付けてありまして、完全に閉まっていました。そこで新聞社の車や何かがたくさんあった裏口のほうへ回りました。裏口にも全く新しい白木で頑丈な門が作られていました。小さなくぐり戸をつけた門でしたが、その中に多数の警察官がいました。そこで、弁護人であることを告げて石川くんに面会させるように求めました」

橋本弁護人=「川越署分室というんですね、正確には。それは、その日石川くんを留置するために何か新しい設備を施したという外観形跡が認められましたか」

証人=「はい、それは見た目に明らかでした」

橋本弁護人=「そして、証人がそこに赴いたというのは、引き続き接見をしたいということですか」

証人=「そうです、何をおいても、私としては予想していたにせよ、再逮捕という事態に現実になったわけですし、石川くんは大きなショックを受けていると考えましたから、私どもとしては、まず石川くんに会い、事態を説明することが第一だと考えました」

橋本弁護人=「接見は許されましたか」

証人=「許されませんでした。許されなかったというよりは、その新しい木の門が出来ていたのですが、その中に数名からもっと多くの警察官がいたのですが、弁護人であるから面会したいと言っても、物も言わないし、返事もしないのです。それで、埒があかんもんだから、ここにいる責任者は誰かと、呼んで来て欲しいと言ってもなかなか返事をしない、その名前を教えろと言っても言わない、で、散々やり取りがあって、それではと、二、三度、上司に伝えますということで、一、二の警察官が中へ入ったり、また出て来たりということはありました。しかし、いずれの場合にも今、面会させるわけにはいかないという返事でした」

橋本弁護人=「と、弁護人は建物の内部に立ち入ることも出来なかったわけですか」

証人=「建物の内部はもとより、敷地内に入ることも出来なかったのです」

橋本弁護人=「時間にして、およそ何時頃から何時頃までの間そういうやり取りがあったのですか」

証人=「そうですね、私の記憶では四時頃から、五時前後、五時ちょっと前かも知れません、とすれば三時過ぎから四時過ぎまでかと思いますが、そのやり取りをやっていました。感じとしますと、小一時間という感じです。この調子ではどうしても埒があかないから裁判所に手続きを取らなければならないと私どもは早めに考えたからです」

(続く)

六月十七日、石川被告は一旦保釈されながらすぐに再逮捕された。決め手がないままの警察による強引な再逮捕に、抗議する弁護士ら。写真は"無実の獄25年・狭山事件写真集=部落解放同盟中央本部中央狭山闘争本部・編、解放出版社"より引用。