アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 1057

写真は事件当時の狭山市近郊。

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『原文を読みやすくするために、句読点をつけたり、漢字にルビをふったり、中見出しを入れたり、漢字を仮名書きにしたり、行をかえたり、該当する図面や写真を添付した箇所があるが、中身は正確である』

【公判調書3301丁〜】(昭和四十七年六月十五日)

                     「第六十一回公判調書(供述)」

証人=中田直人(四十一歳・弁護士)

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橋本弁護人=「五月三十日に初めて接見をして、六月二十日まで何回か接見をしております。これまでは、まだ自白をしておらなかったわけですね」

証人=「はい」

橋本弁護人=「証人が六月二十八日に面接したのは、自白してから証人としては最初の面接だったわけですね」

証人=「そうです」

橋本弁護人=「特に印象に残る点はどういう点でしょうか。今、泣き通しだということを言われましたが、それ以外にもございましたか、従前と違うところが」

証人=「それと、何というんでしょうか、とにかくどうしていいのか分からんというような態度なんだけれども、どういう風に警察に話したのかと聞くと、ぽつんぽつんとは言うんですね。そして、その中で、さっき言いましたように、繰り返すようですが、五月の二日の夜は違うんだということを言ったので、たいへん戸惑ったということです。それから、善枝さんの、何か人形を切って、怖かったというようなことも、その時に言っていたと思います」

橋本弁護人=「それは、捜査官がはさみを使って紙人形を作って石川くんに見せて・・・・・・」

証人=「はい、その人形を切って怖かったと石川くん当時そのような表現をしたわけです。あと、何度か会って聞いて、今、橋本さんの仰ったような、捜査官が善枝さんだという人形を紙にこしらえて、それをはさみで切って、お前はこういう風にして善枝さんを殺したんだという風に言ったということは、それから後、何度かの面会で知り得たのでして、当時は人形を切ったとか、善枝さんの人形を切ったとか、一、二度聞いても、なかなか理解も出来ないような言い方で言っておりました」

橋本弁護人=「七月六日に証人は、自白後再度の接見をしておるようですけれども、その時の模様はどうでしょうか」

証人=「正直に言いまして、その時の印象は再びこれまで私が接してきた石川くんの態度と非常に変わったという印象でした。つまり、こういう表現がうまく事実を言い表しているかどうかよく分かりませんが、何か、朗(ほが)らかになったという感じなんですね、そして、自白の内容などについても比較的よく話してくれたという風に覚えています」

橋本弁護人=「二十八日と七月六日の接見時間はどれくらいですか」

証人=「いずれも十五分から二十 分だったと思います。なお、ついでだから申し上げておきますが、六月十七日以前の接見の時には、先生、何分にして下さいということがあってもかなりルーズだったんですね。ところが再逮捕後の接見については、大変手厳しいわけで、指定の時間が来たらもう、私どもを引っ張り出しかねないような形で打ち切られたという風に変わっておりました」

橋本弁護人=「接見時間も比較にならないほど短く短縮されたんですね」

証人=「はい」

橋本弁護人=「七月の九日に起訴されまして、一審の公判が始まるわけですが、被疑者の石川くんのほうから、その段階で何か注文がございましたか」

証人=「起訴後という意味でしょうか」

橋本弁護人=「一審が始まるについて」

証人=「いえ、何もありません。というだけじゃなくて、私自身、他の所用で七、八人と、ちょっとほかの仕事に手をとられていることが多かったのですが、私よりは石田さんや橋本さんが、むしろせっせと接見に通われたはずです。で、話を聞きますと、何か、ものもあまり言わないし、そっぽを向かれているような感じで、というようなそういう調子として聞いていました」

橋本弁護人=「すると印象としては、七月六日の接見の頃から被告人の態度が変わってきたという風に言えるわけですか」

証人=「私はそういう風に考えています」

橋本弁護人=「それからちょっと聞き落としましたけれども、自白がなされたとして、その後の最初の接見は、六月二十六日の石田弁護人の接見ですが、接見時間について、指定が厳しかったということですが、先ほど十五分という話がありましたが、これは接見時間が十五分という指定だから十五分の接見しか出来なかったのですか」

証人=「十五分だったか、二十分だったかその辺はよく正確に覚えていませんが、ともかく指定された時間しか接見が許されなかったです」

橋本弁護人=「いずれも接見禁止処分が出ていましたね」

証人=「はい」

橋本弁護人=「公判まで付いていたんですね」

証人=「付いていました」

橋本弁護人=「検察官の指定書がなければ実質上接見出来なかったんですね」

証人=「そうです」

橋本弁護人=「そうすると、自白前は五分でしたが、自白してから若干緩和されたと聞いていいですか」

証人=「そうですね、時間的にはという意味です」

橋本弁護人=「公判が始まるについて、被告人から特段の注文はなかったですか」

証人=「特段ああして欲しい、こうして欲しいという話はなかったと思います」

橋本弁護人=「一審の経過については、およそ公判記録にありますので省略することにしまして、一審の公判当時の雰囲気といいますか、そういうものを一言述べて下さい」

証人=「これは私よりは石田さん橋本さんのほうが遥かに正確に知っておられるわけですが、と申しますのは、私は、身体を壊したりしたこともありまして、十月、十一月の公判には、多く出頭出来ませんでした。ただ、何か狭山署全体を包んだ捜査当局の雰囲気がそのまま持ちこされた形で、毎回の法廷は、石川くんに対してはもとより私ども弁護人に対しても、いわば非難と怨嗟のまとで包んでいるという風に、一言で言えばそういうことだったろうと思います。その間、私どもの手許に十通を越える脅迫状が送られております。中には、血で書いたものがありました。月夜の晩だけではないぞと、何か、極悪非道の弁護士はただではおかないというようなことが書かれてありました」

(続く)

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○証人として出廷している中田直人氏は石川一雄被告の主任弁護人であるが、彼の許に脅迫状が届いていたとは初耳である。しかもそれは十通を越え、血で書いたものもあるという。私がブログのタイトルとして掲げた「狭山の黒い闇に触れる」の、「黒い闇」とは、まさにこの点を指す。誰が、何故、脅迫状を送ったのか。

石川被告が仮出所後、自宅が燃えたが、一説では放火との話も聞く。これもやはり「黒い闇」として私は認識しているが、複数に及ぶ関係者の自殺といい、全くこの事件は黒い闇だらけである。

数年前、私は石川被告宅の近くに住む老婆と知り合い、事件について聞いたことがあった。当然、この話題を持ち出すまで、かなりの時間をかけたことは言うまでもない。老婆は言った。「あたしゃ、何も喋らないよ、殺されたくないからね」

今もって狭山の黒い闇は健在である。