『原文を読みやすくするために、句読点をつけたり、漢字にルビをふったり、中見出しを入れたり、漢字を仮名書きにしたり、行をかえたり、該当する図面や写真を添付した箇所があるが、中身は正確である』
【公判調書3290丁〜】(昭和四十七年六月十五日)
「第六十一回公判調書(供述)」
証人=中田直人(四十一歳・弁護士)
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橋本弁護人=「その接見の際に、三つの請求をした、で、その結果、手続きがどういう風に進行するものかというような、その手続きの進行面について被告人に説明したことがありますか」
証人=「いたしました」
橋本弁護人=「勾留の取消とはどういうものか、その結果どういうことになるか、それから、理由開示の請求とはどういうものか、その結果どういうことになるのか、あるいは、保釈とはどういうものか逐一説明をしてございますか」
証人=「いたしました。なお、十四日に勾留理由開示の期日が指定され、それが、六月の十八日と指定されたわけですが、そのことも伝えました。逐一説明したと言っても、主としてやはり直接的には勾留理由開示というものはどういうものかという説明に自ずから重点がかかったんだろうと思います。つまり十八日に裁判所へ行った場合に、どういう手続きが行なわれ、あなたとしてはどういうことを述べ、あるいは、どういう意見を述べればいいのかということを言わざるを得ないものですから、これこれこういう手続きを取ったと、で、そのうちの一つの勾留理由開示はこういうもので、十八日はどういう風に行なわれるのかという説明をしました。ただ保釈の請求はしておりましたし、私どもとしては、恐喝未遂が起訴されなかったということと、相まって保釈になる可能性が非常に強いものと考えていました。したがって保釈になった場合には、その手続きは、それ以前に保釈になればその裁判所へ行く手続きはないだろうということをも説明しました」
橋本弁護人=「保釈になって釈放されたのちに、再び逮捕されるかも知れないという見通しはいかがですか」
証人=「私自身は、そう思っておりましたし、石川くんにもそのことを言いました」
橋本弁護人=「それは、その時点でですか」
証人=「十五日です。そうしましたら、そうしましたらというのは、やり取りとして具体的に覚えているということではないのですけれども、石川くんは十五日の時に、警察官も、十八日にお前が出ても悪いことを見つけて、また捕まえてやるということを、しきりに言っているということを私に伝えております」
橋本弁護人=「ちょっと話が前後しますが、弁護人として選任されるについては石川くんの両親との話があったわけですか、両親との了解があってですか」
証人=「私たちのですか」
橋本弁護人=「はい」
証人=「経過で言いますと、二十八日前後に、共産党の狭山の市会議員をやっている遠藤さんという方から自由法曹団に、弁護人になってもらえないかという話があったのです。そして、直接的には、先ほど言いました青柳孝夫事務局長がそれを受けまして、石田さんと一緒に調査に行かれたという経過があったのですが、私はそのこと自体は後から聞きました。そして私自身の選任はお父さんの富造さんによってなされました。直接この時はお会いして、富造さんから選任届を頂いたわけです。橋本さんも同じです」
橋本弁護人=「そうしますと、狭山警察に留置されている時期、弁護人として証人の取った方針、態度については、石川くんの両親に報告をしておる、そして、了承を得ていると、こういう風に聞いていいですか」
証人=「はい。その当時は、ほとんど毎日のように狭山へは行っておりましたし、ほとんど毎日のように石川くんのお父さんとかお母さん、それからご兄弟の人にも会っていました。ただどうする、こうするということでなくして、五月一日、二日前後のいろんな状況であるとか、それから警察がどこへ行ってどういう調べをしてるというようなことを、いろいろと噂なり何かで入って参りますから、そういうことも話し合っていました」
橋本弁護人=「そうしますと、五月六月の再逮捕以前の時期については石川くんの両親の家に毎日ほとんど出かけておって話をしたり、相談したりしておったと、こうまとめてよろしいわけですね」
証人=「はい」
(続く)
わが子の無実を訴える石川一雄被告の両親。(1969年)