アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 383

【公判調書1376丁〜】(前回に始まり、この先、数回にわたり引用してゆく記録は、昭和四十三年、東京高裁に於いて狭山事件裁判第二審が進行するなか、弁護人・中田直人より出された事実取調請求、すなわち検察官手持証拠の提出、その提出物の記録である。提出物の日付は昭和三十八年である)

二、現場の状況

1. 通称入曽街道近くの狭山市入間川二八六*番地太田美也方居宅脇の市道を概ね北方へ約一九五米行き、同地点から東方へ約六〇米行き、さらに同所から概ね南方の農道へ通ずる方面へ約四五米経た地点で、左側(東方)に空き地(草原)があるが、この農道から前記空き地を経て一三.七〇米の地点に中川昇一方の元居宅があり、その南隣が椎名稔方である。

2. この中川昇一方元居宅(現在藤松高木方)の宅地の西方部の境界線には、古い杉角材がまばらに十一本打ち込んであった。この杉角材は長さ六〇糎から七十五糎であり、直径は、西南方角の一本が七糎で、他はいずれも四糎内外であった。西南方角から数えて四本までの間の杭に普通の細い針金が二本張ってあった。この境界線は、北の端から南の端まで一四.〇〇米であった。ここで、立会人中川ゑみ子に対し、この宅地建物の数量について説明を求めたところ、「宅地は一五一.八平方米(四六坪)あり、この土地はやや変形している。建物は、二四.七五平方米(七.五坪)ある」と申し立てていた。立会人中川ゑみ子の元居宅は宅地の北側に、東から西にかけて建築されている。(以下、次回へ続く)

狭山事件では、被害者である女子高校生の遺体に細引き紐や荒縄が巻きつけてあった。引用中の調書は、これらの紐や荒縄の捜査が入念に行われた過程での実況見分調書と思われる。

写真三点は「無実の獄25年・狭山事件写真集・部落解放同盟中央本部中央狭山闘争本部編・解放出版社」より引用。